はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

黒棗の実 4

2018年06月23日 13時49分51秒 | 黒棗の実


「安という子と顔を合わせたことはないが、あまり丈夫なお子ではない、と聞いたが、そのとおりかね」
「はい。お母上が心配なさるというので、いつも屋敷のなかで遊んでおりました」
「王家の家令の女房の話だと、安は寝込んでおり、奥方は、そばにだれも寄りつかせずにいるということだな」
「はい。おばあさんは、もう良いのではないかと思っているが、奥方さまは、わたしに悪い霊が移るといけないと心配しているので、安くんとはしばらく遊べないとおっしゃっていると教えてくれました」
「おまえは、奥方と顔をあわせたことはあるかね」
「はい。一、二度だけ。でも、近くで見たことはございませぬ」
「家令の女房の話では、二人が失踪する前に、巫に祈祷を頼んだということだな」
「そう申しておりました」
頷いてから、允は、もしや、王の屋敷に祈祷に行ったのは、あの巫だったのではないかと思いついた。
祈祷に行ったついでに安を攫い、山に隠れていたが、允と会ってしまったので、逃げ出したのではないか。
いや、そうなると、日数が合わないのだ。
巫が祈祷したあとも、奥方と安は、屋敷にいたのである。
屋敷にいたからこそ、允と遊ぶことはまだできないと、奥方は家令の女房に伝えることができたのだから。
「巫は、令息に似た子を知っている素振りだった。そして、自分とその子供が、同じく獣子だと言ったのだな?」
「はい。父上、けものごとは、なんなのですか?」
それには答えず、董和は、允の話を聞いて、しばし深く考え込んでいたが、やがて目を開き、立ち上がった。
「允、出かける支度をしなさい」
「もう日が落ちておりますのに、どこへ行かれるのですか」
「よいから、ついてきなさい」
允は、怒られて拳骨をくらうだろうと思っていたのに、思いもがけず出かけるといわれて、わけがわからなかった。
そうして、やはり同じく、こんな夜更けに出かける父子に、不平をもらすじいやをあとに、馬車を転がせて、いまだ王の妻子を探して、あちこちで星のように焚き火のあかりが闇に浮かぶ街に、繰り出すこととなった。





あたりは真っ暗で、なにやら不気味な野鳥の声が、轍の上をいく車の音の合間をぬって聞こえてくる。
允がちらりと横を見ると、月明かりに浮かぶ董和の顔は、固くこわばっていた。
やがて、馬車は、允の知らぬ、大きな屋敷の前に停まった。
門衛がいる立派な屋敷で、私兵をかかえているところから見ても、相当な権勢家だということがわかる。
董和は、己の身分を明らかにしたうえで、家人に取次ぎを願った。
允も一緒に行こうとしたが、董和が頼んだものらしく、家人がやってきて、坊ちゃんは、一緒にこちらで遊びましょうという。
董和は、允を置いて、老いた家令に導かれ、屋敷の奥へ行ってしまった。
家人としばらく遊んでもらっていると、やがて、董和は出てきた。
一人ではなく、家の主人らしい、巴族の神である白虎をあらわす模様の織り込まれた、豪勢な絹の衣を纏っていた。
允が驚いたことには、出てきたその初老の立派な風貌をした男は、顔を赤くして、すこし泣いていたようである。
父上がいじめたのかしらと心配していると、董和は、すこし悲しそうにして、不安な顔を向けてくる息子に微笑むと、連れ立って、またも外に出て行った。

