生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第3節 物理的プロセスと化学的プロセスへのシステム的接近、の試訳20160626

2016年06月26日 23時11分31秒 | システム学の基礎
2016年6月26日-3
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第3節 物理的プロセスと化学的プロセスへのシステム的接近、の試訳20160626

 「
第3節 物理的プロセスと化学的プロセスへのシステム的接近

 歴史的には、物理的システムの最初に知られた例は、太陽系 the solar system である。太陽系が単なる天体の集合体であるというよりも、一つの星座といった、そのようなものだと認識するのには、ニュートン(1667)ほどのものが必要だった〔It took no less than Newton (1667) to recognize it [=太陽系] as such rather than as a mere assemblage of bodies , such as a constellation. 〕彼は、太陽系は、重力的引力によって一緒に保たれており、太陽系のあらゆる構成要素は慣性(質量)を持っているから、重力的引力は単一の天体へと崩壊を引き起こすことはない、という仮説を設けた。もしそれらのどれかが止まると、それは太陽へと落ちるだろうし、他の惑星の軌道は変わるだろう。どの惑星を除去しても、同様の結果が得られるだろう。こうして、太陽系は全体性という性質を示すのである。しかし、この全体は分析可能である。すなわち、全体の状態は、それの構成要素のそれぞれの状態によって決まる。惑星天文学者の主な仕事は、精確に言えば、惑星たちとそれらの月たちの状態を特徴づける変数を、測定するか計算することである。しかし彼らはまた、そのシステムが他の天体と相対的に一つの全体として運動する仕方を見つけ出すことにも興味がある。
 しかし、ニュートンの粒子力学に関する独自の定式化は、力学的システムの研究にはうまく適さない。なぜなら、その指示対象は、その系の残りの粒子によって及ぼされる力に従う単一の粒子だからである。オイラー、ラグランジュ、そしてハミルトンは、力学系の全体的な性質を記述する関数を導入して、ニュートンの方法(ベクトル的力学 vectorial mechanics)を一般化した。このような一つの関数、作用は、ハミルトンの変分(または極値)原理を満たす。つまり、系の作用は、最大かまたは最小である。(等価的に、システムの考え得る歴史のすべてについて、実際の歴史は、その作用の極値的な(つまり最大または最小の)値に相当する。今度は、その原理は、運動についての微分方程式を含意する。図3.1を見よ。これは、理論物理学のすべての分野に採用される接近〔アプローチ〕である。つまり、分析(微分方程式)が総合(変分原理)と結びつけられている。

 図3.1 (a)ベクトル的力学。問題とする粒子pの運動は、その系〔システム〕の他の粒子に影響される。(b)分析的力学。指示対象は、一つの全体としての力学的な系である。そこでは、個々の粒子は、いくつかの相互作用する構成要素の間のたった一つである。

 個体、液体、そして重力のであれ、電磁気のであれ、その他のものであれ、物理的場は、全体というさらなる例を提供している。このようないかなる連続的媒体の或る領域における摂動は、全体のすみからすみまでに伝わる。池に落ちつつある石のこと、あるいは電場のなかを動きつつある電子のことを考えよ。それは、固体と液体は、気体には似ず、場によって一緒にされる、原子または分子のシステムであることとは一致しない。
 全体性と創発の別の例は、いわゆる量子力学に典型的な、もつれあい、相関関係、または非分離性である。これが意味するのは、多数の構成要素から成る微小物理的システムの状態は、それの構成要素の状態に分解(要因化 factored)できないということである。言い換えれば、二つ以上の量子が一緒になって一つのシステムを形成するとき、その構成要素が空間的に分離されるようになってさえも、それらの個体性は失われるのである(たとえば、Kronz and Tiehen 2002を見よ)。
 最後に、化学的システム〔化学系〕の概念を検討しよう。この類のシステムは、構成要素が、その数または濃度が変わる化学物質(原子または分子)であるシステムとして特徴づけられよう。なぜなら、それらは互いに反応することに関わるからである(たとえば、Bunge 1979aを見よ)。よって、反応が始まる前と、反応が完了した後では、システムは物理的であって、化学的ではない。たとえば、電池は、それが働いている間にだけ、化学的システムである。
 化学反応は、創発または質的新奇性の最適の例を、ながらく与えてきた。しかし、化学的システムの概念は、19世紀中の化学的で薬学的な産業での化学反応の創発とともに、よく知られるものとなった。化学的構成におけるあらゆる変化は、構成要素間での相互作用によってか、構成要素とその環境との間の相互作用によって引き起こされるから、システムの真のモデルは、その構成だけでなく、その環境、構造、そして機構を組み入れるだろう。つまりそれは、第2章の第5節で導入された基本的CESMモデルの特殊化であろう。
 では、生物システムへと移ろう。それは、超化学的性質を授けられた、化学的システムの上位システムである。
」[試訳20160626](Bunge 2003b: 43-45)。


Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第2節 概念的システムと物質的システム、の試訳20160626

2016年06月26日 19時25分46秒 | システム学の基礎
2016年6月26日-2
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第2節 概念的システムと物質的システム、の試訳20160626

 「
第2節 概念的システムと物質的システム

 近代数学は、特に抜きん出たシステム的科学である。実際、近代数学者は、はぐれた事項ではなく、システムかシステム構成要素をを扱う。たとえば、実数、多様体、ブール代数、そしてヒルベルト空間は、システムとして述べられる。これらの事例のすべてで、集合体 aggregate または集合 set をシステムに変えるものは、構造である。構造すなわち、システムの構成要素の間の諸関係の集合、またはシステム構成要素への働き〔作動〕 operations である。(数学的システムは、ときに「構造」と呼ばれる。これは誤称である。なぜなら、構造は性質であり、そしてあらゆる性質はなんらかのものの性質だからである。たとえば集合は、その要素が連結 concatenation と相反 inversion の操作によって組織化〔編制〕されていれば、集団的性質を持つ。
 実は、現代の数学者は二つの類のシステムと取り組んでいる。一つの類は、数学固有の対象で、環、位相空間、方程式のシステム、そして多様体である。もう一つの類は、このような対象についての理論である。理論は、もちろん仮説演繹のシステム〔体系〕である。すなわち、含意関係によって連結された式から構成されるシステムである。しかし、理論はまた数学的対象として見られてもよい。つまり、メタ理論の対象である。たとえば、理論の論理と論理の代数である。最後に、現代数学の全体は、相互に関係する理論(各理論は、或る類いの数学的システムを指示する)から成る一つのシステムと見なされよう。
 このことすべては、もちろん数学者にはよく知られている。Hardy (1967) が述べたように、数学的考えの重要性は、それの他の数学的考えへの関係性に比例する。数学においては、存在することは、少なくとも一つの数学的システムの構成要素であることだとさえ、或る者は言うかもしれない。はぐれものは、資格を得られない。
 以下に、具体的システム、すなわち複雑で変化可能な物、だけを考慮しよう。つまり、理論といった概念的システムはあまり深くは扱わないことにする。_具体的 concrete_(または_物質的 material_)システムは、それの構成要素のあらゆる一つ一つが変化可能で、そのシステム自身の他の構成要素に作用したり、作用されたりするような複成物 composite thing として定義される。これと等価な定義は、物質的システムは、その構成物のすべてがエネルギーを持つ複雑物である、というものである。物質性とエネルギーの広い概念によって、人だけでなく、社会システムもまた、物質的である。もっとも、もちろんながら、社会的事柄は、物質を超える創発的性質である。
 変化可能であることに加えて、宇宙を除いてあらゆる具体的システムは、それの環境と相互作用する。しかしながら、このようなシステムと環境の相互作用は、内部構成要素の相互作用よりも弱い。この条件が満たされなければ、宇宙(それは単一圏であろう)以外のシステムは無い。
」[試訳20160626](Bunge 2003b: 42-43)。





Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第0節と第1節 システム的接近、の試訳20160626

2016年06月26日 16時45分10秒 | システム学の基礎
2016年6月26日-1
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第0節と第1節 システム的接近、の試訳20160626

 Bunge (2003b) の『創発と収斂:質的新奇性と知識の統一 Emergence and Convergence: Qualitative Novelty and the Unity of Knowledge』の《第3章 システム的接近》の、まえがきと第1節を、以下に訳出する。



第3章
システム的接近

 前の章で見たように、システム主義とは、あらゆるものは一つのシステムであるか、あるいは一システムの構成要素であるという見解である。この章と次の章では、システム主義は、原子、生態系、人物、社会、そしてそれらの構成要素に対して、またそれらが構成する物についても成立すると主張しよう。システム主義はまた、観念と記号についても成立する。すなわち、日常的知識、科学、科学技術、数学、あるいは人文学においてであろうと、はぐれた考え〔観念〕または孤立した意味ある記号なぞ無いのである。実際、或る考えや記号は、他の考えや記号に関係しないなら、いかにして把握したり、作り出されたり、適用されたりするのか、理解が難しい。宇宙だけが、他のなにものとも繋がっていないが、それでも単 なる集合体aggregateであるよりは、一つのシステムである。事実、宇宙のいかなる構成要素も、少なくとも一つの他の構成要素と直接的(面と向かっての社会的相互作用のように)か間接的(たとえば物理的場を通して)かのどちらかであれ、相互作用する。
 システム主義は、個体主義(または原子論)と集産主義 collectivism(または全体論)の両方の代わりとなる。したがってシステム主義は、小還元主義 micro-reductionism(「あらゆるものは、底から来る」)と大還元主義 macro-reductionism(「あらゆるものは、頂きから来る」)の両方の代替となる。個体主義は、木々を見るが森を見失なう。他方、全体論は森を見るが木々を見逃す。システム的接近だけ が、木々(そしてその構成要素)と森(そしてそれのより大きな環境)の両方に注目することを容易にする。下記と次章で見るように、木々と森々に対して成立することは、_必要な変更を加えて _mutais mutandis_、他のあらゆるものにも同様に成立する。

第1節 システム的接近

 システム的存在論は、認識論的であろうと実践的であろうと、すべての問題について、システム的接近を示唆する。単純な事例でその働き方を見てみよう。人はどのように車種を、選ぶのだろうか?。普通、人は、サービス設備を無視して、予算に合う最良の車を探す。しかしこのやり方は、輸入車の場合では、災難を招く。なぜなら、部品と専門技術は高くつくし、もっと入手困難だからである。問題へのシステム的接近は、車問題についての四つのあり得る解決策を、次のようにしてまとめて検討するだろう:

||〈良い車、良いサービス〉〈良い車、悪いサービス〉||
||〈悪い車、良いサービス〉〈悪い車、悪いサービス〉||
=
|| V11 V12 ||
|| V21 V22 ||

この行列の四つの記入項の値は、次のように順位づけられるだろう:

 V11 > V12 >= V21 >V22。

 この進め方は、_システム的接近_と呼ばれる。その反対は、_分野的接近〔扇形的接近、では意味が取れないか。円の一部という意味か。分派的接近とすべきか〕sectoral approach_と呼ばれる。システム的接近のほうが、扇形的接近よりも効率的だと言いたい。なぜなら、実在それ自体が、未分化の小塊かまたは分離した事項の緩い集まり assemblage であるよりは、期せずしてシステム的だからである。車も、人々も、原子や光子でさえも、空虚のなかに存在するのではない。(そのうえ、まったくの空虚というようなものは無い。あらゆる場合が、物理的場たちの席なのである。)
 あらゆるものは、宇宙を除けば、他の何かに繋がれ、他の何かに埋め込まれている。しかし、あらゆるものが他のあらゆるものに結ばれているわけではない。また、すべての結合が同じ強さであるわけでもない。このことによって、部分的な隔離が可能となり、或る個々のものを宇宙の残りを考慮することなく研究することが可能となる。この資格〔能力 qualification〕によって、システム主義は、全体論またはブロック宇宙説から区別される。
 従来通り、哲学者たちは、これらの科学的変化に気をつける時間を割いた。事実、初期のシステム的哲学は、有名なドルバック男爵によって手作りされた。彼の『社会システム』(1773)のまさに冒頭に、「〔フランス語〕」と書いた。三年後、『自然のシステム』で、彼は自然のシステム性(と物質性)のための十分な論拠をこしらえた。それが持つ力は、楽しまれはしなかった。これらの力ある著作は、ドルバックの第二の祖国、フランスで追放された。今日でさえ、全体のフランス啓蒙思想は、大半の大学でほとんど無視されている。そこでは、システム主義は、しばしば全体論と混同され、小心者には恐ろしい唯物論と同様に、まったくもって不人気である。
 しかし、哲学的共同体によって説得力のある哲学的考えが無視されるならば、他のところで花咲きそうである。これがシステム主義に起こったことであり、生物学者のルードビッヒ フォン ベルタランフィLudwig von Bertalanffy (1950) によって、はっきりと唱えられた。彼は、一般システム理論の運動を鼓舞したのである。すべての運動と同様に、この運動も異質的である。それには、強固な意志を持つ科学者と工学者(たとえば、Ashby 1963; Milsum 1968; Whyte, WIlson, and Wilson 1969; Weiss 1971; Klir 1972)を含んでいる。また、システム主義を全体論と混同する一般大衆向けの書き手も(たとえば、Bertalanffy 1968; Laszlo 1972)そばに並んでいる。大衆向けの書き手は、システム理論は、経験的研究に携わることなくして諸問題に取り組むための秘訣だと信じている。彼らの純粋に形式的な類推と乱暴な主張は、Buck (1956) とBerlinski (1976)の痛烈な批判をもたらした。
 一般システムの理論者は、哲学者と同様に、強固な意志の者と弱い意志の者とに分かれる。わたしの自身の著書である『システムの世界 A World of Systems』(1979)は、節度あるシステム的接近を採用して、形式的道具を使って、化学、生物学、心理学、そして社会科学に適用する。システム主義は、近代科学的世界観に内在する存在論の一部であり、それゆえ出来合いの置き換えよりも理論化にあたっての案内となると、わたしは主張する。」
[20160628試訳](Bunge 2003b: 39-41)。



