はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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臥龍的陣 雨の章 その15 雨の中の本性

2022年06月01日 08時58分57秒 | 臥龍的陣 雨の章


そうして、趙雲の命令により、主だった、手の空いている役人すべてが集められ、人攫いを探すため、新野の周辺の、怪しげな場所…妓楼や闇市など、ありとあらゆる場所を探索することとなった。

趙雲にとっては、都合がよかった。
どこかに隠れている夏侯蘭も、これで探しやすくなる。
そうして、人攫いを探しながら、趙雲は夏侯蘭の姿を求めて、新野じゅうを移動した。

雨を避けるためにかぶった笠の、その隙間から、しずくがぽたぽたと垂れて鬱陶しい。
朝のうちから降り始め、しばらく霧雨であったものが、正午を過ぎたあたりから、本降りになってきた。
しばらく馬を走らせていたのだが、ひずめが泥濘にとられてしまうといけないので、途中から馬を降り、見知った新野の街を移動する。

雨の帳がかかっているためか、新野の街はどこか暗く沈んで、よそよそしく感じられる。
その様は、否が応でも、易京の記憶を刺激する。
あのときも、こんなふうに雨が降っていて、息を詰めるようにして街を歩いていた。
 
「む?」
一瞬。
ほんの一瞬であったが、街角を、女の影が過ったように見えた。
女の纏う領巾が、この雨にもかかわらず、揺れて、まるで趙雲を誘っているように見えたのだ。
ばかな。
おのれの空想を哂って、そのまま忘れようとする。
だが、本能とも言うべきなにかが、女を追いかけろと頭の中で告げていた。
相手は女。
仮に関係なければそれでいい、追ってみよう。

趙雲は、女の影を追って、ぬかるんだ道の路地をまがった。
そこは行き止まりになっていた。
突き当りの土塀の前で、だれかがうずくまっている
女ではなかった。。
曇天のもと、したたる雨のなか、光るものが目に飛び込んできた。

「阿蘭!」
だれかが、ぬかるみに倒れる夏侯蘭に挑みかかり、白刃を振りおろそうとしている。
ぬかるんだ地面に倒れているのは、見まちいがえようのない、剃り上げられた頭、派手な色合いの着物、形も色もまちまちな装飾品。
夏侯蘭だった。

趙雲が声をかけても、夏侯蘭は倒れたまま、身動きひとつしなかった。
一方、夏侯蘭の身体に馬乗りになっている男は、趙雲の声に反応し、びくりと振りかえる。
その顔に驚愕し、趙雲は思わずさけぶ。
「斐仁!」
笠をかぶっていたが、まちがいない。
陽のない路面のうえで、斐仁は、振りあげた白刃を宙にとどまらせたまま、趙雲のほうを見て、ちいさくうめいた。
「貴様、なぜここに!」
趙雲が駆け寄ると同時に、斐仁は、夏侯蘭の身体から離れた。
つかまえようとしたが、普段の斐仁とは別人のような身のこなしで、素早く背を向ける。

「おまえ、足は?」
かつて劉表の元で働いていたときに、怪我をして、片足が利かなくなった。
だからいつも足を引きずっている。
そういう話ではなかったか。
だから、官給品のしまってある東の蔵の整理をまかされていたのだ。

だがいまの斐仁の足は、どこにも問題がなかった。
それどころか…
民家の土壁に追い込んだ。
行き止まりである。
仲間もいない様子だ。
「斐仁」
声をかけると、笠をかぶったままの斐仁は、ゆっくりとこちらに顔を向けた。

特徴がないことが特徴の、どこにでもありそうな細目の顔である。
雨に濡れたせいか、それとも殺しが失敗したせいか、顔色は蒼い。
だが意外なことに、その顔には、なんの表情もなかった。
狼狽も怒りも悲しみもない。
目を逸らすわけでもなく、見つめるほうが気おされるほどに、真っすぐにこちらを見ている。

背筋が、ぞくりとした。
どうやら、自分は、七年の長きにわたり、斐仁という人物を、おおきく見誤っていたらしい。
これは平凡な兵卒の顔などではない。
熟練の刺客の、それではないか。

反射的に、剣に手を伸ばした趙雲であるが、趙雲がうろたえていた、そのわずかな隙を、斐仁は見逃さなかった。
土塀に背を向けた姿勢のまま、鳥のようにぱっと飛び上がり、土塀の上に登る。
おどろくべき身のこなしであった。
そうしてそのまま、くるりと向きを変え、向こうがわへと消えてしまう。
趙雲は、すぐさま追おうとしたが、夏侯蘭の様子が気にかかった。
振りかえると、夏侯蘭は、いまだにおなじ姿勢でいる。
ちょうどあおむけになって、雨に打たれるがままになっている。

