とし坊のお祭り三昧

祭りの宝庫、のとの祭り紹介

新年 あけましておめでとうございます

2013年12月31日 | 日記
先ほど近くの永光寺から帰宅しました。
永光寺で除夜の鐘を突いてきました。

永光寺は、鎌倉時代末の正和元年(1312年)に螢山禅師により開かれてから700年。室町時代応仁の乱に巻き込まれ焼失。
天正7年(1579年)上杉謙信が能登に遠征したとき能登守護畠山氏と関係が深かった永光寺は戦乱に巻き込まれ二度目の焼失。

現在の永光寺は江戸時代初期、寛永以後に建てられたものと伝えられております。

永光寺の梵鐘は、戦時中、数多くの梵鐘が供出させられたのですが、それを免れた数少ない梵鐘です。

鐘はお座りして突きます。
監寺さんが最初にひと突きしたあと、一般の方々が突かれました。







テレビは増上寺の鐘を放送しております。

新年 あけまして おめでとうございます

ことしもよろしく お願いします

皆さまの ご多幸をお祈りしております。


我が家の玄関に飾られた生け花に紅白の水引で作られたお飾りが金沢のお友達からプレゼントされました。

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本年は  ありがとうございました

2013年12月30日 | 日記
いよいよ明日は大晦日。一年間「とし坊のお祭三昧」にご訪問いただきありがとうございました。

今年の1日は、早朝地域の神社5社を歩いて廻り、「元気で一年が歩けるように」と祈願しました。

今朝はつま先がしびれるように冷たく、風も強く、道はシャーベット状態でシューズの中は歩き出してすぐにびしょびしょでしたがなんとか歩いてきました。

新しい年も元気で、お祭や地域のイベントなどを見に行きたいものと思っております。

    新年も ご指導、ご鞭撻よろしくお願い申しあげます

       



 1月 1・2日  滝谷・妙成寺  8:30  寒水荒行

      2日  羽咋・永光寺 13:00  新春座禅会

          門前町皆月         あまめはぎ

      6日  珠洲市片岩         たたき堂祭り
          今年のお祭の挨拶では「来年は行えるか、どうかわかりません」          とのことでしたので、出かけるときはご確認お願いします。

     10日  輪島市崎町恵   恵比須講
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「景気も安定、平穏な年」 鵜祭り 厳かに執り行われる

2013年12月17日 | 日記
「迷わず灯り(ロウソクの灯)に行ったので、良い年になるでしょう。景気も安定、平穏な年になる」と「鵜様」が占ったと出ました。

昨年は、80年ぶりに「鵜様」不在の神事でしたが、今年は鵜獲部さんの心が元気な若鵜の捕獲となり、沢山の参拝者の見守る中執り行われました。

16日午前3時、闇と寒気の中で、1羽の鵜と神職、鵜捕部(うとりべ)がとり行う奇祭がはじまりました。

本殿、拝殿の灯が消され2本のローソクに灯が点けられ祭りが開始されました。


放たれたあと、迷わず案上に進んだ鵜様

殿上の執事役が「うとりべ、うとりべ」と呼ぶと、白丁姿をした鵜捕部三人が鵜籠を抱え、御本殿下にかしこまり「おお」「羽そそげたるか、足痛みたるか、よく見よとのたもう」「鵜は新鵜にて安くけげしく候」この後、問答があり、鵜は籠から神前に放たれます。、鵜はわずかにともるローソクの燈を目当てに案上と呼ばれる台に止まる。この鵜が放たれてから案上に止まるまでの様子で、翌年の農業、漁業などの吉凶を占う。

役目を終えた鵜様は、一ノ宮海岸に運ばれ放たれる。鵜様は遠く新潟に行くとのことでした。


参拝者に見送られ海岸に行く


海岸に着いた鵜様は、かごから出される


元気よく羽ばたき飛び去りました

祭りの国能登、今年も沢山の祭りが各地で執り行われました。とし坊も行けるお祭には芦を運んだものの、能登全域からすればほんの一部分でした。新しい年は、今年行けなかったお祭にと思いますが、どうしても通い慣れたお祭に足が向きます。

