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生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

福島原発事故115:プルトニウムやウランが大気中に飛散

2011年05月03日 23時47分10秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月3日-8
福島原発事故115:プルトニウムやウランが大気中に飛散

 「中鬼と大鬼のふたりごと」
http://onihutari.blog60.fc2.com/
というブログによれば、

  「米国でプルトニウム・ウランが検出される:過去20年間で最大値!プルトニウム239やウラン238が大幅上昇
   〔略〕
   米国環境保護局(EPA)のRadNetのデータベースを詳細に調べてみたところ、3月下旬から4月初旬にかけて行われたグアム・ハワイや米国西海岸での計測において、異常な濃度のプルトニウム・ウランが検出されていたことが分かった。これにより福島第一原発から最も毒性の強いプルトニウムやウランが大気中に飛散していることが裏付けられた(当然海中にも放出されていることになる)。この事実に日本の政府・マスコミ・東電・御用学者はだんまりを決め込んでいるが(米国政府もアクセスの多い一般向けのページにはごく一部の放射性物質の情報しか掲載していない)、すでに海外の専門家の間やネットでは隠しきれない事実になりつつある。
   〔略〕〔図と表あり〕
   1991年から2011年2月までの20年間の平均濃度に比べて、3月11日以降、カリフォルニアではプルトニウム239が18倍に、アラスカではウラン 238が17倍に、ハワイではウラン234が30倍・ウラン238が50倍に増大し、グアムではプルトニウム239とウラン234・235・238が観測史上初めて検出された。半減期は、プルトニウム239が2.4万年、ウラン234は24万年、ウラン235は7億年、ウラン238は44.7億年であり、いずれも気が遠くなるほどの時間放射能を出し続ける。プルトニウムもウランも強烈なアルファ線を出す極めて毒性の強い放射性物質だ。」
http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-44.html

とある。


福島原発事故114:科学ジャーナリズム

2011年05月03日 11時25分38秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月3日-2
福島原発事故114:科学ジャーナリズム


 『科学者ってなんだ?』という本がある。帯には、「実は100人に一人が科学者なんです!!(※労働力人口換算)」とある。
 そして第9章は、村松秀「科学ジャーナリズムの世界」となっている。(なお、この章の末尾の156頁には、「[村松 秀]」と執筆者名らしく挙げてあるが、189頁の執筆者紹介では、村松秀氏は「〔第9,10章〕」と、元村有希子氏は「〔第8,9章〕」となっている。この記載が、執筆担当章の表記だとすると、第9章の執筆者名は、「村松秀・元村有希子」であるのかもしれない。なお、第10章「研究者倫理」末尾の173頁には「[梶 雅範]」とだけある。)

 その144頁の図9-5に、科学報道の目的として、次の7項目を挙げている。

  ただし、番号をつけ、英語の試訳を〔〕内に示し、「;」を「:」に改変し、「。」を加えた。
  「
  1. Inform〔報知〕:科学技術の世界で何が起きているのかを正しく知らせる。
  2. Entertain〔饗応〕:生き生きとした手法で、科学の魅力を感じてもらう。
  3. Tax-payer consciousness〔納税者意識〕:税金で支えられる科学技術について知る権利に応える。
  4. Educate〔教育〕:科学技術についての知識は、よりよく生きるために不可欠。
  5. Cultivate〔養成〕:好奇心を刺激する。科学を楽しむ素養や文化をはぐくむ。
  6. Improve〔向上?、改善?〕:科学技術を無批判に受け入れたり、根拠なく嫌悪するのではなく、健やかな批判精神を養う。
  7. Encourage〔奨励〕:科学者に脚光を当てることで、科学を学ぶ意欲をかきたて、科学者になりたい子どもを増やす。」()

 さて、

  「24時間365日,ことが起きればできるだけ早く全容をつかみ,明快に事象を解説してみせることが求められる」(144頁)。

としている。そして、具体例として、2007年7月16日の新潟県中越沖地震(マグニチュード6.8)で、科学記者がどう動いたかを,毎日新聞紙面について解説している。7月17日朝刊(東京本社版)では、

  1面「柏崎原発で火災 微量の放射能含む水,海へ」
  3面「原発 鎮火に2時間」「国の指針不明確」

といった記事が掲載されたらしい。
 つづいて、この本の144頁では、

  「この地震では,東京電力柏崎刈羽原子力発電所の敷地内で火災が起き,微量の放射能を含む水が海へ流れ出た。その結果科学記者は,地震そのものと,原発の被害との両方を同時並行で取材することになった.
   この地域では2004年10月23日に新潟県中越地震が起きたばかりである.紙面では,「なぜこんなに頻繁に起きるのか」という地震学の視点からの解説記事が必須だったが,原発震災への備えの脆弱さを指摘する解説記事も同等の扱いで掲載した.」(村松 2007: 144)。

 と述べている。

 
 さて、田原総一郎氏は、

「【ロングインタビュー】田原総一朗が「震災報道」に見た既存メディアの問題点と可能性」
http://kenkoukeizai.seesaa.net/article/195780655.html

