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ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

フラゴナールの閂

2005年07月23日 12時54分19秒 | 芸術
 なぜかすごく気になっていて、このところ、ずっと探しものをしていました。今となっては「たぶん」なのですが、朝日新聞の書評に載っていた本をずっと探していました。というのは、大好きなフラゴナールの絵が表紙になっていたからです。先日は、紀伊国屋書店のサイトの2001年から見られる新聞書評の本を、延々と調べていました。これって、目がしょぼしょぼになるんですよ。その記事はたしかに、書評で読んだはずで、それも、ここ2年くらいだと思っていました。
 このところ、ジェンダーの本を読み漁っていたのですが、その本にはたどり着けなかったんです。本のタイトルを知らずに、ただ表紙の絵だけが頼りなんて、そんな探し方、果たして見つかるのかと思っていました。使われた絵は、私が大好きなフラゴナールの閂。この絵は、かなり刺激的です。次にどういうことが起こるのか、大体想像がつきますよね。実は、彼は「あぶな絵の巨匠」なんです。日本でいえば、春画でしょうか。私の想像ですが、彼は早描きだったと思います。そのタッチがいきいきしていて、大好きです。でも、売れっ子画家は晩年、フランス革命の修羅場をくぐり、あのルーブル美術館の屋根裏部屋で極貧生活を送って亡くなったということです。奥さんも、画家だったと思います。
 そして、いろいろ探しているとき、ふと、思い浮かびました。この絵のイメージとして「性暴力」とか「強姦」ですよね。それで検索してみたら、まさにストレートなタイトルで本が見つかったのです。タイトルは「強姦の歴史」。それも、翻訳の本が発行されたのも1999年でした。紀ノ国屋で見つからないわけです。そんな昔だったのでしょうか、記憶というのは、不思議なものです。それで、見つかったときの感動の勢いで、アマゾンで注文してしまいました。ま、ジェンダーの研究書の一つとして、価値がありますから。紹介の絵は、一部分です。画面には、まだカーテンや「りんご」(これは、果実を食べる、快楽の意味でしょうか)が描かれているのです。

エドワード・ホッパー

2005年07月04日 10時18分28秒 | 芸術

 先日見た「トニー滝谷」ですが、たしか、映画の雰囲気をエドワード・ホッパーの絵のようにしたいとかいう記事を読んだ記憶があります。そして、以前、テレビ東京の大好きな番組、「美の巨人たち」で取り上げたときの印象を思い出しました。たしかに、静かで洗練された絵は、あの映画に似ています。エドワード・ホッパーは、日本のサイトではあまり見つからなくて、こちらに絵もいろいろ出ていたので、ぜひ、ご覧下さい。けっこう、ポスターも通販で手に入るようです。


ついていないとき

2005年06月25日 10時51分47秒 | 芸術

 昨日は、夜、コンサートを聞きに行く予定がありました。バッハ・コレギウム・ジャパンの定期演奏会です。それで、夕方家を出る前に、いろいろとやっていたのですが、まず、猫に夜の分の食事、そして自分達の食事の支度。夫が数日前に作ったカレーが冷蔵庫にあるので、それを食べればいいからと、お米の支度をしていました。我が家は、米の中に少し油脂を加えるのです。以前は太白ごま油でしたが、今は、酒屋さんがくれた米油、原料が同じだから当然相性もいいだろうと、単純な発想です。それで、食用油の容器の蓋をつかんで持ち上げたら、なんと蓋が取れて落下し、私の膝から下と足許が油まみれに!あと5分で着替えて出掛けるのに!!もう、パニックでしたね。気を取り直して、ティッシュペーパーと雑巾で必死に掃除をし、米にその恨みの油も加えてタイマーをセットし、当然、化粧する時間もないので諦め、素面でさっさと着替え、新しいオルビスのストッキングをはいた途端、これまた伝線!!えーーー???もう、ショックでしたね。このタイプのは、私にしては高価だったのです、とほほ。そんなこんなでも、超特急で家を出て、「何て、ついていない日なんだ!」と、腹が立つやら気落ちするやら・・・。コンサート会場の手前で、イタリアントマトJrという、ヴェローチェのように安いカフェがあるので、そこでエスプレッソコーヒー160円を注文しました。すると、私の後に並んだ男性は女性を連れていて、チラッと見たのです。私も、どこかで見た顔だと思いながら、そそくさとコーヒーをもらい、すぐ隣のカウンターで一人で飲み始めました。その彼は、女性の分とテイクアウトで注文していましたが、すぐに思い出しました。本番まで30分切っているけれど、かれは、BCJのオーボエ奏者、三宮さん、隣は尾崎さん!まー、間に合うの?とちょっと心配。でも、飲んで店を出た時には、もう一人、それらしいステージ衣装の外国人男性が、まだ座って食べていました。多分、ファゴットのダニー・ボンド氏では?彼、18世紀オーケストラのメンバーでもあるそうです。すごいですね。
 というわけで、ついていなかったのか、ついていたのか・・、よくわかりませんでした。もちろん、演奏は、とてもよかったです。カンタータ127番の中の曲、三宮さんのオーボエソロとソプラノのアリア、とっても素敵でした。後半、弦もピッチカートで加わるんですよ、これもまた面白いのです。いい曲でした。今回の定演で、バッハのコラールカンタータの最後という、一区切りのコンサートだったそうです。


