社会福祉法人さざなみ福祉会

てんかんや精神障害者の人の作業所などを運営しています

交流会参加

2007-04-26 09:37:29 | Weblog
きょうされん福岡・都市圏ブロック
仲間の学習交流会 3月23日
はるかぜ、第一ひかり作業所、第二ひかり作業所、あかり作業所、はな、あおぞら作業所、WELLなどが集まり、元気いっぱいの出し物に圧倒され、楽しませてもらいました。さざなみは三人だけの参加で自己紹介だけでしたが、来年こそは何か芸を披露しなければと思いました。ギターやジャンベも。

花見

2007-04-26 09:36:44 | Weblog
お花見  3月30日           
前日の風雨で天候が心配でしたが、翌日は晴れ渡り、花畑園芸公園は、桜の見頃でした。広場でスポーツしたり、公園内を散策して過ごしました。しだれ桜も美しく、他にも春の花をたくさん観て、ゆったりとした気持ちになりました。

第2作業所売り上げ報告

2007-04-26 09:34:31 | Weblog
2006年度売り上げ目標380万円
2006年度実績    467万円
① 草取りは、なるべく短い時間で仕上げられればと思いました
② みんなで一生懸命して出せた結果だからとても良い
③ お菓子作りはもっと技術を伸ばしたいです。
今年は目標額を大きく上回りました。草取り作業は、宣伝チラシの各戸配布や営業に回る等で年間目標を上回る60万円を売り上げました。営業の大切さを実感しました。3月末には作業所全体で会議を行い、去年の反省を仲間も、職員も出し合いました。皆、もっと売り上げを伸ばしたいという思いがあり、積極的な意見が沢山出ました。

第1作業所昨年度売り上げ報告

2007-04-26 09:33:26 | Weblog
2006年度売り上げ目標320万円
2006年度実績    367万円
① 草とり、お菓子作りの仕事に参加する人が増えました。少しづつ上手くなって、生産力が上がりました。
② これまでの「ほっこり栗チョコ」に加えて、新製品として「はんなりパインチーズ」「ぽっとするワインケーキ」が加わりました。ビスキュイも本格的に生産が始まりました。
③ 定期的なハウスクリーニングやマンション清掃の仕事が、一ヶ所増えました。
毎月の作業会計は、その時希望する仲間が職員と一緒に計算しています。売り上げの推移を表にしたり、今月はバレンタイン企画の成果がやはり大きいと分析をしたりしています。春のボーナス説明会では2007年度の目標額について話し合いました。

