『みちづれはいても、ひとり』 寺地はるな 著 2021.8.9 読了
結婚したはいいけどだんなとうまくいかず離婚に持っていく話。
これもよくある話だね。
結婚して何十年も一緒にいようっていうのは、前にも書いたけど気の遠くなるような話。
お互い気が変わらないなんてあり得ないし、ましてや本来の自分を隠して相手に合わせ続けるのは、わざわざストレスを作っているから長持ちせんしね。
恋愛関係にあるときに気づかなかった面を、さも醜いことのように『そんなとこあるんだ』と言うことがよくあるが、あれは傷つく。多分、自分は気づいても言わないのに相手がわざわざ言うからだと思う。
それに、あんたに何がわかってるっていうのかって思う。そんな相手には自分らしさの場面など絶対見せたくない。
ストーリーでは、離婚に向けて独居を始めたが、だんなが一緒に住んでいた家から失踪する。義母に生まれ故郷に探しにいってくれないかと頼まれてそこに暫く滞在する。
独居を始めた先で仲良くなった隣人の女性と一緒に旅行をかねて行ったが、互いの趣味は違うので行動はそれぞれとなる。それでも、いざというとき仲がいいから羨ましい。
墓の面倒を見てくれているシズという女性がキョーレツ(笑)
最初から嫌悪感丸出しで探しているだんなを匿っている。
最後には親切を装ういびりシーン...
こんな人間、おるよなあ...って思い当たる、自分の人生も呆れたなあ。
最後にはシズと元だんなが一緒になりそうな場面。このだんなと一緒になって主人公の彼女は幸せだったときはあったのだろうか。
いくら努力してもそもそも合わない人間同士は数年も一緒にいられない。
カサンドラ症候群になって破綻するのがオチだ。
私も今、数年他人に完全譲歩した生活をしていた反動が来て酷い健康状態だが、自然体で居られる人と付き合うのが一番だ。
見えないストレスは心身を蝕むものだ。
人はそれぞれの人生を行くという面が好もしい1冊だった。
さて、寺地はるなを4冊読んだ。
これから読む本のジャンルはどんな感じだろう。
隙のない文章が面白いひとだなあ、と感じる。
厭きるか続くか楽しみである。
そういえば、『本を読まない』という人は総じて『自分と周囲』という目線が育っていない気がする。寺地はるなのような、実際あるようなないようなストーリーを読むことは、現実世界では体験できない、こういう他人との関わりを学ぶ場面として有意義である。でも、読書しない場合、そういう場が自然にはないからだろう。多分現実では、自分が気の向くままに生きるから、いいとこ取りばかりして避けて通っている。
自分が若い頃、世間を知らなすぎて危機感を持った。
人とのコミュニケーションがうまくいかず、知らないことばかりだったのだ。自分とはタイプの違う人間を知るために読書に拍車がかかったが、目を見開いて見るような世界もあったし、目先と度胸が変わったと思う。そんなわけで自分には欠かせなかったが、いいとこ取りしないことを ずいぶん学べたと思うから、読まない人にももっともっと読書が普及するといいと思う。
『読書しない』っていう人とはそれ以上関わらないようにしている相手がいることもあるんだよね。(私。向上心がない人は好きじゃない。)
ノンフィクションをリスペクトしろって訳じゃない。ものの考え方が整ういい手段だっていうことだ。
結婚したはいいけどだんなとうまくいかず離婚に持っていく話。
これもよくある話だね。
結婚して何十年も一緒にいようっていうのは、前にも書いたけど気の遠くなるような話。
お互い気が変わらないなんてあり得ないし、ましてや本来の自分を隠して相手に合わせ続けるのは、わざわざストレスを作っているから長持ちせんしね。
恋愛関係にあるときに気づかなかった面を、さも醜いことのように『そんなとこあるんだ』と言うことがよくあるが、あれは傷つく。多分、自分は気づいても言わないのに相手がわざわざ言うからだと思う。
それに、あんたに何がわかってるっていうのかって思う。そんな相手には自分らしさの場面など絶対見せたくない。
ストーリーでは、離婚に向けて独居を始めたが、だんなが一緒に住んでいた家から失踪する。義母に生まれ故郷に探しにいってくれないかと頼まれてそこに暫く滞在する。
独居を始めた先で仲良くなった隣人の女性と一緒に旅行をかねて行ったが、互いの趣味は違うので行動はそれぞれとなる。それでも、いざというとき仲がいいから羨ましい。
墓の面倒を見てくれているシズという女性がキョーレツ(笑)
最初から嫌悪感丸出しで探しているだんなを匿っている。
最後には親切を装ういびりシーン...
こんな人間、おるよなあ...って思い当たる、自分の人生も呆れたなあ。
最後にはシズと元だんなが一緒になりそうな場面。このだんなと一緒になって主人公の彼女は幸せだったときはあったのだろうか。
いくら努力してもそもそも合わない人間同士は数年も一緒にいられない。
カサンドラ症候群になって破綻するのがオチだ。
私も今、数年他人に完全譲歩した生活をしていた反動が来て酷い健康状態だが、自然体で居られる人と付き合うのが一番だ。
見えないストレスは心身を蝕むものだ。
人はそれぞれの人生を行くという面が好もしい1冊だった。
さて、寺地はるなを4冊読んだ。
これから読む本のジャンルはどんな感じだろう。
隙のない文章が面白いひとだなあ、と感じる。
厭きるか続くか楽しみである。
そういえば、『本を読まない』という人は総じて『自分と周囲』という目線が育っていない気がする。寺地はるなのような、実際あるようなないようなストーリーを読むことは、現実世界では体験できない、こういう他人との関わりを学ぶ場面として有意義である。でも、読書しない場合、そういう場が自然にはないからだろう。多分現実では、自分が気の向くままに生きるから、いいとこ取りばかりして避けて通っている。
自分が若い頃、世間を知らなすぎて危機感を持った。
人とのコミュニケーションがうまくいかず、知らないことばかりだったのだ。自分とはタイプの違う人間を知るために読書に拍車がかかったが、目を見開いて見るような世界もあったし、目先と度胸が変わったと思う。そんなわけで自分には欠かせなかったが、いいとこ取りしないことを ずいぶん学べたと思うから、読まない人にももっともっと読書が普及するといいと思う。
『読書しない』っていう人とはそれ以上関わらないようにしている相手がいることもあるんだよね。(私。向上心がない人は好きじゃない。)
ノンフィクションをリスペクトしろって訳じゃない。ものの考え方が整ういい手段だっていうことだ。