で、浮島さとし氏の、

  「浮島 それと、地震から4日目くらいですか、一斉にどこの局も番組編成を通常の形に戻し、バラエティー番組も始まりました。NHKも大河ドラマを始めて、気付いたら地震報道をしている地上波が一局もないという状態になりました。あの時は、建屋内部が冷却できずに温度が上がり続けていて、恐ろしく緊迫していたはずなのですが。」
http://kenkoukeizai.seesaa.net/article/195780655.html

の後で、マスメディアが大本営発表的になる理由として下記を挙げている。

  1. 無難だから
    (たとえば、「マスコミってのは、取材源に対して立場が弱い」)
  2. 経費の問題
 
。また、「新聞記者を一番ダメにしてるのはケータイですよ」と発言している。


 
[K]
梶雅範(編)・進藤典男・菅裕明・隅蔵康一・白楽ロックビル・平尾一郎・村松秀・元村有希子(著).2007.11.科学者ってなんだ?.vii+196pp.丸善.[y1,500] [B20071120]

[M]
村松秀.2007.11.科学ジャーナリズムの世界.梶雅範(編)『科学者ってなんだ?』: 134-156.


福島原発事故113:地球に原発はいらない

2011年05月03日 00時38分47秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月3日-1
福島原発事故113:地球に原発はいらない

  「日本では「原発は怖いけど、エネルギー小国の日本では必要だ」「地球温暖化を考えたら原発もやむを得ない」と考えている人がまだ多くいます。しかしほんとうにそうなのでしょうか。原発に依存しないで、脱温暖化は可能である。そしてそのことを真剣に考え行動に移していくことが、新たな豊かな社会を築くことになるのではないでしょうか。」
http://www.kankyoshimin.org/modules/join/index.php?content_id=60

という趣旨の、

  「緊急セミナー:地球に原発はいらない 脱温暖化+脱原発は可能だ!~ドイツと日本の先進的な事例から~」
http://www.kankyoshimin.org/modules/join/index.php?content_id=60

が、2011年4月16日に京都で開かれたようである。

 2011年4月26日付け京都新聞の、そのセミナーについての記事によれば、

 ・原発を止めても停電することはない。
 ・脱温暖化と脱原発はどちらも大切。
 ・改革の方向として、発電と送電を分けること。
 ・たとえば日射遮蔽とか、住宅の省エネルギー性能をよくする。

などが主張されたらしい。


福島原発事故112:小出裕章氏の発言の非公式まとめ

2011年05月02日 23時58分57秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月2日-8
福島原発事故112:小出裕章氏の発言の非公式まとめ場所


 2011年5月2日(月)のMBS(毎日放送)ラジオのたね蒔きジャーナルに出演した、小出裕章氏の論評を文章にした、非公式のまとめが下記にある。

http://hiroakikoide.wordpress.com/

 内閣官房参与を辞任した小佐古教授は、小出氏の喧嘩相手で、

  「浜岡原発についての静岡県のアドバイザーとして、浜岡原発は絶対安全だと言ってきた人。」

とある。
 しかし、今回の辞任時の発言については、大変まともであり評価するとのこと。

  「以前ならこのようなことを言う人ではなかったから、意外。でも今回の発言は正しいと思う。彼を支持したい。」

 原子力安全委員会について、

  「・(原子力安全委員会は学校の件で助言をするにあたって議事録も作らず2時間で持ち回りで済ませたそうが、そういう体質なのか?)昔からそうだった。これまで私がたたかってきた裁判等で明らかになったのは、彼らが自主的な審査をせずに結論を出しているということ。これが初めてではない。」

 水棺について、

  「・(水棺に向けて注水量を増やしたがうまくいっていないようだが?)予想通り。本当に水棺ができるのならいいが、それを行うことで格納容器の破損の可能性が増えるし、もともと漏洩しているからそもそも無理ということもあるし、空気層が減ることで水素爆発の可能性も高まる。

   ・(格納容器を満たすだけの量の水を注いでいるのになぜ水位が上がらないのか理由が分からないと東電は言っているが?)それは簡単で、漏れているということしかありえない。何日か経ったら認めると思う。」


福島原発事故111:住民の放射線被曝線量

2011年05月02日 01時32分37秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月2日-3
福島原発事故111:住民の放射線被曝線量


 小佐古敏荘氏による、2011年4月29日付けの「内閣官房参与の辞任にあたって(辞意表明)」という文書が、下記に掲載されている。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html


  「1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい
   〔略〕
    例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。
   〔略〕
   文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福島県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。

 
   2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい

   年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。

   小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。〔略〕」
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html


 いずれも当然のことである。政府は、国民の健康軽視と情報隠蔽という態度のようである。




福島原発事故110:数値シミュレーションと実地試験

2011年05月02日 01時22分07秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月2日-2
福島原発事故110:数値シミュレーションと実地試験


 東京電力の「原子力 > おたずねに答えてQ&A」の一つに、津波についての質問に答えている文章がある。

  「津波に対して発電所は大丈夫ですか?

