老老介護あれやこれ

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鮭で ちゃんちゃん焼き

2020-09-21 23:11:33 | 主夫の日々

甘塩鮭の安売り ブロック状

その場で 北海道のちゃんちゃん焼きに決定

白味噌 ニンニク ゴマ バター等の調味料はあります👌

 

朝晩は「秋」ですね

ホットプレートや鍋料理の季節

 

にごり酒 

 

 

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不器用な左手か? 家内を誉めるべきか?

2020-09-17 04:42:42 | 主夫の日々

高齢夫婦では 少なくなった会話のフォローの意味合いもあるし、過去には家内の転倒防止に役立った任天堂のテレビゲーム 🎳ボーリング

 

3種 

📌スタンダード(普通に10ピンを倒す) 

📌100ピンゲーム 現実にはあり得ない100本並んだピンを倒す

📌かべよけ 固定した壁や、移動する壁を避けて10本のピンを倒す こちらは右や左にカーブさせる技を身に付けると面白さ倍増

 

スタンダードのボーリング

なんと 家内が200点を超えて、私に投げ勝つ日が到来しました❗

 

右手で300点のパーフェクトを何回か取りましたが、腱鞘炎で左手に変えて対戦しとります

腱鞘炎の前は利き手の右だけで、日常の大多数をこなしていました

(左手は添える意味合いが強かった事をしみじみ感じます

 

右がダメなら左手で、、、そんな簡単には行かず、歳とともに右手に頼りきっていたから、今更簡単に利き手は変えられません

 

不得手な側は、ちょっとした手加減でとんでも無い方向に、飛びます やっと左手で150点を取り始めましたが、家内はいつの間にか200点を出す日が多発😳😳😳

 

レスパイトで退院してからの事であり、笑うような面であっても、衰退するばかりと比較するなら私には嬉しい誤算です

 

ピンポンなら負ける気がしないのに、スタンダードボーリングでは、家内に勝つ気がしなくなってるので記念としての記事です 笑

 

 

夏ばてを取り返す為にもウナギとタコ🐙

 

 

仲良しのお隣さんへも

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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レスパイト入院の効果

2020-09-16 01:43:43 | パーキンソン病

レスパイト入院を始めて一年を超えました  一ヶ月おきに2週間の入院でリハビリや検査、毎日の生活状態も指導されます

 

先月あたりから「おや❗」と感じるのは、ゴミが極端に減りました

紙パンツの中の吸水紙を濡らす事が激減、、、以前はゴミ袋の大寸で紙オムツや吸水パットで一袋

別なゴミで二つ目のゴミ出しでした

吸水パットを濡らさない事は、トイレに間に合ってる事になります

トイレに行ける事は、自分の肌も濡らさない~つまり尿の臭いを纏わない事になるのです

 

家内自身が感じているに違いない❗

訪問介護師も密接してリハビリをしてくれます 私が臭う事は他人にも嗅がす事、、、

 

ゴミが減ることは、毎月7000円のオムツ類が減ります

ゴミ袋でさえ1枚50円

 

使用済みのオムツは、レジ袋に入れてからゴミ袋へ、、、我が家はレジ袋は必要不可欠

 

最近、スーパーでは水物を入れるナイロン袋が大量に減ってると聞きます そりゃ マイバッグを汚さないために以前より薄いナイロン袋を使う人は増えてますから 笑い

 

薄いナイロン袋は指で上手く開かず難儀してました

乾燥品以外なら、豆腐やコンニャク、魚や肉類、パックの飲料などは表面に湿気があり、指でさっとなぞれば、薄いナイロン袋が簡単に開きます この方法を思い付いてからは速度は格段にアップ😆

 

8時まう

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最近の事

2020-09-15 09:33:55 | 主夫の日々

7枚のマスクを用意し

その通り勝ち上がり

優勝した

有言実行 素晴らしい❗

 

 

 

 

 

我が家のごはん

餃子

 

 

 

野菜たっぷりサラダ

 

 

低温調理した鶏の胸肉

砂糖を塗り込み 少量の水も加えました

皮は捨て フォークで突き刺し(笑い)

ナイロンで一昼夜寝かし そのままの状態で

たっぷりな水に入れて 沸騰させないように弱火でおよそ10分加熱

そのまま蓋をして 自然に冷ましました

 

ちぎって ポン酢で食べました

 

 

 

 

そうめん焼き

(冷やしそうめんの残り使用)

 

 

 

茄子の天ぷら

(エリンギはフライが一番好き)

エリンギは下味に浸けています

 

 

 

朝は冷やい位になって来ました

それでも日中は30度に近い

気温の落差に気を付けたい

まだまだ水分補給も必要かも

 

 

利き手の腱鞘炎

未だなおらず

本日受診中 😞💦

 

 

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ある認知症親子の物語(実話)

2020-09-13 01:23:33 | 介護生活

ある認知症親子の物語

 京都市中京区の職人の住む一画で○○氏は生まれた。父は西陣織の糊置き職人をして厳しい人物だったようだが、○○氏は父親を尊敬していた。高校卒業後、父の弟子となる。しかし呉服産業の不況により、35歳の時に職人を辞めてホテルの警備員や電気製品の製造工、システムキッチンの組み立てなどに仕事を変えた。結婚はしていない。

 