てんかん黙示録

2007-04-19 14:49:37 | Weblog

風のかくれんぼ  てんかん黙示録

永井 瑞江著定価 1680円(本体 1600円)四六判 424ページ 2007年04月 ISBN978-4-7840-7053-4 C0095 ジャンル:社会・ノンフィクション信濃毎日新聞社 刊  娘の発病を機にてんかんの猛勉強を始め、まだ夜明け前だったてんかん医療の世界に敢然と挑んだ母親の物語。テレビゲームとてんかんの関係が取りざたされた時は誤解と偏見を拭う啓蒙活動の先頭に立ち、てんかんを戯画的に描いたSF小説が教科書に採用された時には憤然抗議して作家を「断筆宣言」に追い込んだ。深く傷つけられた者たちの思いを胸に抱いて十余年。執念で書き上げた入魂のノンフィクションを以下の「出版宣言」と共に世に問う。 ●出版宣言『無人警察』教科書問題を覚えていますか。 著名なSF作家が1960年代に書いた未来小説が発表から30年近くたって高校国語教科書に掲載されその小説の中の「てんかん」にかかわる記述がこの病気に対する誤解と偏見を助長するとそして患者と家族の心を深く傷つけると抗議の声が沸きあがりました。 その一方でその作家は「文学には差別する自由がある」と言い張り「あたしゃ、キれました。プッツンします」と断筆宣言。 論争はやがて文壇、マスコミ、言論界を巻き込んで「表現の自由」「言葉狩り」「自主規制」「言論弾圧」…さまざまな言説が飛び交い、百家争鳴の観となりましたがそもそものきっかけだった「てんかん」からは遠く隔たり患者と家族たちの悲鳴は置き去りにされたままでした。 あれから14年、あの事件は何だったのでしょうか。 あの時、悲憤慷慨を綴った手紙を作家に送り作家を断筆宣言に追い込んだという著者は「いつかきっと書くね」と仲間たちに約束したまま今年はや74歳になりました。 21世紀に至ってもなお誤解と偏見のうちに喘ぐてんかん。いやあの事件を経て世間のてんかんに対する認識はかえって時計の針を逆戻りさせたかに見えるこのごろです。 急がねばならない。 今こそ声を振り絞って訴えねばならない。世紀の大論争の陰で涙とともにのみこんだ悲しみと怒りの日々を光と影の間で、希望と絶望のはざまで、かくれんぼする風に託し隠すことなくてんかんを生きる勇気の言葉で語らねばならない。 娘の発病にうろたえた40年前、毎朝の新聞を広げても「て」と「ん」と「か」の字しか目に入らなかった母親は娘の病を必死に勉強し、てんかんを書き継いできました。 『風のかくれんぼ てんかん黙示録』入魂のノンフィクションをお届けします。 下記より購入できます https://info.shinmai.co.jp/book/datafile/002931.php


仲間・OB紹介

2007-04-14 11:39:07 | Weblog
23歳のときに被害妄想や幻聴で、ものすごく苦しいときがあって、父親に殴りかかったりしたことがあり、父親から精神科に連れて行かれ、当時、精神分裂病(現在でいう統合失調症)と言われ、お薬による治療が始まりました。その後もお薬の副作用や精神的な強い苦しみが何年か続き、自殺も考えた事もありました。しかし、先生の「そういう苦しみはだんだん取れてくるよ」という言葉を通院するたびに言われ、その通りにだんだんと良くなってきて、ある日先生から精神科のデイケアに通うように勧められ、そこに何年か通い、少しずつ良くなってきて、25歳のときに先生から作業所といういろんな障がいがある人が通うところに行ってみるように言われ、さざなみに通うようになりました。その年の冬に、赤坂のハローワークの5階にある障害者職業センターで職業訓練を受けてみないかと、当時第二の所長だった下川さんに言われて、さざなみに通いながら約4ヶ月訓練を受けました。その訓練が終わって、そこからハローワークの障がい者コーナーを紹介され、さざなみに通いながら週3日で一日5時間のバイトを半年ぐらいで見つけて、さざなみに通いながらそこで働き始めました。だんだん体も仕事に慣れてきたので、そのバイトを週4日に増やしてもらい、約1年8ヶ月そのバイトを続けました。そのバイトをやめて、次は1日8時間で週5日のバイトをさざなみに通いながら探し始めました。あせらずに探していたら、1日5時間から8時間くらいで週5日のバイトを半年くらいかけて見つけて、今そこで7ヶ月くらい働いています。
一番病気が苦しかった時期に比べると、今こうして働けているのが夢のようです。

コメントより

2007-04-08 15:30:41 | Weblog
バザー用品について (Voluteer)

2007-03-27 09:45:01

 初めて投稿させていただきます。
 一昨年バザー用品を提供した御縁で機関誌を頂くようになり、毎年行われるバザーに合わせてバザー用品を集めています。
 今年もわずかではありますが、提供させていただきたいと思います。
詳細につきましては、本日Faxにてご連絡させていただきますので宜しくお願いします。

 自宅に送られてくる機関誌は、ほのぼのしていてとても楽しく拝見しています。(時折、重い内容もありますが)
「まだまだ世の中捨てた物ではない」と発信していただけたらと思います。
 最近はずいぶん暖かくなって桜もほころんできましたが、くれぐれもご自愛下さいますように。