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福島原発事故103:原発リスクと地球温暖化リスク(7)、擬似科学または偽科学(2)

2011年04月26日 10時44分27秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月26日-6
福島原発事故103:原発リスクと地球温暖化リスク(7)、擬似科学または偽科学(2)

 さきほどまで積ん読本だった、フリードランダー『きわどい科学』を、つまみ食い(いや、つまみ読み)する。

  「ありとあらゆる人の要求にかなっていて、どんな批判にも耐えることのできる科学の定義などどこにもない。同様に、科学とそのまがいものの境界を画定しようという試みも繰り返しなされてきたが、すべての人の意見を満足させたことは一度としてなかった。」(フリードランダー 1995: 322頁)。

 「ラングミュアが彼の標的としたなかには、N線、ESP、空飛ぶ円盤(UFO)が含まれていた」らしいが、ラングミュアによる「「病的科学の症状」を見きわめる次のような「特徴的なルール」とは、

  1.観測される最大の効果は、ほとんど検出できないくらいの強さの原因から生まれ、その効果の大きさは本質的に原因の強さには依存しない。
  2.その効果の大きさは検出限界ぎりぎりのところにとどまる。あるいは、得られた結果が統計的にはほとんど意味をもたないために、数多くの測定が必要になる。
  3.きわめて精度が高いと主張する。
  4.経験と矛盾する夢のような理論である。
  5.批判すると、とっさに思いついたその場かぎりの言い逃れをする。
  6.反対者に対する支持者の割合は五〇パーセント近くまで上がるが、その後は次第に下がっていってやがて忘れ去られてしまう」(フリードランダー 1995: 323頁)。

 ぴんとこない。たとえば、経験と矛盾する、とか、その場かぎりの言い逃れ、というのは決定的なものとは思えない。緩めて、特徴的と言っても、役に立たない。これは、すでに偽科学のカテゴリーに入る事例について、その『特徴』を考えついたものだろう。では、その偽科学事例とする根拠は何か? ラングミュアがしたことは、N線、ESP、空飛ぶ円盤などについて、教師有りの分類をしたのではなかろうか。そうではなく、われわれができるのは、せいぜいのところ、教師無しの同時分類である。

 
 「理論物理学者で科学哲学者のマリオ・ブンゲ〔→ブーンゲ。Bungeのuは、のばして発音するらしい〕による」、「疑似科学を見分ける有益なチェックリスト〔照合目録〕」(掲載は、Skeptical Inquirer 9(1): 36)を、フリードランダー「なりに言い換えた形で示し」たものは、

  「1.新しい理論は融通性に乏しく、一般に新たな研究の妨げになる。
   2.一般に、支持者は研究していない信奉者からなっている。
   3.場合によっては、商業的な関心から支持を得ることもある。
   4.疑似科学の現象のほとんどは信奉者にしか証明できず、その多くが超自然的効果をほのめかしている。
   5.拠りどころとする議論の多くは時代遅れだったり信頼できない文献から引かれるか、証明不可能である。そうした立論には明確さと首尾一貫性が欠けている。
   6.数学が使われることはめったになく、論理的な議論も欠けていることが多い。
   7.主張される現象の多くは非常に古くからあるものだが、そのアイデアにはほとんど、あるいはまったく進展が見られない。(これと対照的に、科学の本流では知識が累積されていく。)」(フリードランダー 1995: 323-324頁)

 また、独特の特徴として、ブーンゲは、

  1. 新たな仮説を歓迎したがらない。
  2. 好ましくないデータはそのほうが数のうえではるかに勝っている場合ですら隠蔽したり歪曲してしまう。

などを、挙げている(フリードランダー 1995: 324頁)とのことである。

 
[F]
マイケル・W. フリードランダー.1995.(田中嘉津夫・久保田裕訳 1997.4)きわどい科学:ウソとマコトの境域を探る.370+xvii pp.白揚社.[Friedlander, Michael W. 1995. At the Fringes of Science.]