Mario Bungeのシステム的接近、システム主義(1)〜(5)のまとめ

2016年06月25日 23時53分53秒 | システム学の基礎
Mario Bungeのシステム的接近、システム主義(1)〜(5)のまとめ
δ

 Mario Bunge がシステム的接近またはシステム主義について述べた下記の書の部分を訳出し、まとめようと思う。

 (1)Bunge (2003b) 『創発と収斂:質的新奇性と知識の統一』
 (2)Bunge (2013) 『医学哲学:医学における概念的争点』の「2.3 システム的接近」(pp. 43-47)

 Mario Bunge (2003b) 『創発と収斂:質的新奇性と知識の統一』に、システム的接近についての記述がある。また、システム的分析として、CESM分析、つまり構成、環境、構造という3つの分析に加えて、機構の分析が登場している。


A. 機構についての箇所

 第2章 システムの創発と潜没(pp.26-)のpp.29-30に、機構について言及しているところがある。その箇所を、以下に訳す。

  「
 言い換えれば、システムの創発、振る舞い、そして分解〔解体〕 dismantling を説明するのに、そのシステムの構成と環境だけではなく、総体的(内的および外的)構造によっても説明するのである。さらに、これで十分だというわけではない。システムの機構 mechanism または作動様式 modus operandi についての何かをも、知るべきである。すなわち、どんなプロセス
  〔過程と訳すと、機構が関わらないように受け取れる。→Oxford Paperback Dictionary を見よ[後述]〕

によってそれが振る舞うようになっているのか、あるいは振る舞うことを止めるようになっているのか、その仕方である。

 システムを動かす機構を見つけ出す方法は、システムの特異的機能を探すことである。すなわち、それに特有のプロセスを探すことである(Bunge 2003b)。表2.1を見よ。

表2.1 よく知られているシステムの特異的機能と関連する機構
============================================
システム    特異的機能         (諸)機構
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
川       排水             水流
化学反応装置  新しい分子の創発       化学反応
有機体     維持             代謝
心臓      血液汲み上げ〔ポンプ作用〕  収縮─緩和
脳       行動と精神状態        神経細胞間の結合
時計      計時             いくつか〔の機構〕
学校      学習             授業、勉学、議論
工場      商品製造〔生産〕       労働、管理
売店      商品の流通          商売
科学実験室   知識の成長          研究
学術共同体   品質管理           査読〔同僚評価〕
裁判所     正義の探求          訴訟
非政府組織   公共奉仕           自発的労働
============================================

 いくつかの場合、或る特異的機能は、様々な機構を持つシステムたちによって成し遂げられるかもしれない。これらの場合、問題としているシステムたちは_機能的に等価である functionally equivalent_ と言える。たとえば、輸送は、車、船、または飛行機による結果であり得る。いくつかの計算は、脳かあるいは計算機〔コンピュータ〕によって実行され得る。また、不平を取り除くことは、団体交渉、訴訟、暴力、または賄賂によって得られよう。(機構が与えられた場合、その機能を見つけることは、直接的問題である。対照的に、機能から機構へ進むことは、逆問題に携わることである。それは、少しでも解決可能だとしても、機能と機構の写像〔対応規則〕が一対多であるときには、二つ以上の解がある。)よくある間違いは、機能的等価性からシステム同一性を推論することである。この誤りは、_機能主義 functionalism _と呼ばれるが、心についての計算主義的見解の核心である。そのことについては、第9章第3節でもっと詳しく述べる。
」[20160621試訳、20160622試訳]。
(第2章 システムの創発と潜没から、機構についての箇所。Bunge 2003b: 29-30)。


□ 文献 □Bunge, Mario.

Bunge, M. 1999. Dictionary of Philosophy. 316pp. Prometheus Books. [B991213, $41.97+48.65/7]

Bunge, M. 2003a. Philosophical Dictionary. Enlarged edition. 315pp. Prometheus Books. [B20070507, y2,786]

Bunge, Mario. 2003b (2014 reprinted in paperback). Emergence and Convergence: Qualitative Novelty and the Unity of Knowledge. Toronto Studies in Philosophy. [B20150720、4,746+257=5,003円amz、fromBK]

Bunge, Mario. 2003c. How does it work? Philosophy of the Social Sciences (forthcoming). →
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.386.4336&rep=rep1&type=pdf[受信:2016年6月22日。]

Bunge, M. 2008. Political Philosophy: Fact, Fiction, and Vision. Transaction Publishers. [B20090119, y6,431]

Bunge, Mario. 2013[/5?]. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine.  [B20150716、paper 6,016円amz]



B. システムの諸型

 「
第4節 システムの諸型 System Types

 システムには、いくつかの異なる種類のものがある。最初のクラス分け〔分類〕は、観念的/物質的という二分法である。つまり、観念的なものは何であれ、物質的ではないし、逆にもそうである。唯物論者と同様に、観念論者もこの二分法を支持する。しかし、観念論者は観念的対象が独立して存在すると考えるが、唯物論者は観念的対象なぞ、或る人が考え得る程度にしか存在しないと主張する。
 しかし、観念的/物質的という二分法は不十分である。或る物質的システムたちは、たとえば社会的システム、科学技術的システム、そして記号的システムといったものであるが、それらは観念を組み入れたり表現したりするのだ。諸システムを幾分かより細かく区別すると、次の通りである。

1. _自然的 natural_。たとえば、分子、河川網、神経系。
2. _社会的 social_。たとえば、家族、学校、言語的共同体。
3. _技術的 technical_。たとえば、機械、テレビ放送網、高度技術〔先端技術〕病院。
4. _概念的 conceptual_。たとえば、或る分類、仮説演繹体系(理論)、法典。
5. _記号的 semiotic_。たとえば、或る言語、楽譜、建物の青写真。

