ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(「Kawaii」という「極み」考③)

2017-03-06 14:24:40 | babymetal
昨日は、朝ゆっくり起き、録画しておいたXjapanのWembley公演を数時間遅れで視聴。
午後からは一仕事して、
夕方からは映画館で『Bis誕生の詩』『Sis消滅の詩』を連続視聴。

僕にとっては、BABYMETAL周辺のイヴェントを楽しみつつ、
改めて、BABYMETALの(ライヴの、また、3人の)独自性とは何なのか
を考える一日になった。

恐らく、BABYMETALに出会っていなかったら、
昨日、Xjapanのライヴをわざわざ録画して観る、ということもなかったはずだ。

Xも、昔はそれなりに好きなバンドで(日本からハロウィンみたいな曲をつくるバンドが出てきた!
と話題になった「紅」から数年間、アルバム「Jealousy」も買って愛聴していた)、
今でも数曲はカラオケの主要なレパートリーになっているけれど、
僕にとってはもはやほとんど「懐メロ」バンドだったから、
「(BABYMETALがいなければ)日本人初のWembley公演!」なんて喧伝されても
わざわざ観る気にはならなかったはずだし、
第一、WOWOWに加入してもいないはずだから、
観る機会さえなかった。

それを、こうして、録画して観てみることになった、というのは、
まぎれもなくBABYMETALの波及効果である。
(この火曜日には、映画『We are X』を観るつもりさえしている)

ましてや、『Bis誕生の詩』『Sis消滅の詩』なんて映画を観に行くなんてこと、
これはもう以前ならありえなかった。
いい年をしたオッサンがアイドルの映画を観に行く・・・?
人生でもっとも恥ずかしいことのひとつ、
自分の人生にそんなことがあるなんてゼッタイに許せない、そうしたことだったはずだ。

それが、まあ。

いや、BABYMETALは(もはや)アイドル(なんか)じゃない
という見解はありうるだろうし、
そういう主張を否定するつもりは全くないが、
しかし、BABYMETALが(Xを主要要素のひとつにしていることと同様、あるいは、それ以上に)
アイドルを出自としていること、あるいはアイドルであることの「凄み」を至高のかたちで世界中に発信していること、
これはBABYMETALの核として「探究」し続けるべきものだ、と僕は考えている。

タイミングがうまくあわずまだこのブログには記事をあげていないのだが、
『はじめてのももクロ[完全版]』というDVDも購入し、それとの比較対照において、
自分なりに「アイドルとは何か?BABYMETALとは何か?」を考える材料にしたりもしている。

だから、BisもSisも、ほとんど全く知らない(BiSHの「オーケストラ」という曲はたまたま知っていた)のだが、
ベビメタのまとめサイトで、この映画のことを知り、調べてみると京都でも上映されるということだったので、
後学のために、と、予定し、昨日足を運んだのだった。

で、まず、Xjapanのライヴについて。

(勝手に)危惧していたのが、放映予定時間の長さと、MCについてだった。

昨年の、当初予定されていた「日本人初」のWembley公演を前に、昨年(一昨年かな?)WOWOWで観た国内でのXjapanのライヴ
これを視聴したことがあったのだが、
笑顔でのMCもふんだんに盛り込まれ、YoshikiとToshiのいちゃいちゃしたやりとりもたっぷり交えた、
よくいえば「和気藹藹」「まったり」とした、
悪くいえば「ダラダラ」とした
ものだったのだ。
(以前このブログでその旨感想を述べたこともあった)。
早く曲に行けよ、と、何度も早送りしながら観ることになった。

しかし、今回のWembley公演では、
まさか日本語でのMCなんて出来るわけもないのだから、
そうした「和気藹藹」はざっくり削ぎ落とされ、タイトに引き締まったより純粋なロック・バンド然としたライヴになるはずだ、
と予測したのだ。

でも、にしては放映予定時間が長すぎるし・・・どうなるのだろう、
(まあ、生中継の放映予定時間は幅を持ったものなのだろうけれど、それにしても・・・)
という懸念を持ちながら、録画予約したのだった。

