No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

松尾鉱山〜雲上の鉱山アパート

2021-07-04 | Ruin





昨日、静岡県熱海市で土石流が発生し、大変な被害が発生しました。被災された方に、心よりお見舞いを申し上げます。僕は静岡県の西伊豆出身ですが、三島市以南の伊豆地方は、高校の学区が同じです。僕が通った高校でも、熱海や伊東から通う友人がいました。被害が最小で収まることを願っています。

さて、写真は岩手県の「松尾鉱山・緑ヶ丘アパート」である。松尾鉱山は1969年に廃業したが、19世紀に操業を始めた巨大鉱山だった。八幡平の標高1000メートル辺りに位置している。八幡平は山頂が標高1613メートルで、岩手県と秋田県の県境になっている。秋田側と岩手側は、「八幡平アスピーテライン」という山岳道路で結ばれている。岩手側から見ると、松尾鉱山の辺りにはゲートがあり、その先は冬季通行止めとなる。人が立ち入ることが困難な極寒の世界。春に道路が開通すると、数メートルの雪の壁が出来ている。

写真の緑ヶ丘アパートは、戦後まもなく建設されたものだ。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りであり、水洗トイレ、セントラルヒーティングが完備していた。その規模は単なるアパートというよりは、一つの町ができたようなものだった。食料品店、芝居劇場、映画館、理容店など住民の生活に必要なものは全て網羅されていたという。最盛期の人口は優に1万人を超える。現在の岩手県八幡平市の人口が2万数千人であることからして、どれだけ大きな町が標高1000メートルの雲上にあったのかと驚くばかりである。松尾鉱山では、現在でも発生する毒素を中和するプラントが稼働している。閉山した鉱山の多くは、半永久的なメンテナンスをしなければ、安全が保てない。大変な世界だなと思う。ちなみに今回の写真は、全て公道上から撮影した。現在は、立ち入り禁止区域は明確に区分されている(かつては特に指定されていなかった)。外から眺めるだけでも、感慨深いものがある。終わり。


X-PRO3 / レンズ各種
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尾去沢鉱山、夢幻の如くなり

2021-05-27 | Ruin


尾去沢鉱山は、和銅元年(西暦708年)に発見されたと伝えられている。1300年を超える歴史を持つことになる。当時の東北地方には、大和朝廷の支配が完全には及んでいなかった。蝦夷と言われる北方系の勢力と、大和側の人間が混在して住んでいた。和銅2年(西暦709年)に巨勢麻呂という人が陸奥鎮東将軍に任じられている。後の征夷代将軍の祖となる職である。ちなみに、かの有名な坂上田村麻呂が征夷代将軍となったのは、西暦797年のことである。このことから、和銅元年という切りの良さは、朝廷側の都合で決めたのではないかと思っている。少なくとも、奈良の大仏建立時には、尾去沢鉱山の金が献上された記録が残っている。朝廷側が鉱山の存在を知っていて勢力に収めようとしたのか、制定する過程のなかで鉱山を発見したのか、どちらかだと想像している。

その後の尾去沢鉱山は、奥州藤原氏の黄金文化を支えたとか、豊臣秀吉の検地を受けたとか、色々な歴史があるが、その詳細な記録文書は江戸期以降のものしかないという。時の権力者の「打出の小槌」ともいえる存在だったのだろう。明治以降は銅山として「東洋一」の規模を誇り、第二次世界大戦中には4千人以上の従業員を導入、月産10万トンの規模で軍需産業を支えた。そして昭和53年閉山。閉山後も鉱山から発生する排水を処理するプラントが稼働し続けている。

尾去沢鉱山の一部坑道は、「史跡・尾去沢鉱山」として観光公開されている。写真は非公開の廃鉱部分である。この廃坑をバスで見学する特別コースがあるのだが(月1回、事前予約)、いまはコロナ禍で受け付けていないようだ。いつか見学してみたい。半ば山に飲み込まれつつある鉱山に、そんな壮大な歴史があるなんて夢幻のように思える。


X-PRO3 / XF16-80mmF4 R OIS WR

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観覧車の声

2017-12-16 | Ruin
先週は宮城の登米に行ったのである。秋田方面から登米に行くのには、鳴子温泉の少し先で栗原方面に分岐する山道を抜けていく。雪さえなければ快適な道である。帰りも同じルートを辿るはずが、ちょっとした手違いから道を間違えた。あとはナビ様にお任せすると、東北自動車道の脇を走っている。あれ?見覚えがある。これは化女沼レジャーランドに行く道ではないだろうか。調べると5キロほどで到達するようだ。呼んでいるのかもしれない。

そんなわけでご挨拶だけだけど、化女沼レジャーランドを見に行った。この写真は市道から標準ズームで撮った写真で、50ミリレンズでも十分撮影可能だ。詳しいことは知らないが、この土地の所有権は前オーナーから移り、今では某法人のものとなっているらしい。敷地内に不法侵入した場合、以前より厳しい対応が予想される。もう撮影許可も下りないという噂だ。敷地には立ち入らず公道上から撮影すべきかと思う。

X-PRO2 / XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS
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自然に守られ朽ちてゆく場所

