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No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

街道ロマン(終)〜美しき「日本国」、小俣街道

2025-05-07 | 街:新潟












新潟県村上市の小俣街道。昨日掲載した小国街道からは直線距離で約8km、実際の道路距離では約25kmくらいの距離にある。ここは「日本国」という山の麓に位置し、小俣街道の宿場町である。小俣街道も広義な意味での出羽街道にあたり、新潟県村上市(村上城)と庄内地方を結ぶ街道であった。分かりやすくいえば「大名倒産(浅田次郎)」の地から、「たそがれ清兵衛(藤沢周平)」の地を結ぶ街道である。この場所に初めて来たのは、2016年のことだった。有名な街道ではないのでそれほど期待していなかったが、あまりに美しい集落で驚いたことを思い出す。小国街道と同様に一応商店が一軒あるが、他に施設らしい施設は何もない(敢えていえば缶詰工場がある)。それでもこの地には他所から来た人が意外なほど多く歩いている。

多くの人が歩く理由は、ここに「日本国」の登山口があるからだ。「日本国」というのは、別名「石鉢山」とも呼ばれる標高555mの山である。何故、日本国という名が付いた理由には諸説あって、はっきりしないらしい。どれもロマンある由来なので興味ある方はネットで調べてみて下さい。ちなみに集落内にある郵便局は「日本国麓郵便局」という名である。僕が勝手に「日本一名前の美しい郵便局」と認定している。僕はこの小俣塾をゆっくりと歩くのが好きである。歩いていると知らないおばさんが「もう山登ってきた?」とか聞いてくる。あれ知り合いだったかな?と思ってしまうくらいの温かさである。名前も美しいが、町並みもどこか懐かしい日本の集落の原風景のようである。

X-T5 /  XF16-80mmF4 R OIS WR
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胎内を歩けよ、さらば与えられん

2025-02-20 | 街:新潟








新潟編のラスト。旧・中条町(現・胎内市)である。秋田県側から新潟県に行くには、まず村上市から入り、胎内市、新発田市というルートになる。胎内市は平成の大合併で中条町と黒川村が合併して出来た市である。よそ者からすれば、「中条市」にすれば良かったように思うけど、それなりの事情があるのだろう。これまで新潟県の旧市町村については全く意識して来なかったが、最近は少し意識するようになった。東北六県のコンプリートの後は新潟を目指すような予感もしている。

さて、以前に歩いて印象の良かった中条の町。今回の旅は折角車で来たので、帰りに立ち寄った。その後の予定があり、中条を出たらまっすぐ帰ることになる。下調べもなく、前回の記憶を頼りに歩いた。結果的に前回見なかった建物を見た反面、前回気に入った街角には辿り着かなかった。町歩きの神様の気まぐれに身を任せた。帰宅して振り返ると、前回の方が良かったような気がする。というより町歩きの嗅覚が鈍ってきていることにショックを受けた。歩けよ、さらば与えらん。もっと歩かなきゃ。


X-T5 / XF23mm F2R WR

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新発田のカルマ(夜編)~そんなに悪い夜じゃなかった

2025-02-19 | 街:新潟










陽が暮れて、街に明かりが灯る。新発田の繁華街には多くの店がある。地方都市特有の事情として、夜にならないと実際にどの店が営業しているのか分からない。この日は金曜日(しかもバレンタインデー)。でも新発田の繁華街は通常営業で、そういう華やかさとは無関係に淡々としている。まずは居酒屋的な店で一杯やった。まあ普通に美味しい店だった。でもその店は喫煙可能店で、後から来た常連客が考えられないくらいの量のタバコをプカプカし始めた。往時のチェーンスモーカーだった僕であればそれに対抗できたが、タバコを辞めて15年にもなる。まだ数回しか来ていない新調したアウターがタバコ臭くなり、気分がブルーになり撤退した。なんか嫌な展開だ。幸い、折角の時間を台無しにしないようにアンガーコントロールはしっかりと効いている。

次はジャズ喫茶に行こう。時刻は午後7時。既に夜の部がオープンしているはずだ。ここも喫煙店で煙だらけだったらどうしよう。そんな心配をしながら店に向かう。結果時に心配は杞憂に終わった。だってジャズ喫茶「バード」は営業していなかったから。特に張り紙もなかった。この夜のメインイベントなのに・・・。まあジャズ喫茶では割とよくある話なので、ここでも僕は感情をコントロールした。近くにはクラシック喫茶があった。ジャズ喫茶であればどんな店でも入ることが出来るのに、クラシック喫茶には尻込みして入ることは出来なかった。ジャズ喫茶であればビールとかウイスキーを頼むことが出来る。それをクラシック喫茶でやったら白い眼で見られるかもしれない。そもそもアルコールなどないかもしれない。今にして思えば入店して確かめれば良かった。

