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「神宮の杜」は神聖か?競技場歴史でふりかえる

2016-01-16 | 都市開発

東京都心をGoogleで見ると案外、緑が多いと思う

皇居、赤坂御用地、明治神宮外苑、新宿御苑、明治神宮からの代々木公園
特に、明治神宮を囲む森は代々木の杜「神宮の杜」と呼ばれ
ひと際神聖な場所とされる




明治神宮に初詣に行かれた方もいるでしょう

私は、2011年にたまたま明治神宮に参拝に訪れたら
丁度、「白鵬」の奉納土俵入りを目にしました。
すごい人混みでしたが、相反して澄んだ空気と静寂を感じる事が出来ました。

そしてガラにもなく、世界平和を100円でお祈りしました。
でも、その年の3月地震が来たけどね

ご存知でしょうが、明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする神宮で
明治天皇は崩御後、京都の伏見桃山陵に葬られたが
東京に神宮を建設したいとの運動が東京市民から起こり
1914年(大正3年)に天皇に縁の深かったこの地への神宮建設が決定したそうです。

境内の木々は全国より集められ植えられたもので
いわゆる「神宮の杜」と言われる代々木の森林は
100年かけて育てられた人工の森なのです。

この地は、かつて近江彦根藩井伊家の下屋敷のあった場所で
明治維新後に井伊家から政府に対して献上されたもので
彦根藩の前は加藤清正の屋敷だった。
そうです、だから明治神宮に清正の井戸がある



さらにくぐってみると面白い、

この彦根藩は、幕末に藩主となった直弼が
安政5年(1858年)に大老に就き
勅許を得ず、「日米修好通商条約」に調印
「安政の大獄」といわれる強権の発動を行った

そして(1860年)に「桜田門外の変」で水戸藩浪士らに暗殺されている

その後、彦根藩は長州征討にも参戦し幕府の軍事活動に協力したが
「大政奉還」後、新政府支持に転向
「戊辰戦争」では明治政府に加わって戦った

桜田門当たりも、ホテルニューオータニあたりも井伊家の下屋敷だった。

さて、明治天皇と言えば陰謀論者にはお馴染みの天皇すり替え論です。

明治天皇は暗殺され、大室寅之祐と言う人物がすり替わったと
この人物は長州の田布施(たぶせ)、現在の山口県熊毛郡出身で
その祖先は後醍醐天皇で、南朝を継ぐ者だった
孝明天皇までは、天皇は北朝の血筋であったが
明治天皇が大室寅之祐に置き換えられたことで
天皇家は南朝の血筋に移ることになった。とかとか

もし本当に明治天皇が長州の大室寅之祐だったら
長州征討にも行った藩が寝返った証に、土地を献上した
いや、させられたと想像すると面白い、まあ真実は闇の中ですが

土地の歴史を探ってみるとまた違う見方が出来るものです。

新国立がある、神宮外苑の千駄ヶ谷付近は

お江戸の頃は、弓や鉄砲を専門とする
下級武士たちの屋敷や火薬庫、砲術調練場があり
維新後は、陸軍の演習用施設である青山練兵場でした。

関東大震災の翌年、大正13年(1924年)に明治神宮外苑競技場ができ
これが国立競技場の前身です。
その後、幻となった東京五輪(1940年)(1938年返上)
外苑競技場を改修して使うはずが、駒沢に新競技場建設となった
昔も今もやっぱもめたんだね

そして外苑競技場は「学徒出陣式」の舞台になり
戦後は、進駐軍によって接収され
1958年「アジア大会」のために国立競技場が同じ場所に建て替えられたんですね

こうして、ザット歴史をふりかえっても
この地が、平和の祭典に相応しい聖なる場所なのか考えてしまいますが

明治維新後、明治天皇を祀る聖なる場所として
頑張って、木を植え

戦後は復興のシンボルとして、スポーツの聖地として整備し

近代の日本人の手によって、100年かけて
聖なる場所にしようと、はぐくまれて来たのかもしれません

先人の思いを無駄にしない為にも
新国立競技場建設が、頓挫しないことを願います。