日々の事から

日々のあれこれ
by Kirari

電車でのリュック持ちは廃止して欲しい

2020-10-24 09:51:08 | いいのかそれで?
またである。
地下鉄の朝のラッシュはストレスが大きいのは誰でもそうだろう。
名古屋の地下鉄は名城線が環状線になったものの、乗客が少ない区間は電車間隔が非常に長いダイヤが組まれている。
新しく作った駅は、周辺の住宅事情や学校の有無を読まずに作ったのだろう。ホームが狭すぎるし、なかなか次の電車が来ないものだからラッシュ時はホームに溢れるほど人がいて、移動するだけで大変な混雑である。
アナウンスで『危険ですから黄色い線(線、と言っているが、正しくは視覚障害者用の点字ブロックなのに。)の内側をお通りください。』と注意を促されたって人が居なくなるまで待っているわけにいかないから、空いた場所に行くには通れるところを さっさと通るしかないではないか。

昨日はようやく来た電車に乗れたものの、スマホを見て前の人との間隔を詰めないやつやなぜか円陣を組みたがる学生、と、そもそも人数は多めな日で、並んだときにうんざりしていたくらいだから、車内は当然満員状態だった。
乗り込んだら、右にいた身長が180くらいありそうな男が吊革に掴まった肘の辺りの袖が背が低めの私の頭を擦り『気が利かんな...鬱陶しいな...』と思っていたのだ。
お互いいろんなことが気持ち悪いことこの上ない。

次の駅で後ろのドアが空いた。降りる乗客はいなかったので動かなくてすんだが、乗ってくるやつも、空いた車両に移動しようと機転が利かず、何人かが無理矢理押し込んで乗ってきたようだ。
『つめてくださーい』って声に出せば奥にいる人も動くのだ。最近の人は口がきけないようで無言で無理矢理入るから将棋倒しのような状態で非常に危険を感じる。

その時も、私の後ろの人間がリュックらしきもので真後ろから押し始めたので、『まずいな...』と思った。
電車に乗る際に頭を使えないやつが多いが、人と人を決まった空間に多めに押し込む場合、互い違いに立った方がお互いのストレスも少なめで済むし荷物も収まりやすいのに。
20年前の人たちの方がそういうことは考えていたように思う。頭使えよ...
以前は周囲の人にもっと気を使っていたしなあ。

後ろから来たやつが機転と気遣いが足らず真後ろから人を押すのは危険な行為である。
バスと違って大きな揺れはないものの、線路のジョイントの辺りで思わぬ方向に振られたりするとしっかり立っている必要があるのだ。

電車に乗って立ってたら立っていられる人間だと思わないでほしい。
若いうちには無かったが、足首より先の脂肪が落ちているようでちょっとしたことでバランスを崩し、自分を支えられなくなって転倒する。

私はテニスも10年以上やっているし、走ることもできる。
でも、電車で満員状態の場合、自分を支えられなくなっているのだ。
10年くらい前から転倒することが多い自覚があるので、脳に欠陥があるのかもしれない。倒れ出したら止まらない。受け身は取るのに止められないのが自分でも不思議でならない。

そう解っていても吊革や掴まり棒の近くに立てることなど稀なのだ。満員電車はとても辛い。
前の勤務場所は乗り換えまで長めに乗っていたので電車の座席の間に入り込んでも降りれたが、今はちょくちょく乗り換えないといけないので出入口からそう離れることもできないし。

この日の電車内は酷かった。
リュックを電車内で下ろし、前抱きにできる人は周囲に気配りできると思い込んでいたが、この日、私の後ろに乗ってきた男は前抱きにしたリュックで真後ろから押し続けてきた。
前述の通り転倒の不安が段々募り、一度私が背中を揺さぶり対抗心を見せたら、そいつはもっと酷く押すようになったのだ。
悪意はないのかもしれない。...いや、あるよなあ。
何も無ければやり返したりしないのに。
何度か押し合っていたら苛々が爆発した。
少し振り返り、『なにしとんだ?お前。』と大声で言ってやった。
殴られたらそれまでだ。
駅員か警察を交えて話すしかない。こっちはやっと転倒を我慢しているのに。憤りが収まらない。

男は何も言わなかった。
リュックを前抱きにしたまま急に狂ったように前方の人たちにぶつかりながら駅に降りていった。
馬鹿じゃないのか。前にいた人たちは関係ないじゃないか。
抱えたリュックが物悲しかったわ。

リュックが流行りだしてなかなか廃れない。
日本語が解らない人間が多いようで、電車が混んでいても背負いっぱなしのことも多い。
自分だけ特別と思っているんだろうか? 出っ張っている幅も想像がつかないくらいの脳みそだから期待してはいけないのだろうが、がすごく迷惑な持ち物である。
電車内では禁止してほしいと切に思う。
気も遣えない人間が持ってるんだから障害事件に発展するよなあ。
なんでこっちが迷惑なやつらに合わせないといけないか全く理解できないし。
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骨折せんかったかな...

