日々の事から

日々のあれこれ   by Kirari

読書記録📖

2021-08-11 18:21:01 | 
『みちづれはいても、ひとり』 寺地はるな 著 2021.8.9 読了

結婚したはいいけどだんなとうまくいかず離婚に持っていく話。
これもよくある話だね。
結婚して何十年も一緒にいようっていうのは、前にも書いたけど気の遠くなるような話。
お互い気が変わらないなんてあり得ないし、ましてや本来の自分を隠して相手に合わせ続けるのは、わざわざストレスを作っているから長持ちせんしね。
恋愛関係にあるときに気づかなかった面を、さも醜いことのように『そんなとこあるんだ』と言うことがよくあるが、あれは傷つく。多分、自分は気づいても言わないのに相手がわざわざ言うからだと思う。
それに、あんたに何がわかってるっていうのかって思う。そんな相手には自分らしさの場面など絶対見せたくない。

ストーリーでは、離婚に向けて独居を始めたが、だんなが一緒に住んでいた家から失踪する。義母に生まれ故郷に探しにいってくれないかと頼まれてそこに暫く滞在する。
独居を始めた先で仲良くなった隣人の女性と一緒に旅行をかねて行ったが、互いの趣味は違うので行動はそれぞれとなる。それでも、いざというとき仲がいいから羨ましい。
墓の面倒を見てくれているシズという女性がキョーレツ(笑)
最初から嫌悪感丸出しで探しているだんなを匿っている。
最後には親切を装ういびりシーン...
こんな人間、おるよなあ...って思い当たる、自分の人生も呆れたなあ。

最後にはシズと元だんなが一緒になりそうな場面。このだんなと一緒になって主人公の彼女は幸せだったときはあったのだろうか。
いくら努力してもそもそも合わない人間同士は数年も一緒にいられない。
カサンドラ症候群になって破綻するのがオチだ。
私も今、数年他人に完全譲歩した生活をしていた反動が来て酷い健康状態だが、自然体で居られる人と付き合うのが一番だ。
見えないストレスは心身を蝕むものだ。

人はそれぞれの人生を行くという面が好もしい1冊だった。





さて、寺地はるなを4冊読んだ。
これから読む本のジャンルはどんな感じだろう。
隙のない文章が面白いひとだなあ、と感じる。
厭きるか続くか楽しみである。


そういえば、『本を読まない』という人は総じて『自分と周囲』という目線が育っていない気がする。寺地はるなのような、実際あるようなないようなストーリーを読むことは、現実世界では体験できない、こういう他人との関わりを学ぶ場面として有意義である。でも、読書しない場合、そういう場が自然にはないからだろう。多分現実では、自分が気の向くままに生きるから、いいとこ取りばかりして避けて通っている。
自分が若い頃、世間を知らなすぎて危機感を持った。
人とのコミュニケーションがうまくいかず、知らないことばかりだったのだ。自分とはタイプの違う人間を知るために読書に拍車がかかったが、目を見開いて見るような世界もあったし、目先と度胸が変わったと思う。そんなわけで自分には欠かせなかったが、いいとこ取りしないことを ずいぶん学べたと思うから、読まない人にももっともっと読書が普及するといいと思う。
『読書しない』っていう人とはそれ以上関わらないようにしている相手がいることもあるんだよね。(私。向上心がない人は好きじゃない。)
ノンフィクションをリスペクトしろって訳じゃない。ものの考え方が整ういい手段だっていうことだ。





読書記録📖

2021-08-10 20:42:45 | 
『彼女が天使でなくなる日』 寺地はるな 著 2021.8.1 頃 読了

母が事故でマンションから落ち、残された赤ん坊の娘から父は逃げ出し、遠縁の親戚が地元であるとある島で育てた千尋。
一度は都会に出たようだが、子供を預かれる宿泊施設を始め、奥さんが居ないが子供を育てている地元漁師の子供や入院して街に行っている母の代わりに預かっている子供を面倒見ている。
そこで千尋に寄り添う男性との関係性も興味があるが、ストーリーはそこを訪ねてくる育児ノイローゼの女性から始まる。
正直どこにでもある育児と仕事の両立。
ホント核家族ってだんなが協力しないと大変なんだよ。
こっちにも意地があるしな。
うちもこれ以上無理ってことで一人っ子になったし。
男女共同参画とかいう前にそういう環境整備せんとねえ。
逆に、今みたいに大きな顔してベビーカー畳まずに歩ける電車内なんて仰天環境なんだけどね。あれは横着の見本みたいなもんだから利用する側にも遠慮もあってもいいと思うけど。