自分だけではなく、家族も近所の皆さんも元気であれば、来年もまた「お祭行脚」ができるものと思っております。

今年の「お祭三昧」はこれで幕だと思います。一年間見ていただいてありがとうございました。お祭以外の出来事で、ご紹介したいイベントなどはもう少し書く予定ですのでまた、訪れてください。



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時折小雪が舞い散る中  今年も元気に「あだけ祭り」

2013年12月16日 | 日記
12月15日、今年も中能登町・貴船神社で350年以上も続き、京都・貴船神社と所縁あるお祭「あだけ祭り」が夕方からありました。

貴船神社については、調べてみると

貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社である。

全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水の神様であることから濁らず「きふね」という。

「あだけ」とは、昨年のブロウにも記載しましたが「暴れる」「騒ぐ」の意味があり、地域の古老によれば、自分の小さい頃(幼少)「この日だけは子供達があばれ・・・?悪戯しようが大目に見られた」と説明してくれました。

お祭は、宮司さん宅へ「神様・御幣」を迎えに行くことから始まる。


子供達の代表が宮司さんから「神様・御幣」を受ける


貴船神社の境内には先週の日曜日に準備した「火床」を作る雑木などがつまれ、
神様を収め拝礼する。小雪がちらつき始めました。


祭壇には地元産の「能登部みかん」が供えられ、お祓いを受ける。


火床の火は、昨年の「消し炭」を使う。以前は、世話役の家で(区長さん宅)火を絶やすことなく一年中囲炉裏で炭に火を移し、保管されたらしい。


「火床」作るため火が付けられる。


お祓いを受けたみかんは、焼きやすいように針金に通される。


祭礼が終わるとみかんを火で焼く・・・・?各家々でも、家族の数だけみかんを持ち寄っています


熾火の上に置いて焼く

焼かれたみかんを持ち帰り、家族でいただく。  一年間無病息災で過ごせるとか


とし坊も撮影のかたわら焼いて持ち帰りました。

素朴なお祭ですが、お世話役の方は「自分が体験してきたことを、孫達に伝えて行きたい」と、継承の難しさを話してくれました。










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雪降る中 「鵜様」旅立ち  -師走の風物詩- 

2013年12月12日 | 日記
12月12日早朝、羽咋市気多大社の「鵜祭り」に奉納される「鵜」が七尾市鵜浦町の鵜様の宿(中山武則さん宅)から気多大社に向い、鵜獲部担がれ出発しました。

この「鵜様」は、七尾市鵜浦町の観音岬、通称「鵜捕崖」で小西家に代々受け継がれた一子相伝の技法で捕えられた「鵜」で、鵜浦地区の21人の鵜捕部からその年の当番である3人が3日がかりで羽咋市の気多大社へ奉納する。これを鵜様道中と言う。


鵜の宿には、朝早くから近所の方が見送りに


宿から旅立ち、


途中、所縁の神社などに立ち寄り鳥居前で拝礼し道中を続ける。


まだ薄暗い中を「うとりべ、うとりべ」と、鵜様のお通りを告げながら葦で編んだ籠で3人の鵜捕部により徒歩3日がかりで神社へ向かいます。


鵜浦地区の外れでは地区の人たちが「鵜様」を見送りに。


雪降る中、道中は気多大社までの50キロの道のりを七尾市、中能登町を練り14日夕刻に気多大社に到着する。

鵜祭りは、16日午前3時すぎより神事がはじまります。

当日は照明も消され、ローソク2本の明りで祭りが開始されます。殿上の執事役が「うとりべ、うとりべ」と呼ぶと、白丁姿をした鵜捕部三人が鵜籠を抱え、御本殿下にかしこまり「おお」「羽そそげたるか、足痛みたるか、よく見よとのたもう」「ウは新ウにて安くけげしく候」この後、問答があり、鵜は籠から神前に放たれます。鵜はローソクのあかりの方向に進みます。そして案上(木製の台)の、のぼりかたにより土地の古老が豊凶を占うお祭です。

古式で稀に見る神秘的な祭儀であるため、一般的にはあまり知られていないがその年の鵜の動きによって吉凶を占う奇祭の一つです。




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