   原子力発電所の津波評価においては、「安全設計審査指針」,「原子力発電所の津波評価技術(土木学会)」の考えに基づき、敷地周辺で過去に発生した津波はもとより、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーション解析により評価し、重要施設の安全性を確認しています。
   具体的には、数値シミュレーション解析により求まった津波の最高水位に満潮時の水位を加えた水位においても、重要な施設の運転に支障のないこと、また、津波の最低水位から干潮時の水位を差し引いた水位においても原子炉の冷却に支障のないことを確認しています。」
http://www.tepco.co.jp/nu/qa/qa08-j.html

 
 土木学会が採用した地震学的想定は、間違いだったということか? あるいは、「数値シミュレーション解析」という手法がインチキなのか?
 ここでの確認は机上の確認、つまり頭での想像による確認ということだろう。
 確認は実際に(実験で)やってもらいたい。むろん、自然による試験 testによって、原子炉の冷却に支障があったわけだ。


福島原発事故109:世界最高水準の原子力技術でも、空に地に海に放射性物体は撒き散らされた

2011年05月02日 00時11分52秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月2日-1
福島原発事故109:世界最高水準の原子力技術でも、空に地に海に放射性物体は撒き散らされた

 本の帯(または腰巻き)に、

  「CO2排出量は石炭火力のわずか2.5%。
   地球温暖化を防ぐ、唯一の切り札!」

とある、豊田有恒『日本の原発技術が世界を変える』から引用する。

  「日本の原子力技術が、世界最高の水準にあることは、周知徹底されているとは言いがたい現状である。〔略〕
   日本の原発の非常停止は、運転7000時間あたりわずかに0・07回という、世界で最も少ない数値を示している。〔略〕
   なぜ、日本の原発が、これほど安全で慎重に運転されているかといえば、世界各国の追随を許さない高い技術があるからである。しかしながら、こうした事実が世間に知らされていないため、いまだに原子力は、誤解と偏見にさらされている。かつてのように、原発が明日にでも爆発するかのような、ありえない危険を煽りたてる報道は、さすがに影を潜めるようになったが、それでも、原子力に関する報道が、公平正大に行なわれているとは思えない。」(豊田有恒 2010: 3-4頁)。

 世界最高水準の原子力技術で安全かつ慎重に運転されていても、(原子炉内部で発生した水素で)爆発するときは爆発するということらしい。


  「原子力は、巨大産業である。〔略〕特に、最近の温暖化の流れのなかで、各国がゼロエミッション(炭酸ガスの放出ゼロ)を目指す時代、発電の際に炭酸ガスを出さない原子力は、大いに期待されている。〔略〕安全な原子力を、日本が輸出することは、世界に貢献する道なのである。」(豊田有恒 2010: 5頁)。

 「発電の際」だけは、二酸化酸素は出さないらしい。代わりに「微量」の毒物を出したり、ときには大量の放射性廃棄物を出す(これまででチェルノブイリの(1割程度ではなく)半分程度、今後は3倍ほどになるかもしれないと考える人もいる[要文献])。二酸化炭素排出よりも、それ自体が毒物である放射性物体を大量生産してしまうことが問題である。このことだけで、核分裂型の原子炉は運転するべきでないし、作るべきではない。

 広瀬隆氏に触れたところがある。

  「当時、某電力の重役で、のちに参議院議員になる加納時男氏にお目にかかった際、H・T氏と対談したことを、お話しした記憶がある。加納氏は、H・T氏の強烈なカリスマ性に脅威を感じて、「週刊プレイボーイ」の誌上で対決した。〔略〕結局、さしものH・T氏も、専門家の該博な知識の前に、ぐうの音も出なかったらしい。
 H・T氏の著書は読んでいるので、ぼくも感じたのだが、反対という結論が既定の事実としてあり、センセーショナルに煽りたてて、強引な結論に持っていこうとしているため、杜撰なところが少なくない。」((豊田有恒 2010: 49頁)。

 原発は安全だという結論が既定のものとしてあると、そういうふうに考える人にとっては「想定外」の事故が起きるのであろう。
 世界最高水準の原子力技術でも、空に地に海に放射性物体は撒き散らされた。閉じ込めなければならない危険な物体を作り出すような科学技術で電力を得ようとするのは、お粗末かつ杜撰な設計思想である。

 なお、加納時男氏について、ウィキペディアに、

  「東京電力福島第一原発事故の数日後、運営していた全てのホームページ閉鎖。現在行方不明。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%B4%8D%E6%99%82%E7%94%B7

とある。

 
 ところで、この本の初版第一刷は、
  2010年12月10日
であり、初版第二刷は、
  2011年4月25日
である。福島第一原発で事故が起きてから、第二刷を決めたのであろうか?

 
[T]
豊田有恒.2010.12.日本の原発技術が世界を変える.祥伝社[祥伝社新書225].


