違いがわからぬ69歳
「暑さ寒さも彼岸まで」と詠われる「お彼岸」。秋のお彼岸は秋分の日を中日として前後三日間をさします。秋分と春分は太陽か真東から真西に沈みますが、お彼岸に先祖供養を行う風習は、この太陽に関係しています。仏教では太陽が昇る東を「此(し)岸(がん)(=この世)」、沈む西を「彼岸(=あの世)」といい、太陽の通り道が一直線となる秋分と春分の日はご先祖様に思いが通しやすいと考え、お墓参りをするようになりました。
お彼岸にお供えする「おはぎ」は萩のもちともいい、秋の花「萩」が由来で、形も細長い俵型です。ちなみに「ぼたもち」は、春のお彼岸のお供えとして「牡丹」に由来しており、花に見立てた平たい丸型ですが、現在では形の差はほとんとありません。お彼岸にはおはぎを持ってお墓参りへ。ご先祖様の供養とともに、四季の恵みに感謝することも忘れないでいたいですね。 ウエルライフ 9月号から
(終わりと始まり)時間の再配分 その話おもしろいねえ
池澤夏樹
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11942845.html?ref=pcviewer
昔の日本では、大人が果たすべき責務は二つあった。一つは家族を養うための「かせぎ」、もう一つは世間さまへの「つとめ」。祭りの手配や困窮者に手を貸すことや、もめごとの仲裁、などなど。
それが今は「かせぎ」ばかりになってしまった。福本さんは言う――「昔は人をつぶすとこまではせえへんかった。今はちがうやろ? 大学でたかて、みんなつぶされてるやん」
やっと俺もその辺に気がついてきた。面接で「なんでそんなに働きたいのですか」と言われたことを思い出した。67歳のとき何故か焦っていた。自分のことばかりしか見えない情けない奴。過去の自分に縋っていてはダメなんだと言いつつ現実はベクトルがそっちに向いている。ふつうの力を高める努力が必要なんだ。その意味で大学の公開講座の受講は刺激になる。後期は「精神に障害を持つ人へのソーシャルワーク」(ルーテル学院大学公開講座)を受講する。いままでこのような専門分野の学習はしてこなかった。新しい挑戦である。もう一つ9月から新しいことに挑戦する。これは終わってから報告しよう。準備する姿勢が大切である。年金生活に慣れてくると生活スタイルが乱れてくる。現に俺もそうだ。スポーツ番組やドキュメンタリーのいいものがあるとついテレビを見てしまう。最近は本を読まないと一日が終わらない感じ。明日へのプレッシャーがないからずるずると時間が過ぎてしまう。でも、この自由な時間こそが貴重だと思って勝海舟(子母沢寛著 一巻から六巻)に向かっている。今は第4巻の大政奉還の面白いところだ。
すごくいい本と出会った。本当の飾らない嘘のない脚色されていないある日本兵の戦争と平和が語られている。「生きて帰ってきた男」小熊英二著 岩波新書。
立川スポーツなんて懐かしい名前が出てきて・・・。