何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

一語のあるお台所

2021-02-05 18:39:39 | ひとりごと

1月20日ワンコの日の翌日
人生の大先輩から瑞々しく美味しい立派なイチゴが届いた。
ここ数年毎年この時期にイチゴを送って下さるのだが、初めてイチゴが届いたのは、ワンコが天上界の住犬になって二年目のことで、しかもワンコの日でもあり(ワンコが最後に口にしたのが、イチゴとカスタードクリームだった)、又その時期私は自分の方向性に思い悩んでいたこともあり、そのイチゴは人生の先輩とワンコからのエールのようにも思えて、心から有難かった。

最近、子どものリビング学習の効能について内輪で話題になったのだが、考えてみれば台所は大切なことを教えてくれる場所だった。料理というのは基本、大切な人を想いながらすることだからかもしれないが、だからこそ愛憎が入り混じるところでもあるのかもしれないということを再認識させてくれる本を読んだ。

「向日葵のある台所」(秋川滝美)


本の帯より引用
『学芸員の麻有子(46歳)は、東京の郊外で、中学二年生の娘・葵とともに、穏やかに暮らしていた。そんな折、麻有子の姉・鈴子から「母が倒れたので引き取って欲しい」と連絡があった。母とも姉とも折り合いが悪く、極力関わらないようにしてきたのにー。
姉の勝手な振る舞いにうんざりしつつも、受け入れざるを得なくなってしまう。
「いったん引き受けて、やはり居心地が悪いと自主的に戻ってもらう」という葵の提案のもと、絶縁状態だった母親との生活が始まった。
だが、葵の知られざる一面も見えてきたー。
肉親だからこそ許せない、心の棘がそこにあるー』

 

『どうして私ばっかり』『肉親だからこそ許せない、心の棘がそこにある―』という文字が赤文字で一際大きく記されている本の帯。

本書は、深くものを考えさせたり、格言名言の類が散りばめられたりするわけではないのだが、どこにでも起こりうる親子関係であるために、じわじわ感じさせるものはあった。
人間と云うのは、それが例え親子であっても相性というものがあるので、母と娘であっても理解しあえるわけではないのは当然だが、母と娘が折り合えない場合、それに連なる記憶が台所やリビングになってしまうのは、哀しいものだとしみじみ感じた。

本書には、精神的虐待を続けてきた母が過去を振り返り、『どうしてこういう言い方しかできないのかしら・・・自分でも本当に嫌になるわ。我が子相手にマウンティングなんて愚の骨頂。ずっとこんなことばっかりしてきなのね、私は』と反省の?弁を口にする場面があるが、考えてみると近年、自分より立派な子供を認められず、我が子相手にマウントをとる行為が如何に愚行かということを、お台所で考えてきた。

今、「女は競争心が強いので(会議が長引くため)会議には不向き」だとか「男の会議に加わってよいのは弁えている女だけだ」という発言が問題になっているが、この御仁 過去には「子供を産まぬ女を税金で面倒見るのはおかしい」とも言っている。
子供を産まぬ云々は2003年のことだが、考えてみると、ご成婚以来長くお子様を授かられず、流産を経て女児を授かられるや「一人産めたのだから、次は男児を」と言われたという雅子妃殿下は、この発言をどのようなお気持ちでお聞きになっただろうか。(雅子妃殿下がご体調を崩されたのは、2003年晩秋のことだった)

そして本書でも、後継ぎは男、ゆえに男を産んだ女はエライという発想で、我が子にマウンティングする場面がある。

世論調査をすると8割の人が東京五輪に反対だというので、この話題は恰好のエサになっているが、この御仁やマウントをとる親の発想は、何も今更始まったことではない。それを長く放置してきたがゆえに、世界に恥をさらす事態になっているのだと思う。


ペチュニアに向日葵
とはいえ、写真を撮ったのは一月も末のこと
軒下で冬を凌いでいるペチュニアと晩秋まで咲くという千輪咲き向日葵だ
一番厳しい時期は越えつつある

 

困難な時期に多くを学んだ台所、その主のご健康を心から祈っている。