2020-10-18 22:39:21 | 日記
いつも行くスーパーに行って車を降り立ち、同じように車を降りる子供を待つ間、ちょうど金色に光る夕焼けと糸のように細い月を見ていたら、屋上駐車場で、店の出入口から駐車場に降り立つ段のところにおばあさんが見えた。
注視していた訳ではないが、何となく自分の行く方向の事象を観察せずにおれない私は、美しい夕焼けとおばあさんを交互に視界に入れていたようだ。
性格が小動物なので、これから進む先に危険がないかを観察する習性がある。

瞬間は見ていないが、おばあさんが何だか不自然に座り込んだのが目に入った。
勢いがなかったが、恐らく転んだか躓いたか。
ただ、ぎこちなく座り込むおばあさんが心配になり、店のその出入口に向かって歩き出してはいたのだが、少し早い勢いで進むことにした。
ただ、おばあさんに怖い思いをさせてはいけない。近づく3歩くらい手前でスローモーションに切り替える。そしてそっと近寄り、ゆっくりな口調で『大丈夫ですか?』と話しかける。

座り込んだことに本人も戸惑っていたようだが、ゆっくりと壁を使って立ち上がっていた。
ただ、多分、腰を打っていた気がする。
持っていた手提げと買ったものを、立ち上がった場所から、自分で屈んで取れないのだ。サッと私が取り、ゆっくりと持たせて差し上げた。

『お気をつけてね。』心から体調を気遣って伝えたが、何で転んだのか本人に後悔させなかったか心配になる。渡したときに少し手が触れたが、冷えきった体温をしていた。ビックリして血の気が引いたのか、今日は気温が低かったから薄着で体温が上がっていないのか。
荷物を渡したら、自力で動こうとはしていたので、私も離れかけたが、乗ってきた車がどこにあるのか、連れはいないのか気になった。
何となく、一人で歩き出せそうにない雰囲気だったのだ。

離れかけて、もう一度声をかけた『手をお貸しした方がいいですか?』と。
とても歩けない人を放置できないのが人情というものだろう。
でも、おばあさんは『ありがとうございます。大丈夫です。』と力なくとも おっしゃるので、尊重して、仕方なくそこを後にした。

おばあさんが見える前、先に出入口のすぐ傍の車に乗りに来たおじいさんがいた。あの人がだんなかと思ったので私が話しかけるのも遅れたのだが、私より距離は近かったのに直ぐに駆け寄りもしなかったし、そこから声もかけなかった。
私の子供は後で『お母さんなら、B-DASHすると思ったよ。』と、私の性格からの行動を読んでいたが、周辺事情を読みきれず、私は躊躇ったのだ。
いつも急場の最善策を叩き出して行動するようにしている。でも、今日は未確定要素が多すぎた。

帰宅しても、おばあさんがその後大丈夫だったかが気になって仕方ない。
ぎこちなく立ち上がっていたので、臀部を強打して骨折っていうパターンはありがちなことだ。
次は『お連れさんはどこ?』『車は近いですか?』と声をかけよう。
無理そうなら抱えて連れていってあげよう。母のように小柄なおばあさんだった。
もちろん、余計なことはしすぎない方がいい。でも、瞬間の判断を迫られる場面ってあるものだ。

どうか、寝たきりとかになられませんように...。ご無事をお祈りしたい。

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読書記録📖

2020-10-11 17:18:23 | 
『魔女たちは眠りを守る』 村山 早紀 著   2020.10.10 読了

村山さんのストーリーははじめて読むのか? 以前読んだものもあるような気がするのだが。
内容は読みやすかったと思う。魔女である七瀬について本の始まりも気を引く感じであった。
展開もくどすぎず書きすぎず良かったと思う。

最後の方で戦争が始まる前にアメリカから贈られた『碧い目のお人形』が持ち主の少女の魂を家族のもとに運ぶため自力で歩き、長い年月をかけて旅をするところが切なかった。
ストーリーにもあるように、魔女は、ひとと違う流れの寿命を持つために虚しさを感じながらも毎日を過ごすこと。友が居なければやりきれない毎日だろうな、と思う。
最終章に七瀬の生い立ちの場面がある。これは書いてもらってあって良かったと思う。
おおむねそんな感想である。

全体的に超常現象を信じられない人には分かりにくい話かもしれないが、世の中はそんなことで溢れているし、人間の生きる世界がこの世の全てではないから、私としてはノンフィクションのように感じられた1冊であった。
こういうストーリーに入れないひとは可愛そうだなって思ってしまう。
心は広く持つといい。


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