 次のことに注意されたい。第一に、この類型論 typology は、創発的(または非還元主義的)唯物論的存在論に属する。他の存在論においては、何の意味も無い。とりわけ、観念論において(特にプラトン主義と現象主義で)受け入れられないのは、俗流の唯物論において(特に物理主義で)受け入れられないのと同様である。
 第二に、この類型論は分割ではない。ましてや、一つの分類ではない。なぜなら、(a)たいがいの社会システムは、社会的であると同様に人工的だからである。学校、商業、あるいは軍隊について考えてみよ。(b)或る社会システム、たとえば農場、工場といったものは、人々だけでなく、動物、植物、または機械を含んでいるからである。(c)すべての記号システムは、自然言語でさえも、人工物であるからである。それらのうちのいくつかは、概念的システムを、たとえば科学的な式や線図 diagrams を選定するからである。そして、(d)すべての社会的システムにおける活動は、記号的システムを使うことを伴うからである。さらに、上記の類型論は、この世界を構成する諸システムのいくつかの顕著な客観的特徴を粗く表わしている〔表象している〕にすぎない。
 上記の五つの概念の、手っ取り早い(したがって隙だらけの)定義は、次の通りである。
 定義2.1 _自然的 natural_ システムとは、すべての構成物が自然に属し(つまり、人工ではない)、かつ、構成物間の結合が自然に属するシステムである。
 定義2.2 _社会的 social_ システムとは、構成物のいくつかが、同種の動物たちで、かつ、他のものは人工物であるシステムである(道具のような生命の無いものか、家畜のような生きているものである)。
 定義2.3 _技術的 technical_ システムとは、人々によって技術的知識で構築されるシステムである。
 定義2.4 _概念的 conceptual_ システムとは、概念から成るシステムである。
 定義2.5 _記号的 semiotic_ システムとは、(たとえば言葉、楽譜、そして図といった)人工的標徴 signs から成るシステムである。
 定義2.6 _人工的 artificial_ システムとは、構成物のいくつかが作られたシステムである。

 明らかに、人工的システムのクラスは、公的な社会組織(たとえば学校、商社、そして政府)はもちろん、技術的システム、概念的システム、そして記号的システムの和である。すべての言語は、作られるのであるから、人工的である。たとえば英語といった「自然」言語と、たとえば(微積分としてではなく、言語として使われるときの)述語論理といった「人工的言語」との間の違いは、後者は多少とも自発的に進化するということなく設計されるという点である。」[20160622試訳]
(Bunge 2003b: 33-34)。



C. 構成環境構造機構(または成環構機)またはCESMモデル

  「
第5節 CESMモデル〔構成 環境 構造 機構モデル〕

 システム理論の文献によく見られるシステムの定義を、三つ挙げれば次の通りである。

D1 システムとは、一つの全体として振る舞う集合であるか、または事項の収集体である。

D2 システムとは、構造化された集合または集合体である。

D3 システムとは、或る類いの事項の集合についての二項関係である。たとえば、黒箱〔ブラックボックス〕における入力と出力の対である。

 これらの定義のいずれも、科学的目的のためには適さない。D1は、欠陥がある。なぜなら、(a)収集体が一つの単位として振る舞うようにしている特徴、つまり創発的性質を指し示していないからである。また、(b)「集合」を「収集体」と同じとしているのは、誤りである。なぜなら、集合は概念であり、それらの構成は完全に固定されている。ところが、生物種といった、具体的収集体または集合体 aggregate は、時間とともに変化する。D2は誤りではないが、不完全である。システムの構造を、すなわち、構成者たちを一緒にしておく関係の収集体を、特定するのに失敗している。そしてD3も、不備である。なぜなら、それは黒箱についてだけ成立するからである。それは、複雑な物質的物の最も粗い表象であり、さらに、システムは外的刺激に応答してのみ変化すると仮定する定義だからである。実際は、内的諸力は少なくとも同等に重要である。
 これらの異議のゆえに、システムを構造化された対象として、自らの定義を前に提案したのであった。この代替の定義は正しいが、それでも、まだまだ粗すぎる。なぜなら、システムの環境と機構を含むことに失敗しているからである。次の特徴づけは、CESMモデルと呼ばれ、もっと包括的である。それは、いかなるシステム_s_も、所与の時点で、四つ組としてモデル化できる。

