はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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臥龍的陣 雨の章 その20 壺中

2022年06月22日 10時11分23秒 | 臥龍的陣 雨の章
今まで起こった出来事が、なにひとつうまく繋がらない。
殺された娼妓、
娼妓を殺したという狗屠、
その風狗を追って許都からやってきた夏侯蘭、
夏侯蘭を殺そうとした斐仁、
斐仁の家族は皆殺しにされ、
斐仁はそれが趙雲のせいだと思い込む。

ぎん、と刃と刃が組み合った。
力のぶつかり合いになり、趙雲と斐仁はしばらく真正面からにらみ合う。
「斐仁、聞け。おまえの家族はおれがここに来る前に、もう死んでいた。それに、なぜおれがおまえの家族を殺さねばならぬのだ!」
「知れたことを! こちらも迂闊であった! 劉備のすぐそばに、『壷中』の人間がいるとはな!」
「壷中?」
「いまさら、シラを切る気か!」
斐仁の、その中年太りの兆候さえみせはじめている身体のどこから力が出たのだろうと、不思議に思うくらいに強い力で、趙雲は跳ね飛ばされた。
すぐさま斐仁の刃が、脳天めがけて降ってくる。
これをかわすが、斐仁の攻撃は止まない。
じりじりと、中庭に追いつめられる形で刃を避けていく。

もはや、どんな言葉も、怒りに燃える斐仁の耳には届かない。
何を考えているのかわからないと、仲間内で評されていた男が、はじめてはっきりと表現した感情が、殺気と怒りであった。

ふたたび、刃が繰り出される。
趙雲は中庭に面した廊下の柱に手をかけて、それを支えに、大きく身体を逸らせると、その反動を活かし、欄干に登った。
さらに足をめがけて斬りかかってきた斐仁の刃をかわし、そのまま斐仁に飛び掛る。
地面にもんどりうった斐仁の剣を持つ手首をまず押さえ、つづいて、膝で、両肩を押さえこむ。
それでもなお、斐仁は抵抗をやめなかった。
「聞くぞ。『壷中』とはなんだ?」
「たわけたことを。貴様がそうであろう! ぬかったわ。貴様も、もとは貴門の出。連中同様、下賤の者は、虫けら同様に扱える人間であったな。おれを口止めしただけでは足らず、恐ろしくなっていまさら命を奪おうというのか! 昨夜の刺客は、貴様が放ったものであったのだな!」
「刺客?」

そこへ、表のほうから叫び声が聞こえた。
「子龍どのっ、いずこにおられるか!」
陳到であった。
趙雲は、思わず陳到のいる方向へ顔を向ける。
ほんの一瞬、力が弛んだことを逃さず、斐仁は趙雲を突き飛ばし、その手から逃れた。
「待て!」
「これは何が起こったのですか」
といいながら、入ってきた陳到は、すぐに口をあんぐりと開けて、凍り付く。
カラスのごとくひらりと身を飛び上がらせ、斐仁が屋根に上ったのだ。
「斐仁、おまえ、足は? そして、何事だ、これは!」
「ふん、陳叔至も仲間か。ずいぶん騙されてきたものだ。趙子龍、この仕打ちは決して忘れぬぞ。この復讐はきっとする。おぼえているがいい! 襄陽の仲間に、目に物みせてくれるわ!」 
言い捨てると、斐仁は霧雨の降る夜の闇の向こうへと飛び去っていった。

「いま、奴は、襄陽、と言ったのか?」
「はい、それがしもそう聞きました。子龍どの、これはいったい、何事でございますか? 斐仁に、何事が起こったのです?」
「わからぬ」
さっぱりわからない。
足を悪くした、有能な部将。
そう思っていただけに、今夜の豹変ぶりは趙雲の混乱をさらに深めた。
子沢山で養うのが大変だと、笑いながらこぼしていた男と、さきほどまで、鬼神の形相で刃を交えた男が、同一だとは思えなかった。
「ともかく、ご無事でなによりでございました。お一人であったのは、残念ですが」
そういわれて、ようやく趙雲は、陳到の家に置いてきた夏侯蘭を思い出した。
趙雲の表情で、察したのか、勘の良い陳到は、ぱっと平伏し、問われる前に答えた。
「申し訳ございませぬ。目を離したわずかな隙に」
「逃げたのか」
「五石散の毒にやられていると見くびっておりました。しかしあの症状はほんもの。遠くまで逃げることはできまいと追ってきたのですが」

五石散の中毒は長いとされる。
人間が罹りうる、ほどんどの病の症状が、一気に吹き出たのではないか、というくらいにはげしい苦しみがその特徴だ。
手足のしびれ、頭痛、嘔吐はもちろんのこと、下痢、幻覚、眩暈、高熱と、身体の自由を奪うのに十分な症状がいっせいにあらわれるのだ。
逃れるためには五石散の毒が抜け切るまで歩き回るほかない。
そんな身体で、どこへ行ったのか。

斐仁が言った『刺客』とは、夏侯蘭を指すのか? 
とすると、『壷中』とは、曹操と関わりのある組織なのか。
だとすると、襄陽城がなぜ出てくる。
劉表の居城である襄陽城が…

嫌な予感がした。
それまでにない、不吉で重苦しい予感であった。

「叔至、おまえは夏侯蘭を探してくれぬか。おれは、斐仁を追う。おそらく襄陽へ向かったのだろう」
「御意。お気をつけめされよ、子龍どの。どうも嫌な予感がいたします」
「うむ。万が一にそなえて、おまえも家に護衛をつけておけ。それと、おれが留守のあいだ、軍師の御守りをたのむと関羽につたてくれ」
「それがいちばんの大仕事ですな。関将軍が渋るさまが、いまから目に浮かびます」
すまぬ、と言い捨て、趙雲は、その足で陳到の屋敷につないでいた愛馬を引き出し、襄陽へと向かった。

つづく


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