●「カ」とは、以上から推して、次のような思念を感ずる。
1 「生命の根源が何であるかという根本の物理」
2 現象界には現象背後界があるということ。
3 潜象であるが確かに存在する量だから、人間にも感受される。
4 「カ」とは、我々の生命の根源であり、今日まで、宗教も哲学も
説明出来なかつた真の「神」の正体である。
5 「カ」のサトリ(潜象物理)の真実であるという証明は
現象科学の物理法則のようには、客観的に示すことは出来ない。
要するに、目に見えないが、現象界にも存在し関わつている
一切存在の根本的なもの、ということになるか。
この要領で集約してゆくと
●「タ」とは
「タ」とは、大もとから分けられて独立的になるという基底思念である。
●「ム」とは
目に見えぬ「チカラ」が、タテヨコ上下に六方の環境に広がり
絶えず我々の生命に、刻々に、カカワル(十字象)潜態をいう。
●「ナ」とは
種々な段階や変化性(七変化)が何回も繰りかえされて
現れることを抽象した声音符。
●「カタカムナ」とは
我々の生命が、よりよく 生きる為に、知らなければならぬ生命の根源が
何であるかということを、(自然の生物が、皆、本能として知つているものを)
我々の脳に教える、最も端的な生命の情報である。
★「少数者について」
前置きすることが一つある。それは、「小数者」に関する件である。
宇野はこのことで次のように述べている。
テレビやラジオを造る為には高度な専門知識が必要だが、視聴者には
唯スイッチを操作すれば良いようにしておかなければならないように
多数者には、単純明快で、なるべく安全な、具体的な方法を示し
その保証は、背後の「少数者」が責任をとらねばならない。
多数者に、個々の物理(サトリ)をわからせることは無理である。
理解能力を超えたものを強制されれば、誤解するしかない。
ということは精神的癌化現象を来たし、異常な波動を起こし
毒素を発生して、良かれと思つて努力した結果が
逆に、身を亡ぼし周囲を乱すことになるからである。
★『多数者には「根本原理」さえのみこませ、ミにつけさせればよい。
「個々の物理」を究明して、その裏づけをミにつけていなければならぬのは
少数者である。』
★「少数者について」
この「少数者」に類似する言葉に、仙道の「天選の人」というのがある。
「仙道語。技法辞典」、二九六頁---太極の一点に還元して
神解自在を得た人の称名である
「天選の人」は、天耳(霊聴力)を以て宇宙の声(波動)を聴き
これをこの世の衆人に告げることができる。「天選の人」は深見と明澄が生ずる。
「玄言玄語録上巻」(五千言坊玄通子著)、二十頁---修仙の行者数は
人文五千年、いつの時代でも その数は一千人台の僅少さで
しかも形骸保持期間中に成仙し得た道人の数は五十名にも達していない。
その僅少価値たるや、天下地上これに匹敵するものはない。