父親は1995年に80歳で亡くなり、この頃から母親に認知症の症状があらわれはじめる。

母親の認知症は2005年4月頃から症状が悪化し、おにぎりの包み紙を食べたり、「キツネが居る」と言って天井を叩いたり。真夜中に外出しようとしたり、○○氏が仕事に行ってる間に徘徊して警察に保護されたことも。昼夜逆転(日中は寝ている)母親の真夜中に15分ごとに起き出す介護生活に○○氏も疲れが出始める。

 

 そんな事もあり、夏頃には介護保険を申請し、アパートの近くの施設でデイケアサービスを受け始めたが、昼夜逆転の生活は戻らなかった。

○○氏は懸命に介護し、7月には仕事を休職している。

 

9月頃、工場勤めをしながらの介護に限界を感じ、自宅で介護しながら出来る仕事を探したが見付からなかった。

12月には失業保険の給付もストップ。区役所には3度相談したが良いアドバイスは得られなかった。

生活が持ち直せる間の生活保護申請は「あなたはまだ働けるから」と断られている。

同じ頃、カードローンの借り入れも限度額の25万になっていた。生活費に窮するようになった○○氏は自分の食事は2日に一回にし、母親の食事を優先させた。

 

 こう言った苦しい状況になると、人は親戚なり友人を頼るものだが○○氏はそれをしなかった。

○○氏の心にはいつまでも父親が生前言っていた言葉が去来していたからだ。

「人に金を借りに行くくらいなら、自分の生活を切り詰めたらいいのや」

「他人に迷惑を掛けたらあかん」

「返せる宛の無い金は借りたらあかん」

 

2006 年  1月31日 この日迄に支払わねばならないアパートの家賃3万円はどこにもなかった。手持ちの現金は7000円。○○氏は親族に相談することもなく、自分たちに残された道は「死ぬこと」しかないと思った。

○○氏は自宅アパートをきれいに掃除し、親族と大家宛の遺書と印鑑をテーブルに置いた。その間、○○氏は母親に何度も「明日で終わりなんやで」と話しかけている。

最後の食事はコンビニで買ってきたパンとジュース。電気のブレーカーを落とすと、○○氏はリュックサックに死ぬための道具を詰めて、車椅子の母と2人アパートを出る。

2人が向かったのは三条の繁華街だった。母親がどうしても人の多い賑やかなところを希望したからで1人300円の運賃を払い、淀駅から京阪電車に乗り、三条京阪駅に着いた。

駅を出ると鴨川が流れている。2人は暫く川の傍で時間をつぶし、やがて賑やかな新京極通りに向かった。この通りの入口に蕎麦屋がある。○○氏が子供の頃、親子3人で食事をしたことのある店だった。

しかし手持ちの金が多くないために食事はしなかった。

 

夜、親子は伏見にいた。もう戻る事の出来ないアパートの近く、桂川の河川敷。(次にどこかへ行きたいか?)○○氏に聞かれ、母親が家の近くがええなと答えたから。午後10時の事だった。

 

2月1日、厳しい冷え込み。○○氏は車椅子の母に防寒具をかけてやった。それから何時間か過ぎた。

「もうお金もない。もう生きられへんのやで。これで終わりやで」

 

○○氏は泣きながら目を覚ましたばかりの母親に語りかけた。母親は「済まんな」「ごめんよ」と泣きじやくる息子の頭を撫で「○○よ 泣かなくていい」と言った。

 

「そうか、もうアカンか」

「一緒やで、お前と一緒やで」

 

母に呼ばれた○○氏が近づいたところ、額がぶつかった。

「○○はわしの子や。わしの子やで。 お前が死ねないのなら」わしがやったると母。

 

その母の言葉に○○氏は「自分がやらねば、、、」と思った。

そして意を決し、母親を殺害。

○○氏は遺体に毛布を掛けた後、自殺を試みたが失敗した。「土に帰りたい」と走り書きしたノートの入ったリュックサックを抱いて冷たい雨の降るなか虚ろな表情で佇んでいるのを通行人に発見されたのは朝の8時ころ、、、

 

2006年  7月 京都地裁

冒頭陳述の間、○○被告は背筋を伸ばし上を向いていた。肩を震わせ、眼鏡を外し涙を拭った。

裁判では○○被告が献身的な介護の末に失職などを経て追い詰められて行く過程を供述。殺害時の2人のやり取りや「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」供述も紹介。

 

目を赤くした裁判官。刑務官も涙を堪えるようなまばたき。法廷は静まり帰った、、、

 

懲役2年6月 執行猶予3年

 

判決言い渡しの後、裁判官は裁かれているのは被告○○だけでは無い。介護制度や生活保護のあり方も問われている。

 

○○に向かい「痛ましくも悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないように、母の事を祈り、母のためにも幸せに生きて下さい」

 

裁判官の語りかけに「ありがとうございました」

弁護士には「温情ある判決をいただき感謝しています。なるべく早く仕事を探して母の冥福を祈りたい」と語ったという。

 

その後○○氏は再就職先も見つかり、周囲にも立ち直ったかに映ったが、8年後には自ら命を絶っている。

 

 

認知症の勉強会の資料から

 

 

今まさに介護生活をされてる方も多い

認知症や鬱症状は看る側も健康を失いがち

親が子を 子が親を、、、悲惨な状況にならない為にも

相談して気持ちをほぐし、解決法を探す事は肝要です

老々介護はとても重労働です

頭がハッキリして意思表示が通じ合える介護ならマシな部分があります

親子殺人の境地を体験したから、この物語で涙が溢れました

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