仲良くしている友人が同僚に苦言を呈されたそうだ。
友人はすごく細やかに気がつく人間だ。
(前に書いた気がするが、世の中にはHSPという言葉があり、5人に1人の人がタイプは違えども周囲の違和感に気づける人間だそうだ。
この言葉の説明でこれまでの疑問が解けたが、一般的に翌日ありがちなのが大雑把な人間に一方的に『神経質な人』という括りにされて虐げられているタイプだと思う。病的な人は孤立しやすいから早めに気づいた方がいいが、周囲に溶け込める多少のHSPの特性は別にどうということはない。周囲の観察や把握に長けた人間なだけ。却って重宝されるべき存在だと思う。声高に振る舞って自己アピールをする大雑把な人間が、自分の至らなさを隠す為に吊し上げられているだけなのだ。)
私もまぁそうだけど、気がつく人間は気がつかない人間に付き合っちゃいられないと感じる。思った時にやらないと、次々に気づいてしまうから大雑把な計画では気に入らない。
私はまぁ、力持ちではないから、重い荷物を動かすのは頃合いを見て誰かに頼むかもしれないけれど。
普段の些細なことなどは、言い出しても今やる必要あるか?とかそんなことやらなくていいと言い出すやつの方が強気に出るという不思議な展開が待っている。
達成感ありそうな労働っぽいことなら、大雑把な人間が一緒にやっても、あぁ片付いたねっていう結末になるが、些細なことなど手伝ってもらっても、やらされた感がハンパないに決まってる。
そんな状態で手伝ってもらっても、こっちは自分がやりたい時にやりたいように出来映えも考えたようにやれないからモヤモヤいらいらする。
だから私は滅多に声をかけない。
その、仲のいい友人と話してると私とは観点が違うし、たまに話が行き違うから共通言語ももう少し歩み寄りが必要なようだから、お互い細やかでも違うタイプのHSPのようだ。
違うタイプだから、全部解り合えるってことはないが(言っとくが、これはおたがいさま。私のことも理解できんだろなぁ…と思うことはしばしばあるから。そういうのは相手の返事に対する満足感で理解できるかな。)お互いこういうタイプなんかって思っていればいいし、大雑把な人間にはない協力ができていいと思う。
友人は、同僚に『一人でやらないで』とかいろいろ言われたらしい。
友人はあまり他人の悪いところをあげ連ねることはしない。(だから余計ストレスを抱えると思う。)気心知れた人間じゃないと他人評価はやめておいた方がいいが。(自分寄りと思っていた人間が本人にわざわざ言うことがあるから。)
…苦言を発した同僚は、私には正直…評価が低い(ー'`ー;)
なんつーか、いちいち仰々しいというかスムーズにやれないというか。
前に担当を少し外れる問い合わせがあった時も、グズグズしてるもんだから、年寄りが『〇〇課なら資料があるから聞いてくればいい』と余計なことを言い出した。それで私が年寄りに声を荒げることになったのだ。『うちの課の資料がありそうなのにそれを調べもせずに〇〇課に行ってどうすんですか? 結果、おたくにあるでしょって恥かくだけですよ。』って、なんで私が言わなきゃ動けんのかと思った。
それ以来、私からの信頼感はガタ落ちである。すぐに『ちょっと調べてみます。』のひと言が言えんやつは期待できないから最初からそういう対応することにしている。もちろん気の毒だから何度かは試しているのだ。けれどいい成果の手応えはないと思っている。
他にも去年、一緒に仕事に行ったが、は?と思うことしばしば。その時も高いレベルを求めないよう気をつけた。言葉も初心者に説くようにしないといけないから、ホント疲れる。こういう時にこちらとしては完成度を下げないといけないからヤル気も削がれる。私は物事の違和感に気づきすぎるのは知ってるから、いつものようにやむ無く気づかないフリをしていなきゃいけなかった。
友人には『自分は気づけないから声をかけてくれ』とも言ったらしい。
友人は憤っていたが、私もそう思う。なんだそれ。
その同僚、美味しいお店に目がないのだ。周囲が面白がってグルメな人とか言っているが、そんなにいい店かは分からない。私の好きな店とは違いそうだから興味がない。きっと日常の仕事上では "気づけない" は興味のなさを示してるだけだろう?
