日々の事から

日々のあれこれ
by Kirari

記憶を消す作業。

2020-02-15 22:48:09 | 日記
嫌なことで二度と元の状態には戻らないことは、思い出してイラつくより全て記憶を消し去ることをお勧めする。
一日に何度も勝手に頭に浮かぶことで記憶がまざまざと甦ることなど、気に病む価値もないことだと解らなくてはいけないのだ。
相手の態度もそうだったろう。前から既にそういう態度に出ていた。
気が小さいから、きっと恐ろしくて急激な変化を避けたかったのだろう、いかにもこれまでのように親しくできそうな言動をしていた。
解っているが、何も好転しないのだ。
浮かぶ画像を捩り消す『私には関係ないこと』そう言えば画像がモザイクのように消えることが解った。
一日に何度も『私には関係ないこと』と言っているがまっ更にしないといけない作業は怠ることができない。
徹底的に存在を消すこと。
醜いもの穢いものはきれいにしないといけない。
前に時々あった『鏡に映る自分の顔が見えない』という現象から戻ってこなければならない。僅かずつ実態が戻りつつある。時々は水面のように揺れることがある。でもしかと見て揺るぎない瞬間を保たないといけない。
鈴は賢明だった。いや、懸命だっただったのかもしれない。
鈴は幼少の頃愛用していた小さな長靴に編んだ紐でアンクレットのように付けてあった。
今でも何にでも鈴がついている。
今は無き本屋の駐車場で、誰かが落とした鈴が不憫で連れ帰ったこともある。今はバイクのキーに付いているので、守ってくれて昨年バイクで転倒したときも4針縫うだけで済んだのかもしれない。
鈴の注意を2度訊かなかったから叱られているのだ。
大きな音で教えてくれたのに。
『私には関係ないこと』そういうことには関わらないのが一番いい。
注意することはひとつ。『周囲の人間は何もしない』と声をあげる人間にはろくなのがいないということ。
どうして周囲が黙っているのか考えが及ばない未熟さがあるということ。
気持ちの片隅に『本当にそうかな』と、思うときがあったが、状況も逼迫していたので見えないふりをして強行してしまった。これが全てにおいて傾く一端である。
今は、当時原因者だった人間が馬鹿にしている人たちに少しずつ支えてもらっている。
当時『何でああいう人と付き合っているのか解らない』と、横暴なことを言われていたがはっきりした返事はしなかった。こいつには理解できないだろうと解っていたから。
安定したものは見逃してはいけない。
魅力的ではないのかもしれないが私には解る。
手放さなくて良かったと言える日が来ることも想像していた。
『私には関係ないこと』そうやって切り捨てて踏みにじる。私の人生には要らない要素だ。少ししたら顔を見ても名前すら思い出さないかもしれない。
そのくらいの強いまじないである。
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