はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

黒棗の実 3

2018年06月23日 09時48分19秒 | 黒棗の実
巫は、罪人として、後ろ手にきつく縛られて、牛に乗せられてきたが、しかし、その表情は、怯えた者のそれではなく、むしろ、己に好奇の眼差しを向けてくる者たちを、嘲うほどの余裕があった。
一方、そんな余裕がないのは王恵のほうで、手にした馬の鞭を、いまにも巫に打ち下ろしかねない勢いである。
允は、父やじいやと一緒に外に出て、昨日、山であったばかりの巫を、恐怖と驚きのいりまじった顔で見上げた。
巫が、安と一緒にいるのを見た者がいるという。
王の妻もいなくなっているということであるから、巫がなんらかの手引きをして、二人をどこかへ連れ去ったのだと考えるのが、妥当なところだろう。

王恵は、巫を牛の背のうえに残したまま、門先にあらわれた董和のところへ走り寄ってきた。
「都尉どの、この者が、わが身重の妻と、跡取り息子を、かどわかしたようなのです。ぜひに取り調べのうえ、きつい処罰をくれてやってくださいませ」
董和は、そのことばにはすぐに答えず、いまは薄汚れてしまった白い衣をまとう、牛の背のうえからおのれを見下ろす巫を見上げた。
允は、その背中に隠れるようにしていたが、そっと覗くと、巫と目が合ったような気がして、あわてて顔を隠した。
「この者が、貴殿のご子息を連れていたという話は、まちがいのないところなのか」
「まちがいないことですとも。一人や二人ではない。何人もが、安によく似た子と、この巫が一緒にいるところを見ているのだ」
「奥方も姿が見えないとか。奥方も一緒であったというのなら、話はわかるが」
「いいや、妻の姿は、だれも見ていないという」
王恵のことばに、事情を知りたくて集ってきたひとびとの中から、不穏なざわめきが起こった。
もしや、人攫いに、子供だけは連れ去られ、奥方さまは殺されてしまったのではあるまいか。
董和は、集ってきた人々の声を制するように、声を張り上げた。
「みな鎮まるがいい。ここは裁きの場ではない。話はわかった、さっそく、取調べをおこなうとしよう。この者は、我らで預かるゆえ、貴殿らは通達を待つように」
「いますぐ取り調べていただけるのではないのですか」
不服そうに王恵が言うと、董和は厳かに告げた。
「奥方たちがいなくなってから、まだそう日がたっておらぬゆえ、無事をたしかめるためにも、まずは裁きより、人を割いて、お二方を探すことを最優先にするべきだ。
詮議のほうは、通常通り構成にするゆえ、安心するがいい。緊急であるからといって、この場で略式に取り調べるというわけにはいかんのだ。この者が、たしかに奥方とお子を拉致したのだという証拠は、いまのところ目撃証言だけなのであるからな」
「悠長なことを。そのあいだにも、妻と子になにかあったら、どうしてくれるのだ!」
苛立って、声を上げる王恵に、董和は、あくまで冷静に答えた。
「お二方の探索は、わが部下も加わらせる。この場で裁きを行うわけにはいかぬと申しておるのだ。判っていただきたい。さて、巫を引き取ろう」
董和が言うと、王恵はしぶしぶと、巫を董和の部下に引き渡した。





静かな田舎町は、県令の奥方と子供の失踪に騒然となり、手の空いているものは、すべて二人の探索に借り出された。
県令はいやなやつであるが、奥方は、もともと巴東の旧家の娘である。
ひとびとは、小さい頃から見知っている奥方の行方を、心配したのである。
ぽつぽつと、見たことがあるという証言が集ったものの、失踪したという日にちよりもずっと前のものばかりで、安が寝込んでいたので、母子が外に出られるわけがなかったのだから、それは人違いであろうと処理された。

董和は、役所から帰ると、疲れているのか、渋い顔をして、食もあまり進まないようである。
じいやは、凝っていなさると、気の毒がりつつ、董和の肩を揉んだ。
「あちこちと騒ぎになっておりますね。塩の密売人などが世を騒がすことなどはよくありますが、このあたりで、女子供をねらった人攫いなど、滅多にないことでございます。たちまでも、日が落ちる頃には、もう子供を表に出さぬように注意しているようでございますよ」
「とて、子を想う気持ちには変わらぬ。どのような身分の者の子であろうと、これ以上、攫われるようなことがあってはならぬ。下手人は、かならず捕らえて厳罰に処してくれる」
と、珍しく言葉を荒げる董和であるが、ふと、息をついて、ぼやくように言った。
「王県令にも困ったものだ。妻子はまだ見つからない、きっと巫が売り飛ばしてしまったにちがいない、拷問にかけてしまえと、しつこく催促してくるのだ」
「土地の者たちは、奥方さまには、たいそう同情しているようですよ。奥方さまがあの県令に殴られているという話は、ここで知らぬ者はおりませぬ」
これ、と、董和は、允のそばにいることを気にして躊躇った。

允は、董和が帰ってくると、その側で、書を読んだり、大人たちの話を聞いたりして過ごす。
書を読むのは、あたらしい知識を得られることが嬉しいからであり、大人たちのむずかしい話は、まだよく知らない世間の輪郭が、なんとなくつかめるのが楽しいからである。
董和もふくめ、大人たちは、この行儀のよい、おとなしい少年に、ほとんど注意を払わなかった。
存在感がないというよりも、允のもつ雰囲気は、飾られた花のように、自然に場に溶け込むものであったからだ。