やがて、父子は、父の職場である役所へやってきた。
詰め所にいる兵卒たちが、董和の姿を見ると、あわてて出てきたが、董和は、自分が来たことは、内密にしてほしいと告げ、兵卒長とひそひそと話し合うと、まっすぐ役所に入らず、そのまま、牢へと向かっていく。
允は、もしや、嘘をついた罰として、自分は入牢させられてしまうのではと怯えたが、父は、身をすくませた息子を笑って、背中を軽く押すと、一緒に来るようにと言った。
果たして、やってきた牢は、巫のいる牢であった。
董和は、王恵の催促は無視して、巫を拷問にかけるような真似はしていなかった。
すこし面やつれをしていたけれども、そのやつれた様が、また巫から、人間らしさを奪っており、允には、ますます妖怪じみて見えた。
びくびくとして、父の背中にぴったりとくっつくようにしていると、董和は、息子に言った。
「允や、よくこの巫をご覧。この顔をよく見るのだ。王県令の奥方に、似てはおらぬか?」
言われて、允はびっくりした。
巫は、あらわれたのが允だと判ると、山で見たときと同じ、なんとも妖艶な笑みを向けてきた。
その笑みに魔力が込められているような気がして、あわてて允は、ふたたび父の背中に隠れてしまう。
その様子に、一緒についてきた兵卒長が、坊ちゃんは子犬のようだといって笑った。
子犬だといわれて傷ついた允は、促されるまえに、ふたたび巫の顔を見た。
巫は、どこか挑発しているような、傲然とした笑みを允にまっすぐ向けてくる。
蛇のようだと思いながら、允は顔を見つめ、そして、父に言った。
「はい、この顔は、奥方様にすこし似ております」
「そうか。両方を知るおまえがいうのなら、まちがいない。巫よ、おまえと県令の夫人は、双子なのだな」
すると、篝火をかかげていた兵卒長が、そんな莫迦なと言って笑った。
「都尉殿、双子というものは、鏡をふたつ並べたように、よく似ているものでございます」
「そうだ。しかし、男と女ならば、面差しは、さほど似ることはない。獣子とは、双子を忌み嫌って呼ぶ名である。おまえが、允に漏らしたとおり、おまえと県令夫人は、双子の兄妹なのだ」
反論したのは、またも兵卒長であった。
「都尉殿、それもおかしい。たしかに、世には獣腹といって、双子ができることがあるが、たいがいは、男は家を継がせるため、手元におき、片方は、養子に行かせるなどするものだ。女を残し、男を外に出すなど、順序がおかしいではありませぬか」
「我ら漢族は、いまはそうする。しかし、昔は、家内安全と一族の繁栄を祈願して、生まれた長子を、川に生贄として流したのだよ。いまではだれも行わないこの残虐な風習は、じつはひそかにこの地に残っていた。
もちろん、みながみな、そうするわけではない。獣腹として生まれてきたために、古い風習にならって、おまえは捨てられたのだ」
巫に糾すと、巫は、笑みを口はしに浮かべつつ、董和に答えた。
「じつに我らのことに詳しい口ぶりをなさるが、わたしが県令の奥方の兄など、どうしてわかるのです」
「おまえの両親に、さきほど話を聞いてきたのだ。獣腹だと隠して、生まれた子は養子に出すつもりであったが、出産の時に親族に知れてしまい、守りきれず、川に流されてしまったのだと。しかし、おまえは運良く拾われ、生き延びた。ちがうか」
董和が決め付けると、巫は、すこし声を漏らしたが、それは諦めの混じったものであった。
「長く隠してきたものを、とうとう外に知られてしまったか。連れてこられてより、わたしが巫だというので、みなが恐れて触れようとしなかったのが幸いでした。今日まで、男だとばれなかったのですから」
「認めるか」
「認めましょう。たしかに、わたしは、あの偏狭な男に、哀れにも嫁してしまった女の兄。この身は、生まれてすぐに、たしかに川に流されはしたものの、運良く漁夫に拾われたのです。しかし、その漁夫は、わたしを養うことができなかった。そこで、山の巫女がわたしを引き取って、育ててくれたのです」
「おまえは成長し、山の巫女におのれの出自を知らされた。そして、両親や妹に再会した。両親は、おまえが、県令の夫人と、そう似ていないので、ふたたび家に引き取ろうとしたが、おまえは断ったのだな」
「そのとおり。わが身は、一度は捨てられ、長く山の霊気を浴びて成長したために、もはや里には馴染まぬのです。しかし家のことは常に気をかけておりました。両親や、妹も、わたしが不便のないように、いろいろと手を回してくれましたし、もとよりこの地においては、巫は尊敬こそされ、侮られることはない存在。ずっと、平穏に生きていたのでございます。しかし、それも妹が県令に嫁すまでのことでございました」
巫の、笑みを刻んだ仮面をかぶっているような顔が、県令のことに及ぶと、鬼のように険しくなった。