さて、そんなわけで新発田の夜は瓶ビール1本(サッポロ赤星!)、日本酒1合というささやかな飲酒量で終わった。かつてこの地で心房細動が発症したことを考えれば、自制せよという天の声かもしれない。とぼとぼとホテルに歩いて帰る。途中、煌々と照明が眩しい建物は市役所だった。新発田市役所は夜も開いていて、オープンスペースで寛ぐ人がいる。スタバ的な位置づけだと思う(多分)。そして振り返れば、アーケード商店街には闇に浮かぶ異空間のように見えた。要約すれば、お目当ての店は閉まっていて、偶然入った居酒屋は煙草の煙だらけで、十分な酒も飲めず早々に撤退した。それだけの話である。でも決して悪くない夜だったような気がする。終わり。


X-T5 / XF23mm F2R WR

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新発田のカルマ(昼編)〜上書き保存しよう

2025-02-18 | 街:新潟








さて、忘却の街、阿賀野市で写真を撮ったのが前回の記事。その続きである。阿賀野市を出た僕は、隣の新発田市まで来た。新発田市は馴染のある街で、何回も来たことがある。その隣町といえば聖篭町(西側)、あるいは中条市(東側)というイメージであり、南隣に阿賀野市があることは今回知った。何故、新発田に来たのか。それは忘却の彼方にある光景を求めるといっても、現実的に阿賀野市に朝から晩まで滞在することには無理がある。それは最初から想定していた(その通りとなった)。だから新発田市に宿を取ることに決めていたのである。

この機会に久しぶりに新発田の街を歩こう。宿泊もするので、初めて夜の時間も歩こう。そしてジャズ喫茶にも行こう。それが今回のプランだ。本当は鉄道で来たかったのだが、そういった移動の効率から泣く泣くクルマで来ることになったのである。チェックインしたホテルで暫しの休憩の後、街に出るころには既に陽が傾きつつあった。新発田の町は駅前から何と1.5㎞にも及ぶ長大なアーケード商店街が伸びている。そしてアーケードから横道に分岐すると繁華街が拡がっている。真剣に歩き倒すと丸一日あっても足りない。今回は阿賀野市訪問による達成感もあり気持ちも緩くなっている。のんびりと夕刻の町を歩こう。途中、オッチャホイという名物料理で有名なシンガポール食堂の前を通る。今回は腹ごなしか締めに寄る積もりだったが、夜の営業していないようだった。ジャズ喫茶にも行ってみた。調べると昼間の営業は午後4時までということで、間に合わなかった。どこかで一杯やってから、夜の営業(午後7時~)に向かおうと思う。

追伸:
僕は2022年に心房細動となり、翌23年にカテーテルアブレーションの手術を受けた。お陰様で完治して現在に至る。直接の発症は22年夏の新潟への旅の時に起きた。旅の二日目、昼前に鉄路で新発田の町に来た。前日の深酒に加え、この日も昼からビールを飲み、水分も取らずに歩き廻った。突然心臓の動悸が激しくなり、アップルウォッチから「心房細動の可能性がある」というアラートが出た。全ては自分が招いたことだけど、因縁の地であることは間違いない。新発田の街を歩くのは、それ以来だった。新たな記憶を上書き保存して、因縁(カルマ)も払拭した。

X-T5 / XF23mm F2R WR


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忘却の彼方の光景へ!

2025-02-17 | 街:新潟








貴方にはこんな経験がないだろうか。クルマでも鉄道でも良い。どこかに向かうときに偶然車窓からある光景を眼にする。理由は分からないけど、その光景に強く惹かれる。現実的には時間や手段がなく、そこに立ち寄ることは断念する。そして心のなかで思う。いつかここに改めて来よう、と。その「いつか」は実際のところ、なかなか訪れない。殆どの場合、二度と訪れないと言ってもよいだろう。暫くの間は喉に刺さった魚の小骨のように、「あの光景」が気になって仕方ない。どうにも気持ち悪くて仕方がない。そんな違和感も時の流れと共に薄れ、いつしか忘却の彼方に消えていく。「あれ何だか気になっていたけど、何だったかな」と・・・。それで良いのだろう。曖昧に何かを忘れていかなければ、我々は日常生活を営むことが難しくなる。

それでも稀に、稀にではあるが、その忘れかけていた光景が、突然頭の中に蘇えることもある。まさに今回のケースであり、蘇った光景の舞台は新潟県阿賀野市。車窓から見たのはもう5年以上前のことだ。その詳細は割愛するけど、車窓からはチラっと見えただけであり、どんな街なのかは正直分からなかった。分からなかったけど、此処には何かがあると確信した。通過せざるを得ず、そこに大切な何かを置き忘れたかのような気持ちになった。その阿賀野の街を突然思い出した。そして忘れ物を回収すべく出かけてきた。街を歩いたのは、時間にすればたった30分のことだった。その30分で見事に憑き物が落ちる(喉の骨が抜けた)感覚があった。同時にそれ以上街に留まる理由も失くなった。不思議なこともあるものだと思う。