だが、様子がおかしいのが知れた。
「刺されたか?」
別れ際に、縄標で攻撃されたことを忘れ、趙雲は、かつての旧友のところへと駆け寄る。
激しく打ちかかる雨と、夕闇の迫っている暗さのために、近づかないと、怪我の有無がわからない。
夏侯蘭の身体は震えていた。
寒さのためにしては、震え方が激しすぎる。
よく見ると、雨に塗れた顔の、目も口もうつろに開かれて、正気を失っているのが知れた。
趙雲は舌打ちした。怪我や病での震えではない。
五石散だ。

妓楼のなかには、不老不死の霊薬と称して五石散を客に勧めるところがある。
夏侯蘭が、どこに隠れていたかは想像するしかないが、妓楼かどこかだろう。
そして、そこで五石散を飲用したらしい。
そこへ、人攫いを捜しにやってきた兵卒たちがやってきた。
正体を知られたくない夏侯蘭は、あわててここまで逃げてきたにちがいない。
そこを斐仁に襲われたのだ。

莫迦が、と舌打ちし趙雲が肩を貸そうとすると、夏侯蘭は弱弱しく、それを払いのけた。
「おれを屯所へ連れて行く気か。離せ、この犬めが。こんなところにいないで、劉備の横にくっついておれ」
「おれが犬なら、おまえは鼠だろうが」
夏侯蘭は、生気のない笑い声をたつつ、趙雲の肩をはねのけると、ふらふらとよろめき、そして泥濘に倒れた。
雨がはげしく、その身体を打っているのであるが、気にならないらしい。
昨夜の様子からすれば、別人のように情けない姿であった。
「子龍、あっちへ行け。行ってしまえというのだ、裏切り者め。兄の葬儀があるから伯珪どののもとを去るだと? おまえ、あれはただの口実だったのだろう?」
伯珪とは、公孫瓚のあざなである。
ずいぶん昔の話を持ち出すものだ。
「いまさらだな」
「おまえは冷たい。氷雪よりも、もっと冷たい。でなければ、なぜ公孫瓚を見捨てたのだ」
「答えを聞いてどうする。同じ問いを、おまえに返すぞ」
地面に横になったまま、手足をぬかるみに放り投げた姿勢で、夏侯蘭は、うつろに笑う。
「知りたいか。おまえがいなくなったからだ。おれはおまえを真の友と思っていた。兄の葬儀が終わったら、かならず帰ってくるだろうと思っていたのだ。
ところが、どうだ。おまえは一向に帰ってこないではないか。みんなおまえを待っていたのに、おまえはみなを見捨てたのだ。そこで、おれたちもばかばかしくなって、公孫瓚を見捨てたのさ。あいつは占い師や商人とつるんでばかりで、まともなやつの意見を聞かなくなっていたからな。おれたちが残っていても、きっと同じく炎の中で死んでいっただろうよ。
しかし子龍よ、おまえは新野ではずいぶんと評判がよいようだな。義理堅い男だと? おまえは大人しそうな顔をして、保身のためならば、友さえ裏切る男だというのにな」

趙雲は、答えなかった。
事情を知らない夏侯蘭の恨み言である。
雨と共に流してしまえばいい。

夏侯蘭が、うめくように続ける。
「潘季鵬も、おまえを待っていたのだ。なのに、おまえは帰ってこなかった」
「嘘だ」
趙雲の顔色が変わったのを雨のとばりごしに見たのか、夏侯蘭は暗い笑みを浮かべる。
「嘘なものか。あれは、かならずわが君の危機を救うために戻ってくる、そう言っていた。だからおまえを捜すため、おれを易京の外に出したのだ」
「莫迦な」
おまえは殺しが巧すぎる。
そう言って、おのれを突き放した男が、ずっと待っていた? 
「今更、後悔してもおそい。公孫瓚は死に、潘季鵬も、あの傷では、もう生きてはおるまい。つづくのはおれだ。おまえなんぞに助けられては、死んでいった者に申し訳が立たぬ。せっかく引導を渡してもらえるところであったに、お節介め。さっさと行ってしまえ」

雨が、さらに激しく、大地に降り注ぐ。
大粒の雫のひとつひとつが、肌に痛い。
趙雲は、ろれつの回らない舌で、まだなにかを訴えてくる夏侯蘭を、無言のまま、担ぎ上げた。

つづく


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