福島原発事故107:アメリカ合州国では竜巻で外部電源喪失

2011年04月29日 23時31分01秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月29日-1
福島原発事故108:アメリカ合州国では竜巻で外部電源喪失

 ロイターによれば、アメリカ合州国では、竜巻によって、外部からの電力供給が止まったりしている。

  「バージニア州南東部にある原子力発電所では、竜巻の影響で電力供給が止まった16日、原子炉2基が自動停止した。補助電源が作動したため、原子炉は安定した状態にあるという。」
[2011年 04月 18日 10:18 JST]
http://jp.reuters.com/article/jpEnvtNews/idJPJAPAN-20664820110418

  「竜巻の影響で、アラバマ州にある原子力発電所の原子炉3基が停止した。」
[2011年 04月 28日 15:24 JST]
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20872620110428


  「アラバマ州のブラウンズフェリー原発は、送電線が破損し外部電源が失われたために停止したが、バックアップ装置が作動し原子炉の事故は回避された。

 米南部では過去数日間で160件以上の竜巻を観測。保険専門家は、今回の竜巻や暴風雨による被害総額が数十億ドルに上るとみている。」
[2011年 04月 29日 11:56 JST]
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20886920110429


福島原発事故107:科学的営為と予防原則

2011年04月28日 00時08分25秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月28日-1
福島原発事故107:科学的営為と予防原則


 パチャウリIPCC議長は、「サイエンス誌(09年11月13日号)によれば、ライナは自分の調査に照らしてIPCC報告書に疑問を感じ、「ヒマラヤ氷河が急激に衰退している証拠はないし、もし衰退していても水不足が起きることはない」という主張をインド環境森林省の報告書として発表した」
http://wedge.ismedia.jp/articles/print/843

インドの氷河学者V・K・ライナが行なったヒマラヤ氷河の研究に対して、「Boodoo science〔ブードゥー科学〕」と呼んだ
http://wedge.ismedia.jp/articles/print/843

とも伝えられる。ブードゥー科学とは、(科学的にはありえない?)黒魔術を使う非科学、というような意味であろうか。
 2010年4月30日の日本学術会議第三部会主催(科学哲学者や科学技術社会論者は呼ばれなかったようだ。なお、米本昌平氏は政治社会学的歴史的な分析を提示した)のIPCCゲート事件を受けてのシンポジウムで、Boodoo scienceと言ったのは事実かどうかの質問があったが、回答はなかったようだ。

 さて、パーク(2000)『わたしたちはなぜ科学にだまされるのか:インチキ!ブードゥー・サイエンス』には、「地球温暖化論争」(73-77頁)と「地球温暖化論争からわかること」(94-97頁)という節がある。

  「地球温暖化に関して科学者の意見をくいちがわせているのは、政治的な考え方、宗教上の世界観のちがいである。政治的な考え方や、信仰する宗教が異なれば、科学者によって世界に求めるものがちがってくるのである。
   つまり、地球温暖化論争は「科学論争」ではなく、「人間の価値観の論争」といえるだろう。デー夕や方程式を駆使して論議できるため、科学論争のように思われがちであり、〔略〕」(パーク 2000: 77頁)。

 E.O.ウィルソンの著書Consilienceから引用しているが、

  「E.O.ウィルソンは〔略〕、科学の領域として考えられるかどうか判然としない、あやしい主張をくいとめるための条件を提案した。その条件とは、たったの二項目。

   ・実験を再現し、検証することができるか?
   ・それによって、以前より万物の予測がたつようになるか?

   このふたつの問いにたいする答えが、どちらかいっぼうでもノーであったら、それは科学ではない。

   また、科学が成功し、信頼されるかどうかは、科学者が以下のふたつのルールに従おうとする意思をもっているかどうかにかかっている。

   1. 自分の新しい考えや実験結果を、すべて公開し、ほかの科学者に自由に実験を再現してもらう。
   2. 自分の考えや実験結果より完壁な、あるいはより信頼がおけるものがほかにあれば、自説と照らしあわせ、いさぎよく自説を放棄したり、修正したりする。」(パーク 2000: 86-87頁)。

  「教訓。ある理論がどれほどもっともらしく聞こえても、最後の断を下すのは「実験」である。

  地球温暖化論争からわかること

   さて、この教訓は、地球温暖化論争にもあてはまる。科学者に課せられた特別な責任には、「ほかにとるべき道があるという情報を、一般の人たちや世界に明示する」ことも含まれているからだ。」(パーク 2000: 94頁)。

  「「予防の原理」を熱心に主張する人たちもいる。将来を悲観する「マルサス主義者」たちだ。
 〔略〕
 だがいっぼうには、テクノロジーを愛する楽観主義者たちがいる。「二酸化炭素問題が解明されないうちに??そもそも問題がほんとうに存在した場合の話だが??方針を決定すると、大失敗につながる」と、楽観主義者は主張する。〔略〕だいたい人口増加や産業化にともなって発生した諸問題に、科学はつねに解決策を見つけてきたではないか。
   〔略〕
   ところが、両者の意見が両極端にあることが、二酸化炭素論争を前進させる強力な推進力になっている。」(パーク 2000: 94頁)。

 この後の記述でパークは、論争によって修正したりして気象学が前進したというのだが、結局、

  「ヒトの行動が地球の気候に影響を与えていることに、もはや疑いの余地はない。たとえいまの段階ではっきりとした因果関係が得られなくとも、政府はなんらかの予防策を早急に講じなければならない。」(パーク 2000: 94頁)。

