25日(月)羽咋市・唐戸山神事相撲があり、夕食を早めに食べて行ってきました。
相撲の由来は昨年の「とし坊のお祭り三昧」でも紹介しましたが、羽咋神社の祭神「磐衝別命(いわつくわけのみこと)」由来しています。
歴史上初めてと言われる野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)に相撲をとらせたと言われる垂仁天皇の皇子である磐衝別命の遺徳を慕ってみことの命日に北陸各地から力自慢の若者が唐戸山に集い相撲をとり神霊をお慰めしたのが神事相撲の由来とされています。
とし坊が到着したときは、稽古どり、協賛相撲が展開されており、高校生や大学生が小決勝、中決勝と進められており、土俵上は熱気に包まれておりました。
中入りとなり、参加関取・・・?の土俵入り。相撲甚句に合わせてきれいな化粧まわしを着けた関取が披露。その後「唐戸山神事太鼓」が披露されました。
土俵の四方に篝火が焚かれ、土俵も浄められいよいよ神事相撲です。
前弓、中弓と進められますが、時折 行司の判定に「物言い」がつき、監査役が行事に迫るのも珍しくはない。
奥弓へ行き、行司も白木の軍配で仕切る。奥弓の結びの一番、上山と下山の最後の関取が土俵に上がると宮司は「この一番にて、勝った方が大関となります」と一礼。
長いしきたり・・・・?で、両者同体で土俵で倒れるのですが・・・・・、今年は行司も土俵外へ関取と一緒に倒れ軍配が上げられなくなり監査役協議の結果、「両者とも大関とする」と判定。
両陣営、同僚の組む肩車の馬に乗り羽咋神社の拝殿へ駆け込む。
拝殿では、行司を挟み両者、親方と言われる責任者と並びます。
神社では、宮司さんが両者に「大関に叶・・・・・・」と読み上げ、宮司が行司に託し「五大詔」(ごだいしょう)、賞書、相撲由来書、と白絹の大幣帛、本念寺からの高張り提灯が授けられます。
授与祭が終わると、再び肩車の馬にまたがり、後援者の待つ地元へ向け参道を走り去り神事相撲は幕を下ろします。
天候に恵まれたものの相撲場には見物客が少ないようでした。また、結びの一番の両者の熱の入れ方にも違いがあったような気がしました。
相撲の由来は昨年の「とし坊のお祭り三昧」でも紹介しましたが、羽咋神社の祭神「磐衝別命(いわつくわけのみこと)」由来しています。
歴史上初めてと言われる野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)に相撲をとらせたと言われる垂仁天皇の皇子である磐衝別命の遺徳を慕ってみことの命日に北陸各地から力自慢の若者が唐戸山に集い相撲をとり神霊をお慰めしたのが神事相撲の由来とされています。
とし坊が到着したときは、稽古どり、協賛相撲が展開されており、高校生や大学生が小決勝、中決勝と進められており、土俵上は熱気に包まれておりました。
中入りとなり、参加関取・・・?の土俵入り。相撲甚句に合わせてきれいな化粧まわしを着けた関取が披露。その後「唐戸山神事太鼓」が披露されました。
土俵の四方に篝火が焚かれ、土俵も浄められいよいよ神事相撲です。
前弓、中弓と進められますが、時折 行司の判定に「物言い」がつき、監査役が行事に迫るのも珍しくはない。
奥弓へ行き、行司も白木の軍配で仕切る。奥弓の結びの一番、上山と下山の最後の関取が土俵に上がると宮司は「この一番にて、勝った方が大関となります」と一礼。
長いしきたり・・・・?で、両者同体で土俵で倒れるのですが・・・・・、今年は行司も土俵外へ関取と一緒に倒れ軍配が上げられなくなり監査役協議の結果、「両者とも大関とする」と判定。
両陣営、同僚の組む肩車の馬に乗り羽咋神社の拝殿へ駆け込む。
拝殿では、行司を挟み両者、親方と言われる責任者と並びます。
神社では、宮司さんが両者に「大関に叶・・・・・・」と読み上げ、宮司が行司に託し「五大詔」(ごだいしょう)、賞書、相撲由来書、と白絹の大幣帛、本念寺からの高張り提灯が授けられます。
授与祭が終わると、再び肩車の馬にまたがり、後援者の待つ地元へ向け参道を走り去り神事相撲は幕を下ろします。
天候に恵まれたものの相撲場には見物客が少ないようでした。また、結びの一番の両者の熱の入れ方にも違いがあったような気がしました。