
落ち椿を見る度に、京都の法然院に行きたいなと思う。京都に住んでいるとき、誰もいない時間に落ち椿を撮影しようと考え、朝早い時間に出かけたことがある。若い僧侶が石畳に椿を丁寧に撒いていた。最初は「なんだやらせだったのか」と驚いた。でもその様子を眺めているうちに、それはやらせではなく修行なんだろうなと思った。一度で良いから僕も自分で椿を撒いてみたいものだ。そのとき、どんな想いが去来するのか。あるいは何も考えないのか。それは叶わないだろうから、こうやって落ち椿を見つけたら写真に撮ろう。
X-T5 / XF23mm F1.4R LM WR
写真を見入っていました。これは美しい!何か地面の色の空間に少し鮮やかな花が浮かんでいるかのようにも見えます。地面に花が落ちたという様子ですね。23mm(35mm相当画角)は、こういう「低い姿勢で地面のモノを撮る」というようなことも身軽に出来て、背景が程好くボケて好い感じになりますよね。
記事に在った有名寺院で「華を丁寧に置いていた」という話しも興味深いですね。「落ちた花が地面に綺麗に散る」という様子を創るのも、「庭を整える」または「境内を浄める」という取組の一部という訳ですね。
美しい画と興味深い話題に感謝!
お花で境内のお清め?
それにしても、お写真、私も見入りました。
哲学の道も今では人が溢れ
散策もままならない現状です。
私は晩秋の哲学の道が好きでしたが
今は某人民共和国の団体に出会うのが嫌で
行く意欲が湧いてこなくなりました。
応援ぽち
およそ花には合いそうにない設定なのですが、不思議なものです。
新23mmレンズは重くて嫌になりますが、撮影距離が短いので面白いです。これでもうひと回り小さければ・・・。
自分で撒いてみないと分かりませんが、家で撒いたら叱られるし(笑)。
以前に香港に行ったとき、香港人(間違いないと思います)が、大陸から来る観光客の集団に顔をしかめていたことを思い出します。
まだ日本に行く連中の方が「まし」で、そこにも行けない「質の悪い連中」が香港に来ると言っていました。恐ろしや。