千尋という人物が自分を強く持っているところに感心した。
宿泊施設の責任者なのに客に愛想を振りまかないのだ。一見、ドライ過ぎやしないかと思いつつ、泊めてもらうのに必要以上にサービスも要らんか...とも思った。

いろんな客とのストーリーもあり、地元民とのストーリーもあり。
この本も力強く、最後までしっかり読めた1冊。






ツクツクボウシが鳴き始めた...

2021-08-08 15:46:04 | 日記
今日はふと聞こえたセミの声はツクツクボウシだった。
普段はお盆過ぎから始まることが多いから少し早い気がする。
元々準備は始まっているようで、1週間くらい前に職場で『ツクツクボウシが鳴いてません?』と言う同僚がいたので、そっちの方に行ってみた。アブラゼミも鳴いていたので、うまく聞き取れなかったが、無くはない話なので何となく同調した。
あの辺りは名古屋市内でも緑が多く、春はウグイスも鳴くような場所である。

今日のははっきりツクツクボウシ。昨日は鳴いていなかった。
そういえば、うちの親は『宿題とは毎日コツコツ進めるもんだ』と、最初に一気にやることを叱る馬鹿な親だったので、必然的に夏休みの宿題に追われ出す時期の記憶が甦る。

夏が始まるとクマゼミが鳴くのが定番となったこの地域。ゲリラ豪雨も多いし、日本も気候が亜熱帯に変わった前提で備えた方がいいと思うんですけどね。
いずれそうなることは35年前には言われていたことだけど。
セミの声もそうだけど、細かいことに気づかない人種も多いから、そういうタイプには解らせることに骨がおれるよね。
自分だけ準備万端でもいいんだけど。

人間以外の生き物は感心するほど色んなことを察知している。
人間はメンドクサイなあって思う。いろんな関係性ばかり。

朝、明るくなると大音声のクマゼミが庭で鳴く。ニイニイゼミの軽やかな感じなら良いのに。
アブラゼミすら軽やかに聞こえてしまうクマゼミ。早く秋が来ないかなあ...
パタッと音の止む時期は耳が違和感を覚えるが、いつも音がするストレスから解放されるので待ち遠しい。
そういえば、昨夜は秋の虫も2種類ほど鳴き出した。
私の周囲でも解らない人が殆どだけど、こう書いても何のことやら、自分には関係なっって思う人が殆どだろうね。自分の生活は地球の生業の一部というのに。

今日も室温は36度(笑)
冷房付けたけど、だんなが居るときは使えないし、仕事行ってた方が楽だなあ...
扇風機くんがんばれ o(`^´*)
ツクツクボウシ、秋の虫たち、秋を呼んでおくれ ⸜( ´ ꒳ ` )⸝




メダリストが可哀想...(-ω-;)

2021-08-07 16:32:58 | いいのかそれで?
職場で『河村市長が金メダル...』という話題が出ていた。
オリンピックは興味ないのでTVもほとんど観ないし、何のことかと思ってたら、あるニュースにトップで上がってきた。
見た感想は『馬鹿か...』。
オリンピックは興味ないけど、金メダル取ることは、その人の並々ならぬ努力だと思うのであの行為は恥以外のなにものでもない。
名古屋市民は選挙で何回もあの人を選出するが、地域の品位を疑うよね。
ああいうのを何度も選ぶって、なんなのだろう。
知名度狙い?
身近でない知らんような じじいに尊いメダルを齧られて、さぞ気色悪かっただろう。
会社の重役をやったような人間が地域の役員をやると威張りくさって話しにならないって現象がどこでもあるが、あの市長も自分を何様と思っているんだろう。
自分の唾液は清らかな水とでも思っているんだろうか。
汚い唾液のついたメダルを、あのアスリートはゴミ箱に投げ捨てたくなっただろう。
しかも、謝罪の仕方...
大人?あれ。
恥ずかしい。
メダルは弁償ものだと思う。しかし、そんなことしたって あのアスリートがあの瞬間に手にしたメダルは二度と戻ってこないのだ。河村市長、そういうこと考えられないんだろうね。