と、予防原則 precautionary principle を持ち出すのである。「ヒトの行動が地球の気候に影響を与えている」としても、その人の内訳、そして影響の種類と程度が問題である。
 できるだけデータにもとづき、適切な対処(中庸の道)を取るべきである。

 (主因とされることが当たっているかどうか、結果の種類と程度の予測が当たるのかどうかが、根本問題であるので)一万歩譲って、予防的措置を取ることにしても、そのなかには、<何もしない>という措置も選択肢として入れておくべきである。
 というのは、措置を取るという実践においては、政治経済社会的要因が必然的に絡むからであり、選択肢はいずれも好ましくない結果となるかもしれないからである。(できるとして)その見積もりは、逆リスクの算定ということになるだろう。何かをする場合は、<何もしない>よりも、正負の効果を『網羅的に』考えても、その利益が上回らなければならない。また、実践結果が予測内容と違わないか、つねに照合して検討しなければならない。

 
[P]
パーク,ロバート・L.2000.(栗木さつき訳 2001.4).わたしたちはなぜ科学にだまされるのか:インチキ!ブードゥー・サイエンス.383pp.主婦の友社.[Park, Robert L. 2000. Voodoo Science: The Road from Foolishness to Fraud.]


福島原発事故106:放射性物質の除去

2011年04月27日 22時17分46秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月27日-2
福島原発事故106:放射性物質の除去


 時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042300124

によれば、チェルノブイリ原発事故で高濃度放射能汚染が地域で、日本のNPOが菜種栽培で農地再生を目指す事業をしているとのこと。

  「菜種はセシウムやストロンチウムなどの放射性物質を吸収するが、菜種油からは放射能は検出されていない。菜種油を精製してディーゼル燃料を生産する試験にも着手している。」
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042300124

  「チェルノブイリ原子力発電所爆発事故では、ヒマワリがセシウム137を根に、ストロンチウム90を花に蓄積することが判明し、危険性が失われるまで30年以上かかる放射性物質を20日間で95%以上も除去できる能力を有する結果が得られています。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1157507971

 ファイトレメディエーション(phytoremediation)〔植物的改善?〕というらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

 ナタネの種以外の部分には放射性物質が含まれていると思うが、どう処理しているのだろうか?
 さて、タバコの放射性物質吸収率はもっと高いのではなかろうか?
 タバコに含まれるのは、ポロニウム210と鉛210だけなのか?
 タバコを栽培して土壌の放射性物質除去をうまくやれないだろうか?
 問題は、その後の処理だが。物質(ほとんど)不滅。放射能半減期はあるが。
 校庭の表土を?cmほどブルドーザーで除去したら、1/6に減ったとテレビで報道されていたが、どう保管するのだろうか。
 
 ウクライナのナロジチ地区、ドイツの「バイオエネルギー村」ユーンデ村とマウエンハイム村を比較した調査報告がある。

 カーボンニュートラルというのが理解できないのだが、ウィキペディアには3つの問題点が挙げられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB

  1. ライフサイクルアセスメントを通じてカーボンニュートラルを達成するには、再生可能エネルギーを導入するなど多面的な対策が必要となる。
  2. 森林や農場を適切に管理し、植物の栽培や育成を維持すること〔略〕を行〔な〕わなければ、植物由来燃料は化石燃料と同じように、「長期間地球を温暖化させる能力のある二酸化炭素」を大気中に長く滞留させることになる。
  3. 植物を育て保全するための広大な土地が必要になる。〔略〕二酸化炭素吸収能力や生長サイクルの速い植物を採用したり、燃料や原材料の利用効率を高めて、生物生産力を向上させる必要がある。

 ところで、二酸化炭素を吸収する熱帯林などの伐採を止めることが、重要ではなかろうか?

 
[T]
戸村京子.2009.9."バイオエネルギー村" (ドイツ)のエネルギー地域自給に学ぶ-チェルノブイリ被災地再生への手がかりを求めて-.
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/ にあるr-kz-rn_049_01_022.pdf


福島原発事故105:原発リスクと地球温暖化リスク(9)、確証されない地球温暖化脅威論

2011年04月27日 01時31分25秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月27日-1
福島原発事故105:原発リスクと地球温暖化リスク(9)、確証されない地球温暖化脅威論


 池田清彦『科学教の迷信』に、「政治的に重要な理論であるほど科学的にはいかがわしい」と題する一節がある。初出は『図書新聞』1995年9月9日号である。

  「人為的に二酸化炭素を排出しなくとも気候は変動する。だから、たとえ地球温暖化が事実だとしても、どこまでが自然現象で、どこからが人為現象かを証明するのは極めて難しい。〔略〕
   実証をむねとする科学にとって、だから地球温暖化などといういかがわしい理論が、あたかも真理のようなふりをして跋扈するのはなげかわしい事態のはずなのである。
 なぜ地球温暖化理論は流行したのか。それはもちろん人々の恐怖心を煽ったからである。今や、温暖化論は政治の行方を左右するまでになってしまった。
   〔略〕
   〔略〕スーパーコンピュータと詳細なデータの保有は、政治的な権力そのものとなる。シミュレーションに政治的な操作が入り込まないという保証はなく、しかも実証不能という理論の性格上、それを外部からチェックすることは不可能だ。地球温暖化の理論が予測する近未来の地球の気候が、人類にとってシビアなものであるならば、それを回避する最大限の努力を実行すべきだと私も思う。しかし、地球温暖化理論を盾に、原発を正当化したり、南北格差の固定化や拡大を図るような政策は厳しくチェックされねばならない。」(池田 1996: 117-118頁)。

