日々の事から

日々のあれこれ
by Kirari

そうなのだ。

2017-01-29 17:52:42 | 日記
先日、ラジオで相談していた人が、私と同じようなことで悩んでいた。
本人はコミュニケーションがうまく取れないと言っていたが、親が子供をみとめなかった同様の事例であった。

親が、自分がやったことをみとめてくれなかったおかげで着地点がわからない。
他人がいいねーというものをいいと思えない冷たい視線になってしまう。
他人との会話も上を目指して行きすぎて、話す人が徐々にいなくなる。

私の親も、私が『これはいいなあ💗』と言っていたら、『そんなものがいいのか』と、鼻で笑ったこともある。
相談者のように試験に落ちて世間体を優先する場面はなかったが、言動はそういうことばかりだった。やる前に釘を刺してくる。
転ばぬ先のつえではない。行動を阻害するものでしかない。
小2の時にひらがなの『の』が下手だと言って散々やられた・・まだ忘れられない。40年も経つのに。

私は子供には個人をみとめ、子供が作るもの描くもの褒めて育てた。
大学生の今はしっかりした人間になってきたと感じる。
自分でいいと思うことは非常に大切である。

子供は、私の母にものを教わる機会があったが、あんなとこでは育ちたくないと言う。
自分のレベルを否定されけなされ・・それはもう苦痛でしかない。
自分ができる人間でもないのに他人のできなさをあげつらう日々。孫さえ嫌気がさすのだ。

本当に長年それに関わった私たちの心労の大きさと言ったら・・
愚兄も少なからず犠牲者である。
今さら後悔して謝られる時もあるが、もう確立してしまったのだ。

その、ラジオ相談を受けたカウンセラーも、自分が完成されなかったから今の悩みがあることを伝えていた。
最後、視点が逆になってしまったからちょっと理解できなかったが、他人がいいと言うものを取り込んでいけば自分の価値観をがしっかりするとか?
私は、自分の好きなものが好きと思って固めた方がいいと思うけど。
でも、それでは、他人の言うよさを見下す可能性もあるから理解できるないかな?
よくわかんないな。

私はもう自分の良さ優先である。
そうブレずにいこうと思っている。



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