よく人前で面白いことをやってウケると勘違いしてる人間がいるが、周りが笑うのは失笑も含まれているのだ。可哀想っていう同情もある。
取り返しのつかない行為はノリでやっていいと思わないでほしい。

しかしあれ、どう収束する気だろう... 気づかないふり?
ほとぼりが覚めるまで? いいのか?それで。






今日はちょっと いい話。

2021-08-04 20:53:58 | 日記
朝、地下鉄のとある駅で女子高生が乗ってきたが、大きめの荷物を持っているにも関わらず、体勢は揺れに弱い向きで嫌な予感がした。
案の定、電車の横揺れに耐えられず、画に描いたようにステップを踏み、私の爪先に着地。
周囲に注意が払えないのだろう。自分を支えるのがやっとで思い切り床を踏みしめる感じで他人の足に着地すんなっていうの。
そりゃ『痛い❗』って言うわ。
黙って耐えたら他人の感情にびびらなくなってしまう。一応謝っていたが、これから気を付けるかねえ...
他人が集まる場所はいかに自分が周囲に影響しないかを考えるのが公共マナーを学ぶコツだけど。

同僚でも、そういうどんくさい女がいたな。
絶対傍の人の足を踏んでしまうっていう向きに立ってしまう人間って思考がどうなってんだろう。
そういう不躾な人間とはかかわり合いになりたくないものだ。こっちの人間性も類友に見られそう。


そんなことがあった一日。仕事も忙しく過ぎていったので特に良い日でもなかったかな。

たまに通る帰り道、夕焼けが美しく見える場所がある。最近は 日本も亜熱帯化してきたので灼熱地獄だが、夕焼けも焼けるように美しいので複雑な気分にもなる。
少し段になった所があって、周囲よりは夕焼けも見えるので、通りの信号待ちの車から見えるのは ちと恥ずかしいが、今日の雲は良かったので開き直って端末で写真を数枚撮ってみた。
前も若い女性がスマホを構えていたのだ。



雲が良い Σp[【◎】]ω・´)
端末のカメラなので一眼レフのようにはいかないけど、思ったよりぶれてなかった。
雲の明るさのどこを取るかで色合いが変わってしまうし、夕焼けも台無しになってしまう。

私はなぜか蚊に喰われやすいので、すぐに寄ってきた蚊を払いつつ(蚊に集られるとヒステリックになるので...) 何とか3枚撮影。 手先がいつにもまして安定が悪かった。
『ああ、良い夕焼けに会えたな...』と、振り向いたら、なんと人が後ろにいた!
Σ(・ω・ノ)ノ

多分20代? 若い男性だった。
私が振り向いて段から降りようとしたら少し避けてくれて段にあがっていったので、同じように夕焼け撮影だったろう。振り向いた瞬間にそれを悟ったために、つい微笑みかけてしまった。『綺麗な夕焼け、ですよね...』って。もちろん、口に出さないけど。

おばさんに微笑まれて気色悪かったかもしれない(笑)
まあ、許して。
なんだか、同じものを美しいと感じた人に、感じかたはそれぞれでも何か親近感がわくよね。
身近な仲が良いと思い込んでた人でも、向いてる方向が違ったりするもんだから。

美しさを共有できた偶然ですっかり嬉しい気持ちで再び帰路についた。

地下鉄では周囲の人間をモノと思っている人間が多く、気持ちが消耗するが、夕焼けのように刻々と変化してしまう一瞬を私に譲り、撮り終わるまで黙って待ってくれた人間性にいたく感心した。
立派な心持ちの人を見ることが少なくなっている昨今、どうか世にまみれず大人になって欲しいと感じた。