輝ちゃんつれづれに 

最近はインスタ・LINE、スレッズを始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

青春時代 その①退職は人生の落伍者だ

2017年11月05日 23時48分28秒 | 日記

○昭和39年の同期と一杯

昭和39年、1964年というから53年前の友だちか。

高校を卒業し就職した。当時は中堅企業と呼ばれた仁丹テルモへ。

配属された生産四課で不平不満分子の三人組。

一年持たず三人とも退社。

総務部長に言われた「辞める奴は人生の落伍者だ」一言が。

昭和第一工業高校、工学院大学高校とともに工業高校卒。

53年後の今の三人組は、一人は現役の職工さん(旋盤の名人らしい)、もう一人は北野町の町会長。俺は・・・。それぞれの道を歩んでいる。

今週末の11日(土)、立川で会う。

———古い日記帳を見つけた。昭和39年10月16日———

夜勤を一週間とうとうやった。

やったといっても一日休むけれど。

東京オリンピックも最高潮に達してきたけれども、日本選手の活躍がなぜか感じられない。

夜勤して東京オリンピックを見ようということはまず成功した。

東京オリンピックが終了したら自分は勉強する方向へ進みたい。

やりたいことは今のうちに!!

勉強をすること。

体を鍛えること。

心の成長をとげること。

大学生のアルバイトを見ても、自分はまだ努力が足らないということが如実にわかって、口ばかりでなく実行しなくてはならないと強く感じた。———

渋谷区幡ヶ谷にある工場に。12時間夜勤・昼勤という変則な勤務体制。体力自慢の俺だったがさすがに根を上げた。プラスチックの成形加工で立ち通し。金型は自動化されていなく手動。体温計のケースを作っていた。時代がガラスからプラスチックに変わる時。職工体験と総務部長の言葉が自分を大きくしてくれた。今度の土曜日は、その職工仲間と会うのだ。どんな話になるのか。

今振り返ると、東京オリンピックが人生の機転になった。勉強しようと決心。

○初ボランティア 心の交流を

T先輩が、「ちょこっとお助け隊」を立ち上げた。その企画力に感動し弟子入りさせてもらった。本来は「ちょこっとお助け隊大沢」と名乗りたいのだが、まだまだ力量不足と諸事情でそこまで行けない。

今回は三鷹社協からの依頼で、美術展への出展のお手伝い。

三鷹美術ギャラリーでの三鷹市市民文化祭美術展への作品の搬入・搬出作業。不慣れなことで。作品に傷をつけてはいけないので気を使った。なんとか今日依頼者に作品を返却。ただの作業だけでは心が通じないので付加価値をつけた。写真を添付し、それを通して心の交流をしたいと思った。

 


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