何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

格闘と戯れ

2019-09-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコが天上界の住犬となって、3年と8か月
本格的な夜コーラスと丑三つ時チッチが始まり、私の腕枕で寝るようになったのが、
ちょうど四年前の今頃の時期だったよね
夜ごとワンコと庭に出たおかげで、神々しいお月様やお星さまを一緒に見ることができたし、
ワンコとの約束の星に誓った約束は、今の私を元気づけてくれているから
ワンコに感謝しているんだよ
ありがとうね ワンコ

家族みんなで上高地に行くときは、ワンコはいつもお預けの身になっていたから、
ワンコのお山の麓の上高地をワンコは好きではなかったかもしれないけれど、
今では、いつでもどこでもワンコと一緒に旅するから、楽しいね ワンコ
奥穂からの下山後、いつもなら相部屋なのだけど、
今年は徳沢ロッヂのテラス付きの個室(沢とロの間のお部屋)でゆったり過ごせて快適だったね
これからも、いろんなところを一緒に旅しようね ワンコ
                
そんなお山のお話は、又いずれ書くとして、今月のお告げの本について報告しておくね
 
「格闘」(高樹のぶ子)
 
ねぇワンコ
さっぱり分からなかったよ
書かれていることも、ワンコが本書をお告げした意図も
もう、何もかもさっぱり分からなかったのは、私が時間を継ぎ接ぎしながら読んだせいばかりではないと思うんだよ
 
本書の帯より
『駆出しの作家だった頃の私が取り組み、完成できなかったノンフィクション。それは、ある忘れられた柔道家の型破りな半生を追ったものだった。だが、彼に寄り添う女、高校時代の恩師など、取材を進める毎にその実像はぼやけていく。一方、本人と私の間には感情のさざ波が立ち始め――相対する二つの魂の闘争と交歓を描く。』

今まで髙樹のぶ子氏の作品を読んだことがないということは、
私のアンテナにかからないジャンルを手掛ける作家さんということなので、
お告げとはいえ、読むのを躊躇ったのだけど、
型破りな柔道家の半生を描いた作品、という一点に興味をもって読んだんだよ
 
本書は例えば、第一章「出足払」、二章「浮腰」、三章「双手刈」といったぐあいに、
一章ごとに柔道の技がタイトルとなっていて、章の冒頭には作者による技の解説があるんだよ
だから、柔の道を説くお話しかと思うと、そうではなくて恋愛ものなんだな、これが
そして、その技の説明が、その章の恋愛模様を模しているあたりに、髙樹氏の力量が感じられはするのだけれど、
高樹氏の作風なのか、しょっぱなで分かってしまう道ならぬ道は遅々として進まない
このじれったさが大人の香りだというのかもしれないが、それを味わう趣味も時間もないので、
本書のあらすじとは無関係に気になったところを、記しておくね(『 』「格闘」より)
 
『人間も犬も同じなの。
 牙を剥いて吠えていた相手に、あるとき噛みつかれたら、それ以後は怖くなって牙を剥くことが出来なくなる。
 そして二度と吠えなくなる。吠えても遠吠え程度』
 
これは、子供のときに犬に噛まれて以来 犬が大嫌いだという柔道家の言葉なんだよ。
この柔道家、
犬の居る家の近くを通ることすら避けていたけれど、
世界中どこへいっても犬はいるし、犬は怯える相手を襲うから、
一大決心をして、犬に噛みついたんだよ
それ以来、世界中の犬が柔道家にひれ伏し、それ以後吠えられることはなくなったんだって
肝心なのは、コイツは吠えても無駄だと犬に思い知らせることなんだって
 
犬嫌いな人が書けば、こうなるかな、というもんだね、これは
もっとも私だって、いつまでも「話せば分かる」と思ってるほどお人よしでもないけれど、
100%は承服しかねる論理だね
 
100%というと、
本書では、100パーセントは美しくないという柔道家の考えが示されているんだよ
 
『100パーセントを目指すよりも九九パーセントを狙う方が困難で上等です』
 
ねぇワンコ
この意味わかるかい?
柔道家は、九九パーセントは美しいけれど、100パーセントは醜いって言うんだよ
 
『(九九パーセントは)・・・・・美しいだけではなくてですね、深いから人を惹きつけるし、動かすと思いますよ。
 おまけに情ない。情なさが良いんです。
 永遠の運動も100パーセントまで行けば終わるけれど、九九パーセントであればまた振出しから始めることができるでしょう。
 それが馬鹿げた積み重ねであっても、生きていけるではありませんか、毎日が続いて行くでしょう』
 
およそ格闘家らしくない言葉だけど、言いたいことは分かるよね
ただ、
100を目指して努力しても70にも達しなさそうな私なので、
振出しから始めることができるから九九が美しいという論理を、今納得するのは難しいけれど、
あとの1パーセントの重みをしみじみかみしめる年は、そう遠くはないとも思うんだよ
そんなことを考えていると、この夏初めて出会った自分の写真を思い出したんだよ  
夕日を背に、穂高岳山荘のテラスから蝶が岳や常念岳を見ていると、
たちまち雲が湧きあがり、光の輪ができたんだよ
その真ん中にいるのは、妖怪なのか神なのか
上手く云えないんだけどさ、
自分の中の善と悪を、時々しっかり見つめて、
欠けている1パーセントを好いものにするべく日々精進するしかないんだな きっと
見守り見張っておくれよ ワンコ
 
 
 
追記
題名の「格闘」が示す通り、主人公は何を話すときも恋愛する時も、一瞬一瞬「勝った負けた」と、相手や 時に自分自身と戦っているのだが、そんな主人公の性格が、私にとって本書を読みづらいものにしていたのかもしれない。
ワンコが本書をお告げしてくれた理由が、まさか「もっと戦闘的に頑張りたまえ」ということではないと思うけれど、私には、誰かと争ってまで何かを手に入れたい、という強い思いが根本的に欠如している。
そこからくる弱さを、ワンコは心配してくれているのかもしれない、などとふと今気づいた次第。
 
ところで、作者は 100は100パーセントと表記しながら、99はなぜ九九パーセントと表記するのだろうか?
 
 

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