 実証とは、経験と照合して確証することだと解釈しよう。試験されて確証されることが、科学的根拠となることの核心である。
 さて、実に含蓄のある本質を突いた主張である。
 さらに、
 
  「科学理論の正当性を科学的実証ではなく、政策によりチェックしなければならない奇妙な時代を我々は生き始めたのだと言ってもよい。問題は、政策をチェックすべき我々はすべてこのシステムの内部におり、利害から超越した第三者の立場のジャッジはただの一人もいないところにある。」(池田 1996: 118頁)

 「問題は」にはじまる主張もその通りだが、気温データなどの隠蔽があるから、外部者が確認したり判断したりができないことが、問題である。データが公表できないというなら、政治的操作があるのかどうか、検討できない。
 
 なお、「大学は東電に「汚染」されている」という記事、
http://agora-web.jp/archives/1291655.html

がある。

 また、ワールドウオッチ研究所がまとめたところによれば、世界の2010年の発電容量は、

  再生可能エネルギー(風力と太陽、バイオマス、小規模水力の合計)
            3億8100万キロワット

  原発        3億7500万キロワット

http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/110416/cpb1104161038001-n1.htm

とのこと。

  
[I]
池田清彦.1996.5.科学教の迷信.220pp.洋泉社.


福島原発事故104:原発リスクと地球温暖化リスク(8)

2011年04月26日 22時26分47秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月26日-7
福島原発事故104:原発リスクと地球温暖化リスク(8)

 飯田哲也氏は、「緊急会議 飯田哲也×小林武史 (2) 「なぜ原子力を選んだのか?」
http://www.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110408_5008.php

で、自然エネルギー発電が推進されず、(核分裂型)原子力発電が推進された事情を語っている(ようだ)。

  「原子力はコスト以前にリスクが問題なのです。これは安全性のリスクよりもむしろ、金融投資リスクなんです。実は世界的には、特に金融機関が原子力には怖くて投資や融資ができないというトレンドがはっきりあります。」
http://www.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110408_5008.php

と述べている。原子力発電所の建設に膨大な金がかかるかららしい。しかし安くても、放射性物質の処理はできないに等しいのだから、原子力発電所は、運転中のも止めるべきである。

 また、

  「スウェーデンやデンマークやドイツ、オーストリアでは、実はチェルノブイリではなくてスリーマイルの事故によって、原子力政策が死んだんです。そのあと日本で唯一、国全体の大きな議論に原子力が上がりかけたのがチェルノブイリ原発事故(1986年)です。それも、その後の地球温暖化の議論のなかで、原子力が有効だという話に掻き消されてしまった、というのが大きな流れかなという感じですね。」
http://www.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110408_5008.php

と述べている。地球温暖化脅威論の影響力あるいは利用価値は大きかったようだ。
 日本での生活環境全体の安全を考えれば、地球温暖化対策よりも、原発を止めることが優先するべきだと思うのだが、日本での原発リスクは計算されたのだろうか?
 放射性物質はそれ自体が毒物であり、核種もたくさんある。原発による温排水のよる直接の温暖化と、海水温上昇による二酸化炭素の放出量はどれくらいなのか? IPCC報告書に見積もりはあるのだろうか?

 検索すると、
 「地球温暖化対策には、原子力エネルギーの平和利用の拡大が不可欠」という主旨の委員会決定を見て、「原子力発電は、直接人為的に地球を温暖化すると考え」て、「地球環境保全・エネルギー安定供給のための原子力のビジョンを考える懇談会報告(案)」への意見または質問を寄せたものに対して、

  「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第4次評価報告書によれば、現時点で温室効果ガスとして蓄積された二酸化炭素による温暖化効果(放射強制力)は 1.66W/平方メートルとされており、地球全体では約846,600GWとなります。これに対して、合計約370GWeの世界の原子力発電所が発生する熱は、効率を33%と仮定すると最大でも約1110GWであり、二酸化炭素による温暖化効果の約0.13%となります。
したがって、原子力発電所が発生する熱による地球温暖化への影響は、温暖化効果ガスの影響に比して、無視しうるほど小さいものと評価できます。
一方、合計370GWeの世界の原子力発電所の代わりに火力発電を利用したとすれば、最も温室効果ガス排出量が少ないLNG 複合サイクル発電を用いた場合でも、世界の二酸化炭素排出量は、年間11 億トン(2005 年の世界総排出量の4%)増大することにとなり、原子力エネルギーの利用が温暖化防止に貢献していると言えます。」(内閣府原子力委員会)
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/qa/iken/iken-q94.htm