 μ(s)=〈C(s), E(s), S(s), M(s)〉

ここで、
 C(s)=構成:sのすべての部分の収集体;
 E(s)=環境:sのいくつかのまたはすべての構成要素に作用するか作用される事項〔むしろ物項と訳すべきか。または項目〕の収集体。ただし、sにおけるそのように事項は除く;
 S(s)=構造:構成要素の間の諸関係、または構成要素とsの環境E(s)における事項との間の諸関係、とりわけ諸結合;〔←原文のピリオドは、;の間違いに違いない〕
 M(s)=機構:sがそのように振る舞うようにする、sにおける諸プロセスの収集体。
 例1。2個の成員〔属員〕からなる半群、
  C(s)=これといった特徴のない要素 aとb の集合;〔改行されずに続くが、見やすいように改行した。また、例毎でも改行した。〕
  S(s)=連結(a⨁b、b⨁a、a⨁a、b⨁b、a⨁b⨁a、そしてb⨁a⨁b);
  E(s)=述語論理;
  M(s)=空集合。
 例2。一つの文は、一つの(記号的)システムである。というのは、いくつかの語を連結することの結果であるから。
 例3。一つの本文 a text は、システムであるかもしれないし、システムでないかもしれない。そのことは、その構成要素の表現がなんらかの仕方で「つじつまが合う」かどうか、つまり、同じ主題に言及しているかのか、あるいは含意の関係によって繋がっているかどうかに、依存する。
 例4。一つの原子。ここで、
  C(s)=構成物である粒子と関連する場;
  E(s)=その原子が相互作用する相手となる物たち(粒子と場);
  S(s)=その原子をくっつけておく場と、加えてその環境における諸事項との相互作用;
  M(s)=光の放出と吸収、組み合わせ、など。
 例5。一つの言語的社会。ここで、
  C(s)=同じ言語を話す人々の収集体;
  E(s)=その言語が使われる(諸)文化;
  S(s)〔原文のC(s)は、誤植に違いない〕=言語的通信〔コミニュケーション〕関係の収集体;
  M(s)=記号 symbols の生産、伝送 transmittion、受け取り reception。
 例6。会社 a firm。ここで、
  C(s)=社員と経営陣;
  E(s)=市場と政治体制 govenment〔政府〕;
  S(s)〔ここでも、原文のC(s)は誤植に違いない〕=会社の構成員の間の仕事関係、そして会社構成員とその環境との仕事関係;
  M(s)=会社の生産物で終わる諸活動。
 最後に、例7。システムたちではないものの福袋。すなわち、構造を欠いた、不特定の要素の任意の〔恣意的な arbitrary 〕集合。一つ以上の言語から出鱈目に選び取られた記号の任意的収集体、分解された機械の部品の山〔積み重ね〕、世界全域に移動してしまった人たちから成る、大家族または村。
 次の点に注意されたい。第一に、収集体は不変の成員性〔属員性〕を持つかもしれないし持たないかもしれない。持たない場合にのみ、集合と呼ばれる。具体的システムは常に流転しているから、構成は時を経て変化し得る。自然言語とか言語的共同体のことを考えてほしい。第二に、一全体としての宇宙を除いて、あらゆるものは、それが相互作用する環境を持っている。第三に、「結合 bond」(またはその同義語である「結び tie」)は、関係項〔複数〕relata になんらかの相違を生じる関係を表わす。たとえば、一つの相互作用は、一つの結合である。他方、より大きいとか、左側であるという関係は、結合ではない。第四に、システムの構造は、二つに分割し得る。すなわち、(a)_内部構造 endostructure_、つまりそのシステムの成員間の結合の収集体、そして(b)_外部構造 exsotructure_、つまりシステム構成要素と環境事項との間の結合の収集体である。システムの外部構造は、特に重要な二つの事項を含んでいる。すなわち、_入力 input_と_出力 output_である。入力は、環境項目のシステムへの作用の収集体であるが、出力は、システムのその環境への作用である。入力と出力だけを含むシステムモデルはどれも、黒箱 black box と呼ばれる。入力と出力だけを含むシステムモデルはどれも、黒箱 black box と呼ばれる。他方、外的構造と機構を表わし〔表象し represent〕もするモデルは、透明箱モデルと呼ばれてもよい。第五に、環境項目〔事項〕との直接関係を維持するシステムの属員〔成員 members〕だけを含む、外的構造の部分集合は、システム_境界 boundary_と呼ばれてもよい。注意されたいことは、(a)この概念は、形状 shapeまたは幾何的形態という概念よりも広いこと、(b)量子力学的〔量子機構的 quantum-mechanical〕システムや有限の領域に限定された連続的媒体の場合のように、境界または縁 edge についての明示的言及が、それに依存するシステム機構がなんであれ、必要とされること、そして(c)宇宙は境界を持たないこと、である。
 入力─出力モデルまたは黒箱モデルは、CESMモデルの特別な場合であることに注意されたい。実際、入力と出力の端子を持つ箱は、構成は単集合 singleton で、環境は概略だけで、構造は入力と出力の集合であり、そして内部機構は純粋に機能的(行動的)用語で指定されるようなCESMモデルなのである。これが、行動主義がときおり「空虚な有機体モデル」と呼ばれる理由である。サイバネティクスは、構成を犠牲にして構造を強調する別の例である。作られている「材料 stuff」に関係なく制御システムに焦点を当てる(たとえば、Wiener 1948、Ashby 1963を見よ)からである。
 見かけは簡素なのだが、実践上は、CESMモデルは扱いにくい。というのは、システムのすべての部分についてとそれらのすべての相互作用についての知識だけでなく、残りの世界との連結についての知識も、必要とされるからである。実践では、_或る水準での_構成、環境、構造、そして機構という概念を使う。たとえば、分子の原子的構成、器官の細胞的構成、あるいは、社会の個人的構成について語るのである。〔素〕粒子物理学を除いて、なんらかの物の究極的構成要素を扱うことは決して無い。そして、〔素〕粒子物理学でさえも、数多くの(とりわけ環境事項との)相互作用を、ふつう無視するのである。
 より精確には、sのすべての部分の集合 C(s)を取るかわりに、実践では、類 aの部分の集合 Ca(s)だけを取るのである。すなわち、 C(s) ∩ a = Ca(s)という共通部分または論理積を形成するのである。四つ組 ミュウ(s)の他の三つの軸についても同様に進めるのである。すなわち、Eb(s)つまり水準bでのsの環境、Sc(s)つまり水準cでのsの構造、そしてMd(s)つまり水準dでのsの機構を取るのである。要するに、_減少された〔還元された〕CESMモデル_と呼ばれ得るものを形成するのである。すなわち、

  μabcd(s)=〈Ca(s), Eb(s), Sc(s), Md(s)〉。

 たとえば、社会システム(または集団)のモデルを形成するとき、全個人から構成されると取るのが普通である。したがって、システムの内部構造を個人間の諸関係に制限することになる。しかしながら、「a」、「b」、「c」、そして「d」の意味を変化させれば、同じ社会についての完全な束のモデルを構築することを妨げるものは何も無い。所与の社会システムの一定の下位システムを、たとえば家族や公的組織を、分析の単位と取るとき、これを行なっているのである。もちろん、すべての知識分野で、同様な束のモデルが構築され得る。
 システムについての上記のモデルは、創発 emergence と潜没 submergence 、すなわち、生成と崩壊のシステムのモデルで補足されるべきである。或る類のシステムの量的および質的変化をモデル化することへの最も一般的な接近〔アプローチ〕は、状態空間的接近である。これは、量子物理学から遺伝学から個体数統計学〔人口学 demography〕まで、どの専門分野でも、使われるか使用可能である。その概略を述べることに取りかかろう(詳細については、たとえばBunge 1977aを見よ)。
 たった三つの量的性質だけを含むプロセスを考えよう。それらの性質を、X、Y、Zとする。たとえば、或る化学反応装置における化学物質の濃度、有機体〔生物体 organism〕の生命徴候 vital sign 、或る生態系での個体数密度、などである。三つの性質の各々は、時間の関数であり、三つすべては単一の関数 F=〈X, Y, Z〉へと組み合わせることができる。これは、システムの_状態関数 state function_と呼ばれる。なぜなら、時点tでの F(t)=〈X(t), Y(t), Z(t)〉の値は、tでのシステムの_状態 state を表わす〔表象する represent〕からである。F(t)はそのシステムで起きているプロセスの瞬間撮影〔寸描、スナップ写真 snapshot〕である。F(t)はまた、状態空間(または相空間)における軌跡を記述するベクトルの先端部としても想像できよう。この軌跡、つまり状態 H=〈F(t) | t ∈ T〉の順序配列は、問題としている期間 T にわたるシステムの_歴史 history_を表わす。この歴史は、システムの現実の可能な(または法則にかなった lawful)状態すべてを表わす箱の中に限定される。これは、全状態空間の有限な部分集合である。なぜなら、有限のシステムの現実の〔実在する real〕性質が、無限の値に達することはあり得ないからである。宇宙論ではよくあることだが、もしこのような特異点が真面目に受け取られるならば、その当のモデルは科学的であることを止めているのである。
 さて、或る時点 teで、ベクトル F(t)はX—Y平面にあり、そのZ成分はその時点に成長し始めると、仮定しよう。言い換えれば、そのシステムは、それまでは単に可能性だけだったのが、時点 tで性質Zの創発へと導く変化を遂げるのである。(たとえば、環境温度が一定の値に達するときにだけ開始する、X + Y → Zという形の化学反応を考えてもらいたい。)そのとき以降、三つすべての性質が続く限り、状態ベクトルの先端部は三次元状態空間のなかを動くだろう。ちょうど、創発が状態空間における軸の発芽として表わすことが可能なように、潜没は刈り込みとして表わすことが可能である。そして、或る時間間隔におけるシステムの全歴史は、その類に特徴的な状態空間における軌跡によって、表わすことが可能である。これらの状態空間は、物理的空間と混同されてはならない。一般に、それらの次元は3よりも大きいからというだけでも、そうである。(量子力学での状態空間は、無限次元のヒルベルト空間であり、或る場合にはそれらの軸は一つの連続体を構成する。)