「我らは、ただ同じときに生を受け、同じときに生まれたというだけで、獣子などといって蔑まれておりましたが、あの男は、正真正銘の獣でございます。妹を娶っても、巴の女と軽蔑し、常日頃から罪のない妹に暴力をふるいつづけておりました。それがひどくなったのは、妹が安たちを産んだときからでございます」
「安たち、か。つまりは、生まれた子供もまた、双子であったのだな」
「双子は、なぜだか双子を生むことが多いのです。あの男は、獣子を産んだ、俺に恥をかかせるつもりかと、妹をひどくなじり、安の兄弟を殺せと言いました。
妹は、咄嗟にわたしのことを思い出し、同じく殺してしまうならば、山に生贄として捧げてくださいとあの男に懇願したのです。さすがに、あの男も、自らの手でわが子を殺すことにためらいがあったのでしょう。
子供は、山に捨てられ、あらかじめ人を通して妹より連絡を受けていたわたしが、甥子を、こっそりと拾い上げたのです。
しかし、以来、県令は、妹をますます蔑むようになり、外で派手に遊ぶようになりました。妹は、それでも辛抱をつづけておりましたが、考えを変えたのは、二度目の懐妊がきっかけでございました。
腹が大きくなるにつれ、二度目に宿した命もまた、双子らしいということがわかったのです。当然のことながら、最初の子供の遭難が思い出され、また、腹の子も、同じ目に遭わされてしまうのではないかと恐れるようになりました。
そうして、子を守るためにも、このまま県令の妻として留まることは出来ないとわたしに打ち明けました。
とはいえ、相手は県令。兵を動かせますから、ただ逃げただけでは、すぐに捕まってしまうでしょう。
そこで、わたしは知恵を働かせました。ならば、県令の目を晦ませてしまえばよい。
県令は、女遊びがこのところひどく、妹と顔をあわせることを避けておりました。そのことを逆手にとり、わたしは安の病気の平癒と口実を設け、もう一人の甥…これは平というのですが…と一緒に県令の屋敷に入り込み、安や妹と入れ替わったのです。
家人たちは、さすがに騙しきれないので、悪い霊が乗り移るといけないからといって、遠ざけることにして、妹たちが、この地から十分離れることができる日数を稼いだのでございます。
屋敷を出るときは、変装を解いて、出て行きました。そして、平とともに、妹たちを追うつもりでありましたが、旅に必要な薬草を集めるのに、思いのほか時間が掛かってしまい、妻子が消えたことに気づいた県令に捕らえられてしまったのです。
平はうまく立ち回り、ひとりでなんとか逃げおおせたようですから、いまごろは、おそらく実母や兄弟と一緒にいることでございましょう」

董和も、允も、兵卒長までも、巫の話に、言葉を失った。
允は、獣子だと自分を説明した巫に同情したし、兵卒長も、董和も、おなじく、巫と県令の夫人をめぐる数奇な話に、心を動かされたようであった。
父上は、どうされるであろうと、允はどきどきした。
巫の話を明らかにしてしまえば、県令は、やはり妻子を捕まえてしまうだろうし、生まれてくる子がどんな扱いを受けるか、わかったものではない。
とはいえ、巫は現実に牢に捕らわれているのだ。
このままにしておくことはできないだろう。

不意に、董和が大きな声で言った。
「ああ、疲れた。こんな夜更けに、馬車を運転したのがいけなかったのかも知れぬ。どうしたことか、目が見えなくなってきた。わたしはもう帰るぞ」
允は、父が何を言い出したのかとびっくりした。
しかし、隣の兵卒長は、にやりと、悪そうな笑みを浮かべている。
董和は、ぼやきをつづける。
「こういうときは、なにがあってもわからぬものだ。たとえば、牢の鍵をだれかが落としてしまっても、なにも判らない。ああ、そんなことになったら恐ろしいな。しかし、世の中は、なにが怒るかわからぬところゆえ、そういうことが、たまたま今夜おこるかもしれぬ」
「まったく、そのとおりでございます」
と、言いながら、兵卒長は、奥に控えていた獄卒を手招いて、鍵を奪うと、無造作に、巫の前に投げた。
「それがしも目が眩んでまいりました。詰め所に戻って仮眠でもとろうかと思います」
「それがよい。西の門の兵卒も、すべて休ませておくのだ。さあて、允や、父と一緒に帰ろうか。おまえも、今宵のことは、なにも覚えておらぬ。よいな?」
「はい!」
うれしくなって、元気よく返事をする允であるが、ふと、気づいて、唖然としている巫の前に立った。
そして、錦の袋を、鍵の隣に置く。
「秘密だと念を押されていたのに、わたしは秘密を守れなかった。もう半分しか残っていないのだけれど、これは返すよ。さようなら、安くんに、元気でと伝えておくれ」
巫の返事を待たず、允は父を追いかけて、一緒に屋敷に戻った。
その夜は、とてもぐっすりと眠ることができた。





翌日は、役所は大きな騒ぎとなった。
捕らえていた巫が、一夜のうちに消えてしまったのだから、当然である。
王恵は怒り狂って、どういうことかと董和を責めたが、董和はそらとぼけて、
「巫であるゆえ、姿を消す術でも心得ていたのではないか。そうなれば、いかに万軍の兵で見張っていようと、これを閉じ込めておくのはむつかしかろう」
と答えた。
王恵は、このことは、必ずや、成都のお偉い方に申し上げるといって、息巻いて去って行った。
その背中を見送りつつ、
「ああ、また成都が遠くなるな」
と、董和は言ったが、口ぶりとはうらはらに、その顔は、してやったりの笑みで溢れていた。


巫を逃したというので、さすがに巴一帯の董和の評判も、一時悪くなったのだが、しばらくして、劇的に、評判は上向いて、以前にも増して、董和はひとびとから慕われるようになった。
その原因は、山のほうから聞こえてきた噂によるものらしい。
どうやら山に住まう巫女たちが噂の元らしかったが、だれも、その明確なところは口にしようとしなかった。

つづく……


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