と回答されていた。原発周辺の海水温上昇による空中への二酸化炭素放出はどれくらいなのだろうか?
 IPCC報告書の主張の妥当性はわからないが、環境問題を温室効果ガス排出、とりわけ二酸化炭素だけを問題とするという他の危険性を考慮しないという構えのように思える(部分知)。
 環境保護団体は、温室効果ガス排出よりも、日本での原発運転のほうが、今そこにある危険だとは思わなかったのだろうか? 今も、有毒廃棄物をどんどん製造しているのである。予防原則の適用の優先順位は、評価しなかったのだろうか? 
 中西準子『環境リスク学-不安の海の羅針盤』では、タバコの健康(発癌?)リスク〔危険性〕が、取り上げられたなかでは最も高かったと思う。放射性物質のポロニウムを肺に吸い込むことにもなっているらしい。

 The New York Timesの2006年12月1日の「Puffing on Polonium」と題する、
http://www.nytimes.com/2006/12/01/opinion/01proctor.html?ex=1322629200&en=4ee500d84a3216dc&ei=5089&partner=rssyahoo&emc=rss

を紹介している
http://blog.goo.ne.jp/cancerit_tips/e/d35d5b67239f5909513171c38899e275

によれば、

  「ウラニウムは土壌に自然に存在しており、それが選択的にタバコの木に吸収され、そこで崩壊して放射性ポロニウムとなる。高濃度のリン酸を含む肥料は、ウラニウムがリン酸と結びつくことからさらに事態を悪化させる。
  1968年、〔略〕タバコ1本平均0.04ピコキュリーのポロニウム210を喫煙者が吸引していると判明した。
  〔略〕ポロニウム210の半減期は138日で、初期の原爆の核燃料より何千倍も強い放射性物質なのだ。」
http://blog.goo.ne.jp/cancerit_tips/e/d35d5b67239f5909513171c38899e275

 歩行喫煙の副流煙によって、われわれが歩いている生活空間にも放射性物質をまき散らしていることになる。実際、副流煙による発癌率も大きい。

 http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/09/09010403/02.gif
によれば、生の魚製品1kg中のポロニウム210の放射能濃度は、2000 mBqである。米ソの核実験と原発からの放出によって、地球は汚染されてしまっているということだろう。

 
 さて、飯田哲也氏は、

  「「経産省は、建前は再処理推進を装いながら、実質的には差し止めろ」と部下に命じて、経産省の経済合理派の役人は、六ヶ所再処理工場を止めるほうにまわった〔略〕。〔略〕「六ヶ所があまりにも経済合理性に合わないから、あんなものを作っていたら日本の原子力は逆にダメになる」という、日本で初めて生じた経済合理性をめぐる対立だったのです。しかし、それも結局は原子力ムラの人たちにつぶされてしまった。あれが2004年なので、そこからの7年間は、日本では原子力政策に関して、まっとうな理論がまるでできない、本当に歯止めのない期間でした。
   〔略〕
   電力の既得権益には大きく分けて2つのセクターがあるんです。独占を守りたい人たちと、原子力に思い入れがある人たち。この両方にとって、自然エネルギーのような小規模で分散型なエネルギーが広がっていくというのは、非常に面白くない。」

と述べている。
 では、自然エネルギーの問題点は何か、それが過渡的なものだとすれば、早急にどのような電力源を開発し利用すべきか?


福島原発事故103:原発リスクと地球温暖化リスク(7)、擬似科学または偽科学(2)

2011年04月26日 10時44分27秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月26日-6
福島原発事故103:原発リスクと地球温暖化リスク(7)、擬似科学または偽科学(2)

 さきほどまで積ん読本だった、フリードランダー『きわどい科学』を、つまみ食い(いや、つまみ読み)する。

  「ありとあらゆる人の要求にかなっていて、どんな批判にも耐えることのできる科学の定義などどこにもない。同様に、科学とそのまがいものの境界を画定しようという試みも繰り返しなされてきたが、すべての人の意見を満足させたことは一度としてなかった。」(フリードランダー 1995: 322頁)。

 「ラングミュアが彼の標的としたなかには、N線、ESP、空飛ぶ円盤(UFO)が含まれていた」らしいが、ラングミュアによる「「病的科学の症状」を見きわめる次のような「特徴的なルール」とは、

  1.観測される最大の効果は、ほとんど検出できないくらいの強さの原因から生まれ、その効果の大きさは本質的に原因の強さには依存しない。
  2.その効果の大きさは検出限界ぎりぎりのところにとどまる。あるいは、得られた結果が統計的にはほとんど意味をもたないために、数多くの測定が必要になる。
  3.きわめて精度が高いと主張する。
  4.経験と矛盾する夢のような理論である。
  5.批判すると、とっさに思いついたその場かぎりの言い逃れをする。
  6.反対者に対する支持者の割合は五〇パーセント近くまで上がるが、その後は次第に下がっていってやがて忘れ去られてしまう」(フリードランダー 1995: 323頁)。