2017-06-29 | Ruin










僕は伊豆で産まれ育った。伊豆には、土肥金山、大仁金山、持越鉱山など、鉱山関係の遺構が数多くあった。だから鉱山を見ると、そういう記憶が呼び起こされる。個人的なノスタルジーである。東北にも鉱山遺構は多くあるし、それらを巡ってみたい気持ちもある。だが、一部(きちんとした方も当然います)のマニアは内部に侵入し、興味本位で荒らしたり、落書きしたりしている。そんな輩と同一視されたくないし、ブログにアップすることで、その場所が新たなターゲットになる可能性もある。まあ僕が行く場所であれば、当然マニアは既に踏破済かとは思うけど、危険性が増すことは間違いない。

そんなわけで場所は伏せるが、某所にある鉱山跡は経年の劣化は激しく、巨大な工場のような建屋は薮だらけだったので近づけなかったものの、往時の規模が偲ばれる。といっても、ここに興味本位で行くのは辞めた方が良い。薮の中には得体のしれない蛇や小動物が蠢いているし、山にはクマだっているかもしれない。ここは自然に守られて、朽ちていくべき場所なのだ。


X-PRO2
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朽ちてしまった名湯

2017-04-14 | Ruin






秋田県五城目町と上小阿仁村の堺目にあった「滑多羅温泉・鶴乃湯」。「なめたら」温泉と読む。良い名前だ。平成20年頃まで営業していたようなので、廃業はそんなに昔の話ではない。実際建物は改装されている箇所もあり、まだまだ使えるはずだ。それでも積雪の影響で痛みが激しい。僕はこういう建物の中に侵入する趣味はないけど、この鶴の看板に惹かれた。

意匠性もコストも掛かった看板で、これだけのものを作った心意気を思うと胸が痛む。往時の姿に思いを馳せて・・・。


X-PRO2 / XF23mm F1.4R
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哀しき廃駅

2017-01-03 | Ruin













1975年に廃止されたという庄内交通湯野浜線。鶴岡駅と湯野浜温泉を結んでいた約12kmの短い鉄道だった。僕が初詣に行く「善宝寺」にも、かつてその湯野浜線の駅があり、鉄道廃止後には善宝寺駅は、鉄道記念館となり、鉄道の歴史の語り部となった。だが、その鉄道記念館も2000年前後には入場者数の減少を原因に閉鎖となってしまった。
廃止された鉄道の記念館が廃墟となった。この構図が僕には哀しくてならない。入場料は取らないか、格安にして、もっと気軽に立ち寄れる鉄道公園とかにすれば良かったのに。何故それができなかったのか。残念でならない。


X-PRO2 / XF23mm 1.4R


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窓から突き出たモノ

2016-10-22 | Ruin

松尾鉱山・緑ヶ丘アパート(鉱山住宅)群のうち、ただ一棟だけ道路沿いに建っている棟がある。一棟だけポツンと離れた箇所にあるので、違う目的の建物なのかもしれない。どういう状態なのか分からないが、建物の内部から樹の枝が伸びて、しかも紅葉している。コンクリートのような強固な建造物も、長い時間を掛ければ自然に呑み込まれていくのだなと感慨深くなる。


LEICA M9 / SUMMICRON 35mm ASPH


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天空の緑ヶ丘アパート

2016-10-19 | Ruin

藤七温泉という秘湯に日帰り入浴に行った。ワイルドな露天風呂が有名な温泉である。ちょっと考えられないワイルドさであり、しかも混浴風呂である。風呂の写真は当然撮ることはできない。興味のある方は、「藤七温泉」で検索してみて下さい。さて、温泉に入ったあとは、そこから数キロ先にある「松尾鉱山・緑ヶ丘アパート跡」を見に行った。といっても道路上から写真を撮っただけなので、その手のマニアさんの喜ぶ写真はない。ただ巨大なアパート群を10分ほど眺めて、在りし日の生活を頭の中で想像してみる。それだけである。そして気づいたこととして、この巨大なアパート群の住民は、もしかすると前述の藤七温泉や、ふけ温泉、後生掛温泉などに行っていたのではないかということだ。秘湯はかつて、普通の温泉宿だったのかもしれない。


LEICA M9 / SUMMICRON 35mm ASPH


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健全な松尾鉱山鑑賞

2015-09-18 | Ruin





張れた日のドライブは最高の八幡平アスピーテライン。岩手と秋田を跨ぐリゾート道路である。両県の県境付近、岩手側にあるのが、松尾鉱山跡地。今でも毒性物質の中和処理が続けられている。そして、そこに残された遺構が、写真の松尾アパートである。
1枚目の写真も、2枚目の写真も道路端に車を停めて、そこから撮影した。2枚目はシチュエーションが分かるように敢えて道路端を取り入れた。この中に侵入しない限り、合法的に産業遺構を眺めることができる。盛岡を出発し、ここを通って、後生掛温泉を経由して秋田に戻ったのであった。



LEICA M9 / SUMMICRON 35mm ASPH


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旧道のガソリンスタンド

2015-09-14 | Ruin

秋田県某所の国道から分岐した道で見つけたガソリンスタンド。よく考えれば、国道から分岐した道こそ、かつて(本来)の国道なのだと思う。でも、今では後からできた国道が我もの顔をして、かつて(本来)の国道は「旧道」と言われる。この旧道には通行者は殆どなく、ガソリンスタンドも営業を辞めてから久しいようだ。丁度お昼時で、近くでガソリンを運ぶタンクローリーが休んでいた。かつて、ここにも配達に来ていて、今でも休憩場所として受け継がれているのだろうか。だとすれば、少しだけ嬉しい気持ちになる。


LEICA M9 / SUMMICRON 50mm (1st RIGID)

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