平成22年12月17日(金)午後1時から田主丸町の葬儀場で小西先生の葬式がしめやかに行われました。
喪主は長男一貴さん。久商の元・現校長(久富先生を始め)の面々、同年代の元先生達が参列されていました。
弔辞は吉井町の高木正八郎元校長と教え子の川原さん(卒業して45年過ぎたとの事。先輩か後輩?)。
高木先生の弔辞は、「私より若いのにどうして早く逝ってしまったか?。
諏訪野町の久商時代は久大線で一緒に通勤し、色々な思い出があった」ことを紹介されました。
勿論私、高木重晴、中村友弘、園木達も一緒でした。
久商に情報処理授業の必要性が出来てきた時に、小西先生は東京での研修を受け、
現在のメディアセンター建設まで熱心な教育をされました。
私の職場でも求人の相談を随分させて頂き、先生の紹介で後輩が我社にかなり入社しました。
私の長男が久商に合格し、入学式の時に先生のところへ挨拶行ったところ、
「1年生のPTA副会長がまだ決まっちょらんバイ。教頭の正八ちゃん(高木正八郎先生)が困っちょるけん、
あんたが受けんの。」と脅迫され、情報処理教室に監禁され、式が始まる直前まで解放されませんでした。
仕方なく受けた結果が三年後のPTA会長となりました。
でも、先生のおかげで色々な勉強をさせて頂きました。
全生徒の前、保護者会、卒業式、入学式での挨拶は私にとって、度胸を頂きました。
その後南筑の教頭を勤められ久商に校長として帰って来られましたが、一部の先生の過激な行動に翻弄され、
苦労され、精神的にも参っておられたと思います。僅か1年で退職されました。
田主丸人に戻られ、時たま町で会うと、「なんしよるの」と大きくどすの利いた声をよく聞きました。
地元の区長としてボランティアも積極的に行われ、後で聞いた事ですがハーモニカが得意で、
町の色々な施設に慰問に行かれ演奏されたそうで、当日も1ダースのハーモニカが展示されていました。
まだ71歳の若さで、残念でたまりません。お棺の中のお顔は生前の面影は無く、小さい印象を受けました。
川上君も来ていました。弁論部の顧問をされていたとの事。
駅まで送っていこうと言ったけど、今日はまだ歩数が足りないので歩くと断られました。
まさか田主丸から自宅まで歩いてはいないでしょうけど?。
松本吉廣
懐かしい写真がありました。 白水君 小西先生 楢原君 川上君 青木武良
後列 青木 楢原 森 村田 白水 中園 川上 堤君
前列 今鶴 福島さん 小西先生 鹿毛君です