 ぴんとこない。たとえば、経験と矛盾する、とか、その場かぎりの言い逃れ、というのは決定的なものとは思えない。緩めて、特徴的と言っても、役に立たない。これは、すでに偽科学のカテゴリーに入る事例について、その『特徴』を考えついたものだろう。では、その偽科学事例とする根拠は何か? ラングミュアがしたことは、N線、ESP、空飛ぶ円盤などについて、教師有りの分類をしたのではなかろうか。そうではなく、われわれができるのは、せいぜいのところ、教師無しの同時分類である。

 
 「理論物理学者で科学哲学者のマリオ・ブンゲ〔→ブーンゲ。Bungeのuは、のばして発音するらしい〕による」、「疑似科学を見分ける有益なチェックリスト〔照合目録〕」(掲載は、Skeptical Inquirer 9(1): 36)を、フリードランダー「なりに言い換えた形で示し」たものは、

  「1.新しい理論は融通性に乏しく、一般に新たな研究の妨げになる。
   2.一般に、支持者は研究していない信奉者からなっている。
   3.場合によっては、商業的な関心から支持を得ることもある。
   4.疑似科学の現象のほとんどは信奉者にしか証明できず、その多くが超自然的効果をほのめかしている。
   5.拠りどころとする議論の多くは時代遅れだったり信頼できない文献から引かれるか、証明不可能である。そうした立論には明確さと首尾一貫性が欠けている。
   6.数学が使われることはめったになく、論理的な議論も欠けていることが多い。
   7.主張される現象の多くは非常に古くからあるものだが、そのアイデアにはほとんど、あるいはまったく進展が見られない。(これと対照的に、科学の本流では知識が累積されていく。)」(フリードランダー 1995: 323-324頁)

 また、独特の特徴として、ブーンゲは、

  1. 新たな仮説を歓迎したがらない。
  2. 好ましくないデータはそのほうが数のうえではるかに勝っている場合ですら隠蔽したり歪曲してしまう。

などを、挙げている(フリードランダー 1995: 324頁)とのことである。

 
[F]
マイケル・W. フリードランダー.1995.(田中嘉津夫・久保田裕訳 1997.4)きわどい科学:ウソとマコトの境域を探る.370+xvii pp.白揚社.[Friedlander, Michael W. 1995. At the Fringes of Science.]


福島原発事故102:原発リスクと地球温暖化リスク(6)、擬似科学または偽科学

2011年04月26日 09時54分42秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月26日-4
福島原発事故102:原発リスクと地球温暖化リスク(6)、擬似科学または偽科学

 pseudoscienceは、擬似科学または偽科学と訳し得る。擬似と偽とでは、かなり印象が異なるように思う。擬似は異なっているが似ている、と受け取れる。偽は、本物ではない、である。
 大辞泉によれば、

  「ぎじ【疑似・擬似】
   1 本物によく似ていてまぎらわしいこと。また、そのもの。
   2 そっくりまねをすること。」(大辞泉)

である。ここで、『真似をする』という行為的意味のほうが根源的である、あるいは先立っていると解釈し、その結果として、或る物体が、『或る物に或る程度似ている(つまり、或る程度異なっている)』と考えることができる。また、「擬似」という語を、『異なっているが似ている』と受け取ることができる。

 さて、類似性は、どのような測り方をするか、そしてどのような尺度を取るかで、類似度は違ってくる。取り上げる(諸)性質が異なれば、異なる結果となるという当然の話である。すると、同一の対象について言ってい(るつもりでい)ても、人によって判断基準は異なり、したがって評価は異なり、論争が収束しないことになる(場合が多い)。
 複雑な物体または構築体にまったく同一のものは無い(と、物質的構成から、考えられる)。似ている点に強調点がいけば(重視)、同一とみなすことになるし、異なる点に強調点がいけば、似ているが擬い物(まがいもの)ということになる。『本物』とくらべて(較べることとは、類似性を調べることである)機能的に少し劣っていても、安いからいい、ともなる。

 では、或る物体が本物かどうか、あるいは或る事柄が本当または真実かどうか。これは、主観的な価値的判断である。そもそも、どれが本物だと決定できるのか? そして、客観的な同定というのも、結局は、たとえば人間が行なう限り、主観的なものである。実際、客観的とは間主観的として解釈されよう。すると或る科学者共同体が(世間的に)権威的とみなされるようにし、かつ、その共同体のなかで指導的とみなされるようにすると、或る意見は通りやすい。(いわゆる科学的)根拠、そしてまたデータなるものもまた、人間が作り出すものである。むろんこのことは、何も(「正しい」ではなく)役立つ認識はできない、と言っているのではない。

 さて、

  「pseudoscience
   偽科学:星占い念力など、科学的根拠がないとされる理論法則など」(プログレッシブ英和中辞典)

とある。或ることが『科学的根拠』となるのはどういう場合か、これもいわば同定合戦である。
 また、大きな問題は、或る理論ならば、その定式化がどのような種類と程度のものについて、判断するかである。新しく芽生えた理論は、初期段階では、多々不十分であろう。そして批判によって、整備されることもあるし、されないこともある。
 大きな点は、研究費である。