結語

 この章と前の章では、ときにはシステム主義、他のときには創発主義と呼んだ世界観と接近の概略を述べた。その焦点が、システムと創発という概念だからである。システム主義、あるいは創発主義は、四つの一般的だが一面的な接近を組み込んでいると思われる。
 1. _全体論 holism_。これは、システムを全体として組みつき、システムを分析することも、全体性の創発と破損をその構成要素とそれらの間の相互作用によって説明することも拒む。この接近は、素人と哲学的直観主義と非合理主義に特徴的である。ゲシュタルト心理学に特徴的なのはもちろん、「システム哲学」として通用している多くについても特徴的なのである。
 2. _個体主義 individualism。これは、システムの構成に焦点を合わせて、個体を超えるいかなる存在者もその性質も認めることを拒否する。この接近は、とりわけ社会的研究や倫理哲学における過度の全体論に対抗した応答としてしばしば提案される。
 3. _環境主義 environmentalism。これは、システムの構成、内的構造、そして機構を見落とすほどにまで、外的要因を強調する。行動主義的見解である。
 4. _構造主義 structuralism。これは、構造を、まるで前から存在するかのように、さらには物とは構造であるかのように扱う。いかにも、観念論者的見解である。
 これらの四つの見解の各々は、真理の一端をつかんでいる。それらを一緒にすることで、システム主義(または創発主義)は、よくある四つの誤謬を避けるのに役立つのである。

[20160625試訳](Bunge 2003: 36-39)。


 第2章はp.39で終わり、第3章 システム的接近 The Systemic Approach はpp.40-52となっている。
 第3章の目次は次の通り。
 
  第3章 システム的接近 
   第1節 システム的接近 pp.40-42
   第2節 概念的システムと物質的システム pp.42-43
   第3節 物理的および化学的プロセスへのシステム的接近 pp.43-45
   第4節 生命へのシステム的接近 pp.45-49
   第5節 脳と心へのシステム的接近 pp.49-52
   結語 p.52


 






システム的接近、システム主義(5)

2016年06月25日 22時38分06秒 | システム学の基礎
2016年6月25日-2
システム的接近、システム主義(5)

  「
 たった三つの量的性質だけを含むプロセスを考えよう。それらの性質を、X、Y、Zとする。たとえば、或る化学反応装置における化学物質の濃度、有機体〔生物体 organism〕の生命徴候 vital sign 、或る生態系での個体数密度、などである。三つの性質の各々は、時間の関数であり、三つすべては単一の関数 F=〈X, Y, Z〉へと組み合わせることができる。これは、システムの_状態関数 state function_と呼ばれる。なぜなら、時点tでの F(t)=〈X(t), Y(t), Z(t)〉の値は、tでのシステムの_状態 state を表わす〔表象する represent〕からである。F(t)はそのシステムで起きているプロセスの瞬間撮影〔寸描、スナップ写真 snapshot〕である。F(t)はまた、状態空間(または相空間)における軌跡を記述するベクトルの先端部としても想像できよう。この軌跡、つまり状態 H=〈F(t) | t ∈ T〉の順序配列は、問題としている期間 T にわたるシステムの_歴史 history_を表わす。この歴史は、システムの現実の可能な(または法則にかなった lawful)状態すべてを表わす箱の中に限定される。これは、全状態空間の有限な部分集合である。なぜなら、有限のシステムの現実の〔実在する real〕性質が、無限の値に達することはあり得ないからである。宇宙論ではよくあることだが、もしこのような特異点が真面目に受け取られるならば、その当のモデルは科学的であることを止めているのである。
 さて、或る時点 teで、ベクトル F(t)はX—Y平面にあり、そのZ成分はその時点に成長し始めると、仮定しよう。言い換えれば、そのシステムは、それまでは単に可能性だけだったのが、時点 tで性質Zの創発へと導く変化を遂げるのである。(たとえば、環境温度が一定の値に達するときにだけ開始する、X + Y → Zという形の化学反応を考えてもらいたい。)そのとき以降、三つすべての性質が続く限り、状態ベクトルの先端部は三次元状態空間のなかを動くだろう。ちょうど、創発が状態空間における軸の発芽として表わすことが可能なように、潜没は刈り込みとして表わすことが可能である。そして、或る時間間隔におけるシステムの全歴史は、その類に特徴的な状態空間における軌跡によって、表わすことが可能である。これらの状態空間は、物理的空間と混同されてはならない。一般に、それらの次元は3よりも大きいからというだけでも、そうである。(量子力学での状態空間は、無限次元のヒルベルト空間であり、或る場合にはそれらの軸は一つの連続体を構成する。)


結語

 この章と前の章では、ときにはシステム主義、他のときには創発主義と呼んだ世界観と接近の概略を述べた。その焦点が、システムと創発という概念だからである。システム主義、あるいは創発主義は、四つの一般的だが一面的な接近を組み込んでいると思われる。
 1. _全体論 holism_。これは、システムを全体として組みつき、システムを分析することも、全体性の創発と破損をその構成要素とそれらの間の相互作用によって説明することも拒む。この接近は、素人と哲学的直観主義と非合理主義に特徴的である。ゲシュタルト心理学にも特徴的なのはもちろん、「システム哲学」として通用している多くにもそうなのである。
 2. _個体主義 individualism。これは、システムの構成に焦点を合わせて、個体を超えるいかなる存在者もその性質も認めることを拒否する。この接近は、とりわけ社会的研究や倫理哲学における過度の全体論に対抗した応答としてしばしば提案される。
 3. _環境主義 environmentalism。これは、システムの構成、内的構造、そして機構を見落とすほどにまで、外的要因を強調する。行動主義的見解である。
 4. _構造主義 structuralism。これは、構造を、まるで前から存在するかのように、さらには物とは構造であるかのように扱う。いかにも、観念論者的見解である。
 これらの四つの見解の各々は、真理の一端をつかんでいる。それらを一緒にすることで、システム主義(または創発主義)は、よくある四つの誤謬を避けるのに役立つのである。
」[20160625試訳]。
(Bunge 2003: 38-39)。


