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福島原発事故106:放射性物質の除去

2011年04月27日 22時17分46秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月27日-2
福島原発事故106:放射性物質の除去


 時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042300124

によれば、チェルノブイリ原発事故で高濃度放射能汚染が地域で、日本のNPOが菜種栽培で農地再生を目指す事業をしているとのこと。

  「菜種はセシウムやストロンチウムなどの放射性物質を吸収するが、菜種油からは放射能は検出されていない。菜種油を精製してディーゼル燃料を生産する試験にも着手している。」
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042300124

  「チェルノブイリ原子力発電所爆発事故では、ヒマワリがセシウム137を根に、ストロンチウム90を花に蓄積することが判明し、危険性が失われるまで30年以上かかる放射性物質を20日間で95%以上も除去できる能力を有する結果が得られています。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1157507971

 ファイトレメディエーション(phytoremediation)〔植物的改善?〕というらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

 ナタネの種以外の部分には放射性物質が含まれていると思うが、どう処理しているのだろうか?
 さて、タバコの放射性物質吸収率はもっと高いのではなかろうか?
 タバコに含まれるのは、ポロニウム210と鉛210だけなのか?
 タバコを栽培して土壌の放射性物質除去をうまくやれないだろうか?
 問題は、その後の処理だが。物質(ほとんど)不滅。放射能半減期はあるが。
 校庭の表土を?cmほどブルドーザーで除去したら、1/6に減ったとテレビで報道されていたが、どう保管するのだろうか。
 
 ウクライナのナロジチ地区、ドイツの「バイオエネルギー村」ユーンデ村とマウエンハイム村を比較した調査報告がある。

 カーボンニュートラルというのが理解できないのだが、ウィキペディアには3つの問題点が挙げられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB

  1. ライフサイクルアセスメントを通じてカーボンニュートラルを達成するには、再生可能エネルギーを導入するなど多面的な対策が必要となる。
  2. 森林や農場を適切に管理し、植物の栽培や育成を維持すること〔略〕を行〔な〕わなければ、植物由来燃料は化石燃料と同じように、「長期間地球を温暖化させる能力のある二酸化炭素」を大気中に長く滞留させることになる。
  3. 植物を育て保全するための広大な土地が必要になる。〔略〕二酸化炭素吸収能力や生長サイクルの速い植物を採用したり、燃料や原材料の利用効率を高めて、生物生産力を向上させる必要がある。

 ところで、二酸化炭素を吸収する熱帯林などの伐採を止めることが、重要ではなかろうか?

 
[T]
戸村京子.2009.9."バイオエネルギー村" (ドイツ)のエネルギー地域自給に学ぶ-チェルノブイリ被災地再生への手がかりを求めて-.
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/ にあるr-kz-rn_049_01_022.pdf


福島原発事故105:原発リスクと地球温暖化リスク(9)、確証されない地球温暖化脅威論

2011年04月27日 01時31分25秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月27日-1
福島原発事故105:原発リスクと地球温暖化リスク(9)、確証されない地球温暖化脅威論


 池田清彦『科学教の迷信』に、「政治的に重要な理論であるほど科学的にはいかがわしい」と題する一節がある。初出は『図書新聞』1995年9月9日号である。

  「人為的に二酸化炭素を排出しなくとも気候は変動する。だから、たとえ地球温暖化が事実だとしても、どこまでが自然現象で、どこからが人為現象かを証明するのは極めて難しい。〔略〕
   実証をむねとする科学にとって、だから地球温暖化などといういかがわしい理論が、あたかも真理のようなふりをして跋扈するのはなげかわしい事態のはずなのである。
 なぜ地球温暖化理論は流行したのか。それはもちろん人々の恐怖心を煽ったからである。今や、温暖化論は政治の行方を左右するまでになってしまった。
   〔略〕
   〔略〕スーパーコンピュータと詳細なデータの保有は、政治的な権力そのものとなる。シミュレーションに政治的な操作が入り込まないという保証はなく、しかも実証不能という理論の性格上、それを外部からチェックすることは不可能だ。地球温暖化の理論が予測する近未来の地球の気候が、人類にとってシビアなものであるならば、それを回避する最大限の努力を実行すべきだと私も思う。しかし、地球温暖化理論を盾に、原発を正当化したり、南北格差の固定化や拡大を図るような政策は厳しくチェックされねばならない。」(池田 1996: 117-118頁)。

 実証とは、経験と照合して確証することだと解釈しよう。試験されて確証されることが、科学的根拠となることの核心である。
 さて、実に含蓄のある本質を突いた主張である。
 さらに、
 
  「科学理論の正当性を科学的実証ではなく、政策によりチェックしなければならない奇妙な時代を我々は生き始めたのだと言ってもよい。問題は、政策をチェックすべき我々はすべてこのシステムの内部におり、利害から超越した第三者の立場のジャッジはただの一人もいないところにある。」(池田 1996: 118頁)

 「問題は」にはじまる主張もその通りだが、気温データなどの隠蔽があるから、外部者が確認したり判断したりができないことが、問題である。データが公表できないというなら、政治的操作があるのかどうか、検討できない。
 
 なお、「大学は東電に「汚染」されている」という記事、
http://agora-web.jp/archives/1291655.html

がある。

 また、ワールドウオッチ研究所がまとめたところによれば、世界の2010年の発電容量は、

  再生可能エネルギー(風力と太陽、バイオマス、小規模水力の合計)
            3億8100万キロワット

  原発        3億7500万キロワット

http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/110416/cpb1104161038001-n1.htm

とのこと。

  
[I]
池田清彦.1996.5.科学教の迷信.220pp.洋泉社.