「父上、その話なら、安くんから聞きました」
「なんと、そうか。王恵は、子の前で、妻を殴っているのか」
と、董和は、ぎゅっと顔をしかめた。
「なればこそのことかもしれぬ。王恵の使いが来るよりも頻繁に、役所に、土地の者たちが詰め掛けてくるのだ。
あの巫は、この土地の者ならば知らぬ者がないほど優秀な巫である。命を救われた者も多い。悪い霊と付き合いのある巫ではないので、子供を攫ったとは信じられない。きっと、あの県令が、妻子が邪魔になって殺してしまったのだ、といって、巫を助けてやってくれと陳情に来るのだ」
「それはまた、憶測にしては、具体的な話ですな。たしかに県令は、評判のわるい男ですが、妻子を殺めるような真似をするでしょうか」
「わたしもそう思う。あれは、威張りたがりだが、小心者だ。だが、評判が悪すぎる。巫のほうは、獄卒たちも、むかし世話になったことがあるとかで、祟りを恐れて、その身に触れることも恐れておる。
己が恐れられているとわかっているのだろうが、巫が大人しくしてくれているのが幸いだ。自害などされては、大変な騒ぎになってしまうからな」
「うさんくさい巫のほうが、評判がよい、というのは面白いものですな」
土地の者を、すこし小莫迦にするようにじいやが言うと、董和は、首を振った。
「じいや、巫というものは、古来より医巫同源といって、医者と同様に見られていたのだよ。ここは山深いところゆえ、中原の医術をおさめた医者も、寄り付かぬ。土地の者にとって、巫は、たいせつな医者でもあるのだ。敬われて当然であろう」
たしなめられて、じいやは決まり悪そうにしながら、そういうものでございますかね、と、卓の上の白湯を入れた器を片づけた。
「父上、巫は、なぜ里に住まないのですか」
「山の霊気を得るためということであるが、山に生える薬草を採って、清水で薬をつくるためにも、山に住んでいたほうが、都合がよかったのであろう。医学がいまほどに発達していなかった昔には、おいしい水そのものが、薬として重宝されていたのかもしれぬ。
その証左というわけでもあるまいが、霊山と呼ばれ、信仰される山には、名水と呼ばれるおいしい水がおおく湧く。各地に巫の名の残る山は多いが、それは古来より、巫が山を住処とし、ひとびとの健康をもまもる、なくてはならぬ存在であった証だ」

父上は、なんでもご存知なのだと、允はあらためておどろいた。
そして、籠いっぱいに薬草を摘んでいた、巫のことを思い出していた。
男とも女ともつかぬ、魅惑的な妖気を漂わせている巫であった。
たしかに、里にはなじまぬ、異界に暮らす者である。気も遠くなるほどむかしから、脈々とつづく、巫の伝統を、あの者が継いでいるのだ。
允は、子供ごころに、もしかしたら、あの巫が、人さらいだとしたら、自分も攫おうとしていたのかしらと怯えた。
と、同時に、安を見たことを、いくら巫と約束したとはいえ、父に黙っていてよいものかと悩んだ。
とはいえ、約束を破るのはいけない。
約束を交わすかわりに貰った黒棗の実は、もう半分も、腹の中におさまってしまっており、残りは、錦の袋にはいったままである。
それに、喋ってしまえば、あの巫が罪人として処罰されるのは確実になるだろう。
その重さに、允はおののいていた。

そわそわと落ち着かなくしていると、董和が目を開き、言う。
「允や、最近、あまり腹を下さぬようだな。ずっと水っ腹がつづいていたから、おまえには、ここの土地が合わぬのかと心配していたのだが」
允は、董和が言うように、たしかに巴郡に来てから、ずっと下痢をつづけていた。
ひどいものではないのだが、原因がわからず、いつも腹の調子を気にしなくてはいけないので、食事をつくるじいやが困っていたのである。
それがここ最近、調子がよいのは、巫のくれた黒棗の実のおかげなのであった。
「わたしは、おまえに聞かねばならぬことがあるのだが、その前に問おう。おまえは、わたしに、言いたいことがあるのではないかね」
いきなり指摘を受け、允はどきりとしたが、それでもまだ、迷っていた。
父のことは大好きであるが、巫との約束を破るわけにもいかない。
もじもじと迷っていると、董和は、息をついて、それからどぎまぎしている息子に、まっすぐ力強い目を向けて言った。
「允や、おまえ、王県令の令息がいなくなったことについて、なにか知っているだろう。令息がいなくなった日、おまえは市場で、安に似た子を市場で見かけて、山まで追いかけたと言ったな」
「申しました」
咽喉がからからと渇いていたが、允は父の目線から、目を逸らすこともできず、頷いた。
「よろしい。重ねて尋ねるが、おまえは、なぜ巫は里に住めないのかと尋ねたな。巫が山に住まうものだということを、おまえはどうして知ったのだね。わたしはなにも話をしておらぬし、じいやもあのとおり、このあたりの習俗には詳しくない。だれに聞いたのだ」
「それは」
ちらりと、適当な名前をでっちあげて、嘘をついてしまおうかと思ったが、父の目を見てれば、そんな勇気は出なかった。
口ごもる允に、董和は畳み掛けるように言った。
「言いたいことがあるのだな、允。もしや、おまえは、あの巫を知っているのではないか」
ずばり言い当てられて、允は、はっとして顔を上げた。
「なぜにお分かりなのですか」
と、言ってしまってから、約束を破ってしまったことに気づき、允はあわてて口を塞いだが、もはやあとの祭りである。
董和に、なぜいままで黙っていたのかと責められて、允は、泣きながら、結局、仔細をすべて父にあきらかにしてしまった。

つづく……


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