早いもので1月4日となってしまった。
「今年こそ、今年こそ」と力んでみても、いい正月を送ったことはない。
すべてが自分の甘さに起因することだからしかたあるまい。
LEOクンは元気です。最近イトーヨーカドーへの買い物を喜ばない。
原因は、駐車場で待っている時間が長く、寒いらしい。
近くのセブンなら喜んで。おやつももらえるから。
まだ二巻目であるが、今の政治状況も踏まえ、日本、日本人、自分を考えるため知るためにもp95、p96を打ってみた。
それにしても政治家の皆さん優雅な正月を送っていますね。誰かさんはゴルフ三昧ですよ。
こんな時こそ本を読み語彙を高め人間力をつけるときではありませんか。
一体、あの日本人たちの精神構造は、どのように成りたっているのだろうか。すべて武力をもって中国大陸を侵略し、無辜の人民まで殺戮しておきながら、国交回復では、「遺憾」という曖昧な表現で、過去の罪状を詫びたのみであった。自分はその世代の日本人たちの犯した過去の罪悪に、幼い頃から小日本鬼子と軽蔑され、絶えず、頭を垂れて生まれてきたのであった。
その中で第二の養父、陸徳志の恩愛によって、貧しい中からも高等教育を受け、北京鋼鉄公司に配属されたが、文革が起こると、日本人なるが故に、日本の特務と生産破壊罪の容疑を受けて、労改へと送られ、囚人生活に呻吟しなければならなかった。その度に日本人とは、日本人とは、かほど罪業深き民族かと懊悩し、慟哭してきたにもかかわらず、彼ら日本人には一片の贖罪感も見受けられない。国交回復ですべてが清算されたかのように尊大で、優越感さえ感じられる。そして製鋼視察団の一行の二人の団員は、「遅れているな、玩具のようだ」と私語し、中国の製鉄状況を屈辱する言葉を吐いたのだった、何という無神経さであろうか。
その心の傷が、まだ尾を曳いている時、国家機関の重工業部へ転属させられようとしている。内蒙古の労改で、華僑の黄書海に、母国語を知らないことは民族の恥だと云われ、学び始めた日本語が今また、自分の人生を翻弄し、月梅との絆にも関わって来るのではなかろうかと危惧した。
戦争の傷跡がここにも
1月2日に武蔵野吉祥七福神めぐりをしてきた。
延命寺から杵築神社に戻るとき、グリーンパーク遊歩道を走ってきた。