大体、他人にそんなこと言えることからして変なやつだ。だんなも野球チームでが同じといっていたから、あの人、野球うまいの?って訊いたら渋い顔をしてひと言も発しなかった。
友人にはそんな苦言に惑わされないで欲しい。
アピールされたことにより、向こうがそう意識してることが表現されキツイばかりであるが、どうか自分を強く保ってブレないでいてほしいと思う。
友人はすごく細やかに気がつく人間だ。
(前に書いた気がするが、世の中にはHSPという言葉があり、5人に1人の人がタイプは違えども周囲の違和感に気づける人間だそうだ。
この言葉の説明でこれまでの疑問が解けたが、一般的に翌日ありがちなのが大雑把な人間に一方的に『神経質な人』という括りにされて虐げられているタイプだと思う。病的な人は孤立しやすいから早めに気づいた方がいいが、周囲に溶け込める多少のHSPの特性は別にどうということはない。周囲の観察や把握に長けた人間なだけ。却って重宝されるべき存在だと思う。声高に振る舞って自己アピールをする大雑把な人間が、自分の至らなさを隠す為に吊し上げられているだけなのだ。)
私もまぁそうだけど、気がつく人間は気がつかない人間に付き合っちゃいられないと感じる。思った時にやらないと、次々に気づいてしまうから大雑把な計画では気に入らない。
私はまぁ、力持ちではないから、重い荷物を動かすのは頃合いを見て誰かに頼むかもしれないけれど。
普段の些細なことなどは、言い出しても今やる必要あるか?とかそんなことやらなくていいと言い出すやつの方が強気に出るという不思議な展開が待っている。
達成感ありそうな労働っぽいことなら、大雑把な人間が一緒にやっても、あぁ片付いたねっていう結末になるが、些細なことなど手伝ってもらっても、やらされた感がハンパないに決まってる。
そんな状態で手伝ってもらっても、こっちは自分がやりたい時にやりたいように出来映えも考えたようにやれないからモヤモヤいらいらする。
だから私は滅多に声をかけない。
その、仲のいい友人と話してると私とは観点が違うし、たまに話が行き違うから共通言語ももう少し歩み寄りが必要なようだから、お互い細やかでも違うタイプのHSPのようだ。
違うタイプだから、全部解り合えるってことはないが(言っとくが、これはおたがいさま。私のことも理解できんだろなぁ…と思うことはしばしばあるから。そういうのは相手の返事に対する満足感で理解できるかな。)お互いこういうタイプなんかって思っていればいいし、大雑把な人間にはない協力ができていいと思う。
友人は、同僚に『一人でやらないで』とかいろいろ言われたらしい。
友人はあまり他人の悪いところをあげ連ねることはしない。(だから余計ストレスを抱えると思う。)気心知れた人間じゃないと他人評価はやめておいた方がいいが。(自分寄りと思っていた人間が本人にわざわざ言うことがあるから。)
…苦言を発した同僚は、私には正直…評価が低い(ー'`ー;)
なんつーか、いちいち仰々しいというかスムーズにやれないというか。
前に担当を少し外れる問い合わせがあった時も、グズグズしてるもんだから、年寄りが『〇〇課なら資料があるから聞いてくればいい』と余計なことを言い出した。それで私が年寄りに声を荒げることになったのだ。『うちの課の資料がありそうなのにそれを調べもせずに〇〇課に行ってどうすんですか? 結果、おたくにあるでしょって恥かくだけですよ。』って、なんで私が言わなきゃ動けんのかと思った。
それ以来、私からの信頼感はガタ落ちである。すぐに『ちょっと調べてみます。』のひと言が言えんやつは期待できないから最初からそういう対応することにしている。もちろん気の毒だから何度かは試しているのだ。けれどいい成果の手応えはないと思っている。
他にも去年、一緒に仕事に行ったが、は?と思うことしばしば。その時も高いレベルを求めないよう気をつけた。言葉も初心者に説くようにしないといけないから、ホント疲れる。こういう時にこちらとしては完成度を下げないといけないからヤル気も削がれる。私は物事の違和感に気づきすぎるのは知ってるから、いつものようにやむ無く気づかないフリをしていなきゃいけなかった。
友人には『自分は気づけないから声をかけてくれ』とも言ったらしい。
友人は憤っていたが、私もそう思う。なんだそれ。
その同僚、美味しいお店に目がないのだ。周囲が面白がってグルメな人とか言っているが、そんなにいい店かは分からない。私の好きな店とは違いそうだから興味がない。きっと日常の仕事上では "気づけない" は興味のなさを示してるだけだろう?
大体、他人にそんなこと言えることからして変なやつだ。だんなも野球チームでが同じといっていたから、あの人、野球うまいの?って訊いたら渋い顔をしてひと言も発しなかった。
友人にはそんな苦言に惑わされないで欲しい。
アピールされたことにより、向こうがそう意識してることが表現されキツイばかりであるが、どうか自分を強く保ってブレないでいてほしいと思う。