ゴッホ展

2005年05月18日 14時27分33秒 | 芸術
今日、夫が平日休みを取って、一緒に竹橋の東京国立近代美術館で「ゴッホ展」を見に行きました。
なるべく早く行こうと決めたのですが、私たちは九段下から歩いて行き、途中、あの橋に行列が出来ているのを見ながら、現場の「非常事態」はそれほど認識していませんでした。
ゴッホ展は、NHKでも盛んに宣伝していて、新日曜美術館や他の特集番組でも面白い企画があって、ぜひ行きたいからと金券ショップで微妙に安い券を手に入れたのでした。
ところが、いざ、日にちを決めて行って見ると、GWを避けたにもかかわらず、とんでもないくらいの行列でした。22日が最終日だからでしょうか、平日なのに、無茶苦茶混んでいました。私は今までにこんなに行列している美術展を日本で見たことはありません。まるで、ウフィツィ美術館やバチカン博物館みたいですよ。
やっと中に入っても、すごい人で、絵を見るなんて状況ではないんです。
すっかり幻滅して、早々に出てきてしまいました。あれで芸術鑑賞なんて、絶対にできませんて。
学芸員にでもなって、事前に関係者だけで見られる特権があればいいでしょうけれど、庶民が集まって見ても、あれではちょっと・・・。

収益をあげたいのでしょうか、ミュージアムショップでも、海外でのゴッホのグッズも盛んに売っていました。
これって、何でしょうね。

ゴッホは生前、たった1枚の絵しか売れなかったという極貧人生だったのに、これを見たらどう思うでしょうか。

たしかにゴッホは人気がある。先日は夫が一人でジョルジュ・ド・ラトゥール展を西洋美術館で見て感激して帰ってきました。そんなに混んでいなかったって。そっちにしておけばよかったかな。
ラトゥールの絵は、大工ヨセフを、初めてヨーロッパに行ったときのルーブルで必死で探して見たんです。そのときの思い出だけで充分・・・。

当分、国内の美術展には行く気になりません。あれでは、人込みの湿気で絵も傷みそうです、かわいそう。

映画「父と暮らせば」

2005年05月17日 22時04分18秒 | 芸術
今日は、下高井戸シネマで映画「父と暮らせば」をみてきました。私は去年から、下高井戸シネマ友の会に入ったので、たまにこの映画館で映画を見ます。楽しみにしていた映画でした。もともとは、井上ひさしの芝居がオリジナルで、映画も、出て来る人は、主人公の女性(宮沢りえ)と、原爆で亡くなった父親(原田芳雄)と、彼女に思いを寄せる(実は彼女も思いを寄せる)男性(浅野忠信)、それと同じ図書館に勤める女性の4人くらいしか出てきません。それもほとんどが家の中のシーン。でも、芝居とは違い、その「原爆」のすごさと悲惨さを映像で示しているのです。だから、映画にしたかったのではないかしら。
原田芳雄演じる父親のユーモラスな雰囲気と娘とのやり取りは、笑いもあってとても楽しい。彼女のかたくなな心をなんとかしようと、出てきた幽霊の奮闘ぶりは、なんとも面白い。
そして、何度も何度も泣いてしまう、その戦争体験の彼女のつらさ。

この映画は、世界中でもっともっと上映してほしいです。

原爆、東京大空襲、日本は、兵士だけではなく、市民がたくさん殺されたのです。
こういってはなんですが、9.11のNYテロで大勢の人が殺されたけれど、もっともっと大勢の罪もない市民が、日本ではたくさん殺されたんです、アメリカに。
アメリカは、未だに原爆展をさせてくれないそうです。事実も真実も隠して、何が正義なんでしょうね。

靖国問題もいま、深刻になってきていますが、私がいいたいのは、国家が国民をずっと操作して欺いていたということです。国威掲揚とか、どれだけ国家が靖国神社を利用してきたか、戦時中のそういうことを考えれば、アジア諸国が神経質になるのは当然でしょう。戦後処理もきちんとしていないし、これは国内でもそうだと思います。
母は、敗戦時は18歳だったと思います。真っ先に思ったのは「これで、夜電気つけられるのね!」と喜んだとのこと。

戦争とは、人の暮らしをめちゃくちゃにしてしまうことなんです。今も、イラクで、そして今はウズベキスタンでもそういう状況にあるんです。
人が普通に暮らすこと、そこに住んでいる人たちのことをもっともっと優先して考えてくれたら、そんなに戦争なんてことにならないんじゃないかしら。国家は、国民あってのものなのに・・・。

生きている自分が申し訳ない・・・、こういう思いは、戦後の多くの人たちが感じたものだったかもしれません。事実、私の父は、兵役検査が肺の疾患で不合格になって、同級生がたくさん戦死していく中、いたたまれずに、旧制高校をやめて旋盤工として働いていたそうです。戦後、高校に戻り、最後の旧制帝大を出て、教員になりました。原田芳雄は、本所工業高校での教え子なんです。

原田芳雄演じる父が、みんな死んでしまってはいけないんだ、生き残った者達が伝えなくては、と娘に訴えた思い、これがこの映画のメッセージなのかもしれません。
戦争体験者が、証言者がどんどん減ってきています。歴史をゆがめずに後世に伝えていくこと、それがどんなに重要なことか、世の中が右傾化していく流れの中で痛感します。

この映画を、出来るだけ多くの人にみてもらいたいです。宮沢りえがとても素敵で、いい映画でした。
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