システム的接近、システム主義(4)

2016年06月25日 00時51分02秒 | システム学の基礎
2016年6月25日-1
システム的接近、システム主義(4)

 システム的接近、システム主義(3)の続きで、Bunge 2003: 36-37の試訳である。

  「第五に、環境項目〔事項〕との直接関係を維持するシステムの属員〔成員 members〕だけを含む、外的構造の部分集合は、システム_境界 boundary_と呼ばれてもよい。注意されたいことは、(a)この概念は、形状 shapeまたは幾何的形態という概念よりも広いこと、(b)量子力学的〔量子機構的 quantum-mechanical〕システムや有限の領域に限定された連続的媒体の場合のように、境界または縁 edge についての明示的言及が、それに依存するシステム機構がなんであれ、必要とされること、そして(c)宇宙は境界を持たないこと、である。
 入力─出力モデルまたは黒箱モデルは、CESMモデルの特別な場合であることに注意されたい。実際、入力と出力の端子を持つ箱は、構成は単集合 singleton で、環境は概略だけで、構造は入力と出力の集合であり、そして内部機構は純粋に機能的(行動的)用語で指定されるようなCESMモデルなのである。これが、行動主義がときおり「空虚な有機体モデル」と呼ばれる理由である。サイバネティクスは、構成を犠牲にして構造を強調する別の例である。作られている「材料 stuff」に関係なく制御システムに焦点を当てる(たとえば、Wiener 1948、Ashby 1963を見よ)からである。
 見えとしては単純なので、CESMモデルは実践上は扱いにくい。というのは、システムのすべての部分についてとそれらのすべての相互作用についての知識だけでなく、残りの世界との連結も必要とされるからである。実践では、 _或る水準での_構成、環境、構造、そして機構という概念を使う。たとえば、分子の原子的構成、器官の細胞的構成、あるいは、社会の個人的構成について語るのである。〔素〕粒子物理学を除いて、なんらかの物の究極的構成要素を扱うことは決して無い。そして、〔素〕粒子物理学でさえも、数多くの(とりわけ環境事項との)相互作用を、ふつう無視するのである。
 より精確には、sのすべての部分の集合 C(s)を取るかわりに、実践では、類 aの部分の集合 Ca(s)だけを取るのである。すなわち、 C(s) ∩ a = Ca(s)という共通部分または論理積を形成するのである。四つ組 ミュウ(s)の他の三つの軸についても同様に進めるのである。すなわち、Eb(s)つまり水準bでのsの環境、Sc(s)つまり水準cでのsの構造、そしてMd(s)つまり水準dでのsの機構を取るのである。要するに、_減少された〔還元された〕CESMモデル_と呼ばれ得るものを形成するのである。すなわち、

  ミュウabcd(s)=〈Ca(s), Eb(s), Sc(s), Md(s)〉。

 たとえば、社会システム(または集団)のモデルを形成するとき、全個人から構成されると取るのが普通である。したがって、システムの内部構造を個人間の諸関係に制限することになる。しかしながら、「a」、「b」、「c」、そして「d」の意味を変化させれば、同じ社会についての完全な束のモデルを構築することを妨げるものは何も無い。所与の社会システムの一定の下位システムを、たとえば家族や公的組織を、分析の単位と取るとき、これを行なっているのである。もちろん、すべての知識分野で、同様な束のモデルが構築され得る。
 システムについての上記のモデルは、創発 emergence と潜没 submergence 、すなわち、生成と崩壊のシステム
のモデルで補足されるべきである。或る類のシステムの量的および質的変化をモデル化することへの最も一般的な接近〔アプローチ〕は、状態空間的接近である。これは、量子物理学から遺伝学から個体数統計学〔人口学 demography〕まで、どの専門分野でも、使われるか使用可能である。その概略を述べることに取りかかろう(詳細については、たとえばBunge 1977aを見よ)。」[20160625試訳]。
(Bunge 2003: 36-37)。

システム的接近、システム主義(3)

2016年06月24日 22時54分24秒 | システム学の基礎
2016年6月24日-1
システム的接近、システム主義(3)

システム理論の文献によく見られるシステムの定義を、三つ挙げれば次の通りである。

D1 システムとは、一つの全体として振る舞う集合であるか、または事項の収集体である。

D2 システムとは、構造化された集合または集合体である。

D3 システムとは、或る類いの事項の集合についての二項関係である。たとえば、黒箱〔ブラックボックス〕における入力と出力の対である。

 これらの定義のいずれも、科学的目的のためには適さない。D1は、欠陥がある。なぜなら、(a)収集体が一つの単位として振る舞うようにしている特徴、つまり創発的性質を指し示していないからである。また、(b)「集合」を「収集体」と同じとしているのは、誤りである。なぜなら、集合は概念であり、それらの構成は完全に固定されている。ところが、生物種といった、具体的収集体または集合体 aggregate は、時間とともに変化する。D2は誤りではないが、不完全である。システムの構造を、すなわち、構成者たちを一緒にしておく関係の収集体を、特定するのに失敗している。そしてD3も、不備である。なぜなら、それは黒箱についてだけ成立するからである。それは、複雑な物質的物の最も粗い表象であり、さらに、システムは外的刺激に応答してのみ変化すると仮定する定義だからである。実際は、内的諸力は少なくとも同等に重要である。
 これらの異議のゆえに、システムを構造化された対象として、自らの定義を前に提案したのであった。この代替の定義は正しいが、それでも、まだまだ粗すぎる。なぜなら、システムの環境と機構を含むことに失敗しているからである。次の特徴づけは、CESMモデルと呼ばれ、もっと包括的である。それは、いかなるシステム_s_も、所与の時点で、四つ組とひてモデル化できる。

