2012年6月13日
厚生労働大臣 小宮山洋子 様
特定非営利活動法人
日本障害者協議会(JD)
代表 勝又 和夫
生活保護を巡る論議の動向に関する見解
厚生労働業務の推進につきましては、格段のご配慮を賜り厚く御礼申し上げます。
芸能人の母親の受給に端を発した生活保護を巡る論議の動向について、障害者の自立と社会参加をめざして活動を続けてきた日本障害者協議会(JD)としては、大きな危機感を抱かざるをえません。「最後のセーフティネット」である生活保護のあり方と関連施策について、JDとしての見解を表明させていただきます。
まず、「生活保護を抑制すべき」という安易な声に異議を唱えます。
論議の契機となった芸能人の母親の受給に関しては、「不正受給」とはなりません。高額所得者であるゆえの道義的な責任は考えられますが、これは極めて特異な事例にすぎません。にもかかわらず、生活保護制度そのもの、受給者全体の問題であるかのような報道がなされ、論議が展開されていることは極めて遺憾と言わざるをえません。
受給者が増加し財政を圧迫しているとの指摘もありますが、わが国の生活保護受給率は1.6%で、ドイツの9.7%、イギリス9.3%、フランス5.7%など、先進諸国と比較すると異常に低いと言えます。生活保護の受給資格があって現に受給している人の割合を示す捕捉率も、わが国は15~20%(2011年度)であるのに対し、フランス92%、イギリス90%、ドイツ65%(2008年度)となっています(生活保護問題対策全国会議資料より)。
こうした統計からも、「生活保護を受けるのは恥」といったわが国特有の意識があり、真に必要な人が受給していない現実があると推測されます。実際に、これまでも餓死事件が何度も起きており、最近頻発している孤立死や、同居家族がいるにもかかわらず複数の世帯員の死亡が確認された例など、悲惨な事件が相次いでいます。生活保護制度が適切に機能していたなら、こうした悲劇は十分に回避できたはずです。
次に、6月4日付で小宮山厚生労働大臣名で出された、「『生活支援戦略』骨格について」の内容に疑問を感じます。
生活困窮者を巡る問題の深刻化などの「基本認識」、貧困の連鎖の防止などを掲げた「基本的視点」などの指摘は理解できます。しかし、改革の方向性として掲げられている「生活保護制度の見直し」には、納得できない点が数多くあります。
特に、「(2)指導等の強化」の中の、「②扶養可能な者には適切に扶養義務を果たしてもらうための仕組みの検討」には、明確に異議を唱えます。JDは、1980年に国際障害者年日本推進協議会として発足した当時から、民法877条を中心とした扶養義務制度の問題を提起してきました。
この規定ゆえに、20歳を過ぎた成人となっても家族に依存せざるをえない障害者が、その尊厳を否定され、自らの生き方を実現しようとする自立を阻まれてきたからです。障害者自立支援法の応益負担に対する反対や違憲訴訟も、この扶養義務規定が1つの要因であったとみなすこともできます。
障害者権利条約の批准を視野に入れ、障害者関連の国内法の整備を進めていた障がい者制度改革推進会議においても、家族からの独立が大きなテーマとなりました。昨年8月に出された障害者総合福祉法(仮称)の骨格提言では、「家族依存の状況」を「放置できない社会問題」と捉え、「家族依存からの脱却」を重要な課題として提起しています。
小宮山大臣は、今回の問題を機に、「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務」を課すことを生活保護受給の要件とする法改正に言及しています。生活保護制度の本質的な問題や、雇用対策などの急務の課題に着手する前に、「扶養義務」を強調することには大きな疑問を感じます。核家族化が進み、虐待やDVなど、家族間の問題が深刻化している現状をさらに悪化させることになると考えます。
扶養義務に関しては、生活保護問題対策全国会議代表幹事で弁護士の尾藤廣喜氏が、法律家の立場から問題を整理しています(「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」5月30日付)。欧米諸国の多くが扶養義務を「配偶者間と未成年の親」に限定している中で、100年以上も前に制定された、「大家族」時代の民法を根拠にすることの矛盾を多角的に論じています。そして、扶養義務が強調されれば、確実に餓死・孤独死・自殺が増え、「これは、緩慢なる死刑である」とまで述べられています。
この民法877条を中心とする扶養義務規定のために、「個」や「尊厳」が否定され、「自分らしく生きる」ことを断念せざるをえなかった障害者に、日本障害者協議会(JD)は数多く接してきました。だからこそ、この扶養義務規定の改正と、国民の視点に立った生活保護制度に関する抜本的な検討を求めます。
以上