で、実際に観てみると・・・

何とも「まったり」していたなあ、というのが正直な感想。
まさかあんなにたっぷりと英語でのMCを盛り込むなんて思ってもいなかった。

そういう意味で僕の予想は完全に外れたのだが、
Xjapanとしては「らしさ」を存分に発揮したライヴだった、ということなのかもしれない。

MCなし、(しばしば)アンコールなし
そんなBABYMETALのライヴに慣れた身には、スリルの薄いライヴに思えたのだが、
考えてみれば、休憩なしにハイテンションで駆け抜けるBABYMETALのライヴの方が異様なのであって、
「まったり」する時間は(Xjapanほど多いかどうかは別にして)どのバンドのライヴにも基本的に存在してるし、
会場に訪れたファンもそれを楽しんでいるのである。

そう、だから、Xjapanのライヴがだらだらしていた、なんて感想を持つ方がおかしいのであって、
むしろ逆なのである。

BABYMETALのライヴが全くダラダラしていない、ほんの少しも「まったり」していない
ということ。
このことに改めて驚くべきなのだ。

「BABYMETALのライヴがMCなし(しばしば)アンコールなし」で成立している
観客に満足を与えている、
これはなぜか?その要因は何なのか?
Xjapanのライヴから、この問いが鮮明に浮かび上がってくる。

それは、端的に言えば、
(もちろんSU-METALもだが、とりわけ)YUIMETAL、MOAMETALの「kawaii」の「極み」のため、なのではないか。

BABYMETALのライヴ映像を、『Legend I,D,Z』で初めて通して体験したとき(僕は2014年の9月だった)、
「・・・何かとんでもないものを目撃してしまった・・・」と震撼させられたことはこのブログにも記したが、
その「とんでもなさ」とは、
SU-METALの歌声や神バンドの演奏という(正統的な)音楽的な感動・衝撃以上に、
YUIMETAL&MOAMETALの可愛さの「極み」、その「凄さ」に撃たれたこと、だったのではないか、と思うのだ。

YUIMETAL&MOAMETALの超絶的な「Kawaii」が、
MCなし(しばしば)アンコールなし、のBABYMETALのライヴにおける「説得力」となっている。

ここが、BABYMETALの特異性の核、なのだ。

そういう意味で、今月発売された『BURRN!』誌の、幅記者によるライヴ・レビューは、
実に「正直」なものだったと思う。

表紙にも目次にも「BABYMETAL」という文字はなかったが、あくまでもGUNSの来日公演リポートである、という大義名分があるのだから、僕はこれはこれで当然だと思う。
それ以上に、大判の『BURRN!』誌のほぼ巻頭に、BABYMETALのステージ写真とライヴリポートがかなりの分量載っている、ということ。
これには素直に感激した。
8頁~9頁には、見開き全面でのステージ写真に、「BABYMETAL」のロゴも頁をはみ出す大きさ。
その後の3日も、美しい写真が掲載される。・・・いいじゃないか。

「節操ないじゃないか。お前、『BURRN!』を批判していたんじゃないのか!」

はい。

でも、それは『BURRN!』誌がBABYMETALを不当にネグレクトしていたから、であって、
こうして(前座なのに大々的に)取り上げてくれれば、それを批判する理由は何にもない。
『BURRN!』誌が、こうしたかたちで「軟着陸」してくれたことは、単純に嬉しい。
4日間をまとめて、軽くコメントのみで済ます(前座なのだからある意味当然)という扱いもあろうし、
例えば『rockin'on』誌のようにGUNSのレポートはあってもBABYMETALなんて全く触れない(洋楽誌だから当たり前)
という扱いもありうるのに、
4日全てのライヴについて、写真とリポートを、巻頭特集の中で、
という扱いは、(前座に対する扱いとしては)「破格」と言うべきだろう。

で、そのライヴリポートの中身なのだが、『BURRN!』誌にこれほど「可愛い」という類の文言が躍ったのは(おそらく)空前のことだろう

そして、「可愛い」だから「メタルじゃない」、とはならないところが、BABYMETALの独自性、だ。
幅記者も決してそうした否定的な意味であのレポートを書いたのではない、と僕には読めた。
「Kawaii」からこそ新しい「ヘヴィメタル」であり得ている、という止揚の「凄み」
これがBABYMETALの唯一無二の独自性だ、そのことをつくづく体感した、というレポートだと読める。