 ミュウ(s)=〈C(s), E(s), S(s), M(s)〉

ここで、
 C(s)=構成:sのすべての部分の収集体;
 E(s)=環境:sのいくつかのまたはすべての構成要素に作用するか作用される事項〔むしろ物項と訳すべきか。または項目〕の収集体。ただし、sにおけるそのように事項は除く;
 S(s)=構造:構成要素の間の諸関係、または構成要素とsの環境E(s)における事項との間の諸関係、とりわけ諸結合;〔←原文のピリオドは、;の間違いに違いない〕
 M(s)=機構:sがそのように振る舞うようにする、sにおける諸プロセスの収集体。
 例1。2個の成員〔属員〕からなる半群、
  C(s)=これといった特徴のない要素 aとb の集合;〔改行されずに続くが、見やすいように改行した。また、例毎でも改行した。〕
  S(s)=連結(a○+b、b○+a、a○+a、b○+b、a○+b○+a、そしてb○+a○+b);
  E(s)=述語論理;
  M(s)=空集合。
 例2。一つの文は、一つの(記号的)システムである。というのは、いくつかの語を連結することの結果であるから。
 例3。一つの本文 a text は、システムであるかもしれないし、システムでないかもしれない。そのことは、その構成要素の表現がなんらかの仕方で「つじつまが合う」かどうか、つまり、同じ主題に言及しているかのか、あるいは含意の関係によって繋がっているかどうかに、依存する。
 例4。一つの原子。ここで、
  C(s)=構成物である粒子と関連する場;
  E(s)=その原子が相互作用する相手となる物たち(粒子と場);
  S(s)=その原子をくっつけておく場と、加えてその環境における諸事項との相互作用;
  M(s)=光の放出と吸収、組み合わせ、など。
 例5。一つの言語的社会。ここで、
  C(s)=同じ言語を話す人々の収集体;
  E(s)=その言語が使われる(諸)文化;
  S(s)〔原文のC(s)は、誤植に違いない〕=言語的通信〔コミニュケーション〕関係の収集体;
  M(s)=記号 symbols の生産、伝送 transmittion、受け取り reception。
 例6。会社 a firm。ここで、
  C(s)=社員と経営陣;
  E(s)=市場と政治体制 govenment〔政府〕;
  S(s)〔ここでも、原文のC(s)は誤植に違いない〕=会社の構成員の間の仕事関係、そして会社構成員とその環境との仕事関係;
  M(s)=会社の生産物で終わる諸活動。
 最後に、例7。システムたちではないものの福袋。すなわち、構造を欠いた、不特定の要素の任意の〔恣意的な arbitrary 〕集合。一つ以上の言語から出鱈目に選び取られた記号の任意的収集体、分解された機械の部品の山〔積み重ね〕、世界全域に移動してしまった人たちから成る、大家族または村。
 次の点に注意されたい。第一に、収集体は不変の成員性〔属員性〕を持つかもしれないし持たないかもしれない。持たない場合にのみ、集合と呼ばれる。具体的システムは常に流転しているから、構成は時を経て変化し得る。自然言語とか言語的共同体のことを考えてほしい。第二に、一全体としての宇宙を除いて、あらゆるものは、それが相互作用する環境を持っている。第三に、「結合 bond」(またはその同義語である「結び tie」)は、関係項〔複数〕relata になんらかの相違を生じる関係を表わす。たとえば、一つの相互作用は、一つの結合である。他方、より大きいとか、左側であるという関係は、結合ではない。第四に、システムの構造は、二つに分割し得る。すなわち、(a)_内部構造 endostructure_、つまりそのシステムの成員間の結合の収集体、そして(b)_外部構造 exsotructure_、つまりシステム構成要素と環境事項との間の結合の収集体である。システムの外部構造は、特に重要な二つの事項を含んでいる。すなわち、_入力 input_と_出力 output_である。入力は、環境項目のシステムへの作用の収集体であるが、出力は、システムのその環境への作用である。入力と出力だけを含むシステムモデルはどれも、黒箱 black box と呼ばれる。入力と出力だけを含むシステムモデルはどれも、黒箱 black box と呼ばれる。他方、外的構造と機構を表わし〔表象し represent〕もするモデルは、透明箱モデルと呼ばれてもよい。

システム的接近、システム主義(2)

2016年06月22日 12時52分55秒 | システム学の基礎
2016年6月22日-3
システム的接近、システム主義(2)

 「
第4節 システムの諸型 System Types

 システムには、いくつかの異なる種類のものがある。最初のクラス分け〔分類〕は、観念的/物質的という二分法である。つまり、観念的なものは何であれ、物質的ではないし、逆にもそうである。唯物論者と同様に、観念論者もこの二分法を支持する。しかし、観念論者は観念的対象が独立して存在すると考えるが、唯物論者は観念的対象なんて或る人によって考え得る程度に存在すると主張する。
 しかし、観念的/物質的という二分法は不十分である。或る物質的システムたちは、たとえば社会的システム、科学技術的システム、そして記号的システムといったものであるが、それらは観念を組み入れたり表現したりするのだ。諸システムを幾分かより細かく区別すると、次の通りである。

1. _自然的 natural_。たとえば、分子、河川網、神経系。
2. _社会的 social_。たとえば、家族、学校、言語的共同体。
3. _技術的 technical_。たとえば、機械、テレビ放送網、高度技術〔先端技術〕病院。
4. _概念的 conceptual_。たとえば、或る分類、仮説演繹体系(理論)、法典。
5. _記号的 semiotic_。たとえば、或る言語、楽譜、建物の青写真。

 次のことに注意されたい。第一に、この類型論 typology は、創発的(または非還元主義的)唯物論的存在論に属する。他の存在論においては、何の意味も無い。とりわけ、観念論において(特にプラトン主義と現象主義で)受け入れられないのは、俗流の唯物論において(特に物理主義で)受け入れられないのと同様である。
 第二に、この類型論は分割ではない。ましてや、一つの分類ではない。なぜなら、(a)たいがいの社会システムは、社会的であると同様に人工的だからである。学校、商業、あるいは軍隊について考えてみよ。(b)或る社会システム、たとえば農場、工場といったものは、人々だけでなく、動物、植物、または機械を含んでいるからである。(c)すべての記号システムは、自然言語でさえも、人工物であるからである。それらのうちのいくつかは、概念的システムを、たとえば科学的な式や線図 diagrams を選定するからである。そして、(d)すべての社会的システムにおける活動は、記号的システムを使うことを伴うからである。さらに、上記の類型論は、この世界を構成する諸システムのいくつかの顕著な客観的特徴を粗く表わしている〔表象している〕にすぎない。
 上記の五つの概念の、手っ取り早い(したがって隙だらけの)定義は、次の通りである。
 定義2.1 _自然的 natural_ システムとは、すべての構成物が自然に属し(つまり、人工ではない)、かつ、構成物間の結合が自然に属するシステムである。
 定義2.2 _社会的 social_ システムとは、構成物のいくつかが、同種の動物たちで、かつ、他のものは人工物であるシステムである(道具のような生命の無いものか、家畜のような生きているものである)。
 定義2.3 _技術的 technical_ システムとは、人々によって技術的知識で構築されるシステムである。
 定義2.4 _概念的 conceptual_ システムとは、概念から成るシステムである。
 定義2.5 _記号的 semiotic_ システムとは、(たとえば言葉、楽譜、そして図といった)人工的標徴 signs から成るシステムである。
 定義2.6 _人工的 artificial_ システムとは、構成物のいくつかが作られたシステムである。

 明らかに、人工的システムