生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

福島原発と東北地方太平洋沖地震66

2011年04月02日 22時43分22秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月2日-2
福島原発と東北地方太平洋沖地震66

  「米エネルギー省(DOE)は1日、福島第一原発1号機、2号機の核燃料について「1号機は最大で70%、2号機は最大で3分の1が損傷している」との認識を明らかにした。米ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が同日報じた。」
http://www.asahi.com/international/update/0402/TKY201104020194.html

 
  「シンガポール政府は31日、福島第1原発事故を受けて実施している日本産輸入食品に対する放射能検査で、静岡県産の小松菜からヨウ素131など3種類の放射性物質を新たに検出した。……静岡産小松菜の放射性物質の検出量は、ヨウ素131がサンプル1キロ当たり648ベクレル、セシウム134が同155ベクレル、セシウム137が同187ベクレル。このうちヨウ素131の量は、シンガポール政府が参照する国際ガイドラインの1キロ当たり100ベクレル以下という基準を上回っている。」
http://www.asahi.com/international/jiji/JJT201103310174.html

 
  「静岡県は1日、県内産の小松菜に関する放射性物質の検査結果を発表した。……放射性ヨウ素とセシウムを検出したが、日本の食品衛生法の暫定規制値とシンガポール国内の基準値をともに下回った。県は「安全を確認した」としている。」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011040101296


福島原発と東北地方太平洋沖地震65

2011年04月02日 22時18分56秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月2日-1
福島原発と東北地方太平洋沖地震65

 ピットに亀裂が発見され、そこから、放射性物質で汚染された1000ミリシーベルト超(一体いくらなのか?)の水が、直接海に流れ出ていた可能性があるらしい。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110402/dst11040215100019-n1.htm
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104020262.html

 
 前から警告を発してきたらしい大前研一氏は、最近の週刊ポストで、原発を無くせというなら、原発による発電量の30%を節約すべきだと言っている。もっともである。
 われわれの便利な暮らしは、原発による発電にもよっている。したがって、消費者も責任があるという主張がある。しかし、それはわれわれ消費者に、原発による電気を選択しなくてよいという自由は、事実上無く、強制されているのだから、そのような主張はおかしい。むしろ、世界的に政府は、代替的な小規模発電装置の開発には研究費をつけなかったのではないか。

 根拠薄弱な二酸化炭素説の地球温暖化による危険よりも、原発による危険のほうがそこにある危機であることは、スリーマイルやチェルノブイリやなど、そして日本の原発での様々な事故からも、そして隠蔽されている事故もあるかもしれないし、想定せざるを得ないことであったと思う。

 日本の国益から考えれば、ブッシュ政権やカナダ政府が離脱したように、京都議定書からの離脱が賢明であろう。日本が温暖化した場合は、日本北部での農産物生産が上がるとか、温暖化自身による利益とかのほうが不利益よりも勝るであろう。
 地球温暖化あるいは気候変化 claimate changeによる危険が主張できるとすれば、気象メカニズムの破綻といったものだろう。そしてそれを予測するメカニズムモデルが、何らかの形でテストされ、確証されなければならない。当たらないならば、税金の無駄であり、その税金によって他の災害対策をしておけば(たとえば三陸海岸では住居は高台に立てるとか)救われる人がいるだろう。
 また、地球温暖化対策をすることによる悪影響という、逆リスクもある。

 いずれにせよ、エネルギーの浪費を止めて、簡素な生活をするしかないだろう。少なくとも、環境に負荷をかけず安全で安定的なエネルギー供給装置ができるまでは。
 冷房を止めれば熱島 heat island現象は低下するだろうし、打ち水など様々な工夫をしてこの夏をなんとかしのげないだろうか? もちろん、蒸し暑い本州では、背広ネクタイはやめるべきだろう。もっとも、冷房を止めたがために熱中死にならないようにもしなければならない。

 
 週間現代2011年4月9日号に、外国人記者が見た今回の日本での振る舞いについて、書かれている。

  「古い情報を小出しにし、明確な説明を避けるかのような枝野官房長官の姿勢は。自分の国ではあり得ないことだ」(週間現代2011年4月9日号、173頁)。

  「アメリカであればメディアやNGOが、ここまで無責任な企業を許していないでしょうが、不思議と日本の多くは、東電の責任追及を行〔な〕う気がないように見えますね」(週間現代2011年4月9日号、173頁)。

  「本当は日本国民自らが上げなければならない声を、なぜ海外メディアが代弁しなければならないのか」(週間現代2011年4月9日号、173頁)。

 国民は声をあげよう。だまされないようにしよう。