1日目について。
SU-METALは凜としてよく通る歌声を聴かせ、文字どおりベビーフェイスのお人形さんみたいなYUIMETALとMOAMETALの2人は激しくシャープなダンスで魅せる。・・・最後に・・・ヘッドライナーにバトンを渡して彼女達がしゃなりしゃなりとステージを降りていった時には喝采が会場を包んだ。

2日目。
・・・周囲にBABYMETALファンが多くいたようで、ラストの「We are!」「BABYMETAL!」の掛け合いやキュートな「See you!」に対する反応はやけに熱く盛り上がっている。

3日目。
・・・その神バンドが奏でる本格派メタルなバッキングに、いかにもアイドルらしいポップさや和のテイストを備えたメロディを絡ませるBABYMETALの曲は、海外のアーティストやオーディエンスには特に新鮮に聞こえるはずで、ただでさえ幼く見える東洋人の女の子達が、媚びない強い声でひたむきに歌い、アグレッシヴに踊って全力で走り回る、そのギャップにハートを射抜かれずにいる方が難しい。メタル好きで音楽がカッコいいから聴いているという理由も成り立つし、単純に「だって可愛いんだもん」という理由だけでファンになっても許される彼女達ほどの可愛さは、ちょっと他の国では見つけられないだろう。聴けば聴くほど、観れば観るほど、実にユニークな存在である。

4日目(GUNSの5日目)。
・・・そして「ハイ!ハイ!」と腕を突き上げながらステージに戻って来た女の子達の、まあ可愛いこと。今日は初日の大阪と同じセットリストで、このキュートさは私が男だったら鼻血モノだなと思う”あわだまフィーバー”、日本人ならお祭り好きの血が騒いで「ソレ! ソレ! ソレソレソレソレ!」と盛り上がるしかない”メギツネ”と続く。
・・・”ギミチョコ!!””KARATE”、最後は”イジメ、ダメ、ゼッタイ”と、作り手の巧みさと演者としての彼女達の素晴らしさに打たれる曲が次々に繰り出され、スタンディング・エリアではモッシュ・ピットが出来るほどの騒ぎになっていたらしいが、とにかく今日も彼女達は全力でひたむきさとキュートさを振り撒いてオープニング・アクトの任務を終えた。SU-METALの「See you!」に対してMOAMETALとYUIMETALは「しーゆー♡」という感じなのもまたたまらなく可愛いのねぇ・・・と嘆息しながら、去って行く3人を見送る


もちろん、SU-METALの歌、神バンドの演奏、楽曲、の質の高さ、それらはもう当然として、
そのうえで、BABYMETALがライヴ会場の観客の心を鷲掴みにする、その「凄み」が何なのか、
とても正直に、しかも4日間にうまく評言を振り分けながら、記述した、そんなレポートだ。

さすがプロの文章だ、と引用のために書き写しながら強く感じた。

この、とりわけYUIMETAL&MOAMETALの「Kawaii」の「極み」による「凄み」。
これは、MCやアンコールの「まったり」では失われてしまうものだろう。

つまり、「鋭さ」「キレ」だ。
YUIMETAL&MOAMETALのキュートさとは、そうした次元のものである。
彼女たちの快進撃は、そうした「Kawaii」の「鋭さ」「キレ」によるもので(も)あり、
それは、現在のXjapanのような「まったり」としたライヴの楽しさとは、対極にあるものなのだろう。

「もしもBABYMETALの3人が森三中のルックスだったら・・・?」
というお題があるが、
少なくとも、ライヴにおける「説得力」は雲散霧消するだろう。
(渡辺直美だったら、また別の「説得力」はもつだろうが・・・)

ギミックに満ちたBABYMETALが、何ともスリリングな「本物」でありうるのは、
MCなし(しばしば)アンコールなしのライヴが至高のライヴとして成立しているのは、
YUIMETAL&MOAMETALの「完璧な美少女」ぶりによるのだ


それを改めて確認したのだった。


『Bis誕生の詩』『Sis消滅の詩』をめぐっては、また後日。
ひと言で言えば、
すべてのアイドルは、修羅に生きている」のだなあ、
ということをまざまざと観た気がしたのだった。

(つづく)