X-T5 / XF23mm F2R WR


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これもラストショット

2025-02-07 | 街:新潟


前回は、オークションに出品したレンズでのラストショットを掲載した。今日もラストショットだけど、これはX-PRO3でのラストショット。少し前の新潟村上シリーズの写真である。ダーティーといえるほど濃い描写だ。カメラ設定で微妙なカスタマイズをしているものの、通常のフィルムシミュレーション「クラシックネガ」である。これをX-T5で撮ると、恐らくもっとお上品になってしまうだろう。カメラやレンズは高画質であるほど良いとは限らないことを再認識した。例えれば、こんな話だ。高性能高出力のクルマに乗り換えて、数値的には明らかに速くなっている筈なのに、以前のクルマの方が加速が良かったように感じる。あるいは・・・。古いスピーカーを最新の後継機種に変えた。出力特性は劇的に向上している筈なのに、前のスピーカーの音の方が迫力がある。

これはオカルトではなく、性能が劣っている(最新のものより)ことにより、結果的にある領域のアウトプットが強調されて印象に残ったのだと思う。つまり良い悪いではない。新しくなってしまったのだから、最適解を見つけよう。まあ今回の写真のような描写が一般受けするとも思えないが(笑)。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR

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村上編(終)~鮭の子を増やそう

2025-01-31 | 街:新潟


村上編の最後、これはもう個人的趣向の極みだけど、この標語を避けては通れない。観光客が通るような場所ではなく、生活道路の一角に問題の標語は書かれている。青く塗られたコンクリートの塀は色褪せ、遠い昭和の少年時代を思い起こさせる。
「皆んなで鮭の子をふやしましょう」、これほどジワジワくる標語は類を見ない。お年寄りを大切にしよう、明るく大きな声で挨拶しよう、ゴミを捨てずに街を綺麗にしよう。そういう標語は世の中に溢れていて、それはそれで大切なことだ。でも村上の子はそんな当たり前のことではなく、鮭の子をふやそうとしている。衝撃的だ。一体どうしたら良いのだろうか。イクラやスジコを食べなければ良いのか。安心して下さい。答えは「川を綺麗にする」こと。市内を流れる三面川には古くから多くの鮭が遡上してきた。その鮭が塩引きを中心とした鮭の加工技術を磨き、それが村上の特産品となった。ちなみに「塩引き鮭」を初めて食べたときは、「これは明らかに塩加減を間違えた失敗品だ」と思った。相当塩辛い。正直、長いこと苦手だった。やっと最近になって、口の中の塩気を日本酒で洗い流すという悦楽を覚えた。東北地方では塩引きは当たり前のようだが、初めて食す方は「塩引き鮭」と「鮭の塩焼き」は似て非なるものであることを知っておいた方が良い。実はまだまだ村上には隠れたスポットがある。昔の鍛冶屋さんを個人で公開している町屋とか、明治時代の看板が残る左官屋さんとか、昔の遊郭の廃屋とか。とても全部は廻れないけど、鮭の子の標語を見て安堵した。同時に短い日帰り遠足(ドライブ編)は終わりを告げたのである。


X-PRO3 / XF23mm F2R WR

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港町を歩く、例え海が見えなくても

2025-01-30 | 街:新潟









村上シリーズの続き。村上市の岩船地区である。町並みとしては、特段何がある訳でもないけど、何故か僕はここが好きである。恐らく、港町特有の狭い通りが、僕の故郷の西伊豆を連想させるのだと思う。港町と言いつつ、写真には海は写っていない(実際には港まで歩いていった)。つまり港自体よりも港を感じさせる町並みに惹かれている。こういう町は貴重である。

X-PRO3 / XF23mm F2R WR


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私的な村上ハイライト〜黒塀通り

2025-01-29 | 街:新潟

黒塀通りという名の小路である。丁度クランクになった通りであり、角に建つ古い民家が抜群の存在感を示している。村上には数多くの見どころがある。マイナーな意見なのは承知の上でいえば、この黒塀通りが村上の私的ベストスポットである。対抗馬は「千年鮭きっかわの暖簾」だ。今回は暖簾は撮らない(掲載しない)という縛りを入れたので、ここが日帰り旅のハイライトでもある。ここを歩く為に片道3時間も掛けてやってきた。

GRⅢ(ハイコントラスト白黒)
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花がある街角〜それぞれの挿花

2025-01-28 | 街:新潟





新潟村上シリーズの第三回。村上の街中には写真のように花が飾られている。竹製の花挿が街の至るところにある。それを柱や格子に据えて、そこに思い思いの花を挿している。恐らく、街づくりの取り組みの一貫だだろう。商工会か何かで花挿しを支給し、手弁当で花を飾る。そういうことだと思う。「仏作って魂入れず」という言葉とは正反対に、容れ物が出来合いでも魂を入れると良いものだなと思う。いわゆる小京都(この表現は好きではないが)である村上市。建物の格子や柱に飾られた花は、街を彩っている。


X-PRO3 /  Voigtlander NOKTON 23mm F1.2 Aspherical
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