24日は、福浦港祭り、富来・八朔祭りの「お旅祭り」の序奏の部分、を見てから、どうしてもあの勇壮な武者絵が乱舞する「にわか祭り」を撮りたくて鵜川に走りました。

能登鵜川の地で古くから伝わる漁師の祭礼「にわか祭」は鵜川の2つの大敷網である、海瀬組と馬場組の男たちは、不漁や海難事故が続いたため
海の女神、市杵島姫命(弁財天)を祀る海瀬神社に豊漁、海上安全を祈り、行燈に凛々しい武者の絵を描き威勢よく担ぎ祭神を慰めたと言われている。
寛永年間(約400年前)から今日まで漁業に栄えた鵜川の漁師たちが祭礼に使われた御幣や武者絵をそれぞれの船や神棚に豊漁安全のお札として飾る風習は引き継がれているそうです。
写真は海瀬神社の見事な天井画です。


鵜川に着くと、店先に飾られたかわいいキリコ。町広場では 幅5.4mに高さ7mの大きなにわか(袖キリコ)が迎えてくれました。


夕方キリコに灯が入ると武者絵が一段と迫力を増す。


お祭りのスタートを飾るキリコ(奉燈)と花火の競演。

広場でキリコが回転の妙技・・・・?が見所です。

キリコの地面に接する台を見て下さい。キリコはこの脚の台を軸にして、すごい速さで廻り(スピン)ます。


8基のキリコは町内の目抜き通りを巡行した後、海瀬神社前の「見卸しの浜」集結し朝方まで乱舞が続く。
とし坊は最後まで見たいのだが、連日のお祭りと自宅までの運転にゆとりを持たせ個々で家路に。若い頃は「これからが勝負!」と撮りまくった者でしたが・・・・・・。

能登鵜川の地で古くから伝わる漁師の祭礼「にわか祭」は鵜川の2つの大敷網である、海瀬組と馬場組の男たちは、不漁や海難事故が続いたため
海の女神、市杵島姫命(弁財天)を祀る海瀬神社に豊漁、海上安全を祈り、行燈に凛々しい武者の絵を描き威勢よく担ぎ祭神を慰めたと言われている。
寛永年間(約400年前)から今日まで漁業に栄えた鵜川の漁師たちが祭礼に使われた御幣や武者絵をそれぞれの船や神棚に豊漁安全のお札として飾る風習は引き継がれているそうです。
写真は海瀬神社の見事な天井画です。


鵜川に着くと、店先に飾られたかわいいキリコ。町広場では 幅5.4mに高さ7mの大きなにわか(袖キリコ)が迎えてくれました。


夕方キリコに灯が入ると武者絵が一段と迫力を増す。


お祭りのスタートを飾るキリコ(奉燈)と花火の競演。

広場でキリコが回転の妙技・・・・?が見所です。

キリコの地面に接する台を見て下さい。キリコはこの脚の台を軸にして、すごい速さで廻り(スピン)ます。


8基のキリコは町内の目抜き通りを巡行した後、海瀬神社前の「見卸しの浜」集結し朝方まで乱舞が続く。
とし坊は最後まで見たいのだが、連日のお祭りと自宅までの運転にゆとりを持たせ個々で家路に。若い頃は「これからが勝負!」と撮りまくった者でしたが・・・・・・。
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