とし坊のお祭り三昧

祭りの宝庫、のとの祭り紹介

能登半島地震の被災地、門前町黒島の復興まだまだ

2024年02月16日 | 日記
春一番が記録されたとは言え、能登半島は地震の復興にはまだまだ先のこと。
門前の友人から「TV、新聞では余り報道されていないが、黒島辺りは海岸の隆起で大変です」と情報をいただきました。
能登町、珠洲市、輪島市の知人には家屋の全壊などの被災で大変だとの連絡もありましたが、道路事情もあり行けませんので失礼します。

黒島には、8月「天領祭り」があり昨年はコロナの規制も緩んだことから3年ぶりに見てきたお祭りだったので、「集落がどうなっているかなぁ~」と思い車を走らせました。


黒島は1684年(貞享元年)より江戸幕府の天領となりました。
天領祭りは黒島が江戸幕府の直轄地となり若宮八幡神社に(徳川家の)立ち葵の紋が贈られたのを祝って執り行われたのが始まりと言われております。










外浦海岸を走っているとその集落ごとに大小はあっても港がありましたが、何と隆起で大変! 今までの港が「陸に」
沖にあったテトラポットの防波堤が陸になってしまってr・・・・・?
道路から水際までが広くなって、今までは荒れた日には車に海水のしぶきが被り
家に着く頃には車が塩分で白くなり洗車してから車庫に・・・・でした。が・・・・・












 何回も訪れた角海家住宅は,北前船の船主や船員の集落として栄えた輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区にあります。
角海家は近世末期から北前船主として隆盛し,明治後期からは漁業,金融業などを生業とし、
 主屋は明治前期の建築と考えられ,中庭を囲むように居室を配置するミツボガコイと呼ばれる平面形式などに
当地区の船主住宅の典型を良く示しており,また当地区最古級の遺構でもあります。明治期の土蔵群を擁する屋敷構えも良好に保存されており,
保存地区の核となる住宅としても観光案内の目玉でしたが、無残な姿にびっくりしました。




知人の家はどうだったかなぁ~と尋ねると、なんと!やられていました。隣のおばあちゃんが崩れ落ちた二階の柱などで命を落とされたそうです。
知人の家族は無事でしたが、家が見事に傾いておりました。
「これからのことは・・・・・・。」と言っておりますが、具体的なことは無く、「先ずは片づけます」としか聞こえませんでした。
とし坊も経験もしたことのない地震の揺れ、隆起により今までは船が係留している港が「陸」になっている現象。

ブログには表現できない事ばかりですが、知人の様子を伺いに行きましたがこれ以上言葉に出来ず失礼します。
TV、新聞に報道されない場面の一部分ですが、ショックでした。

被災者の皆さんの一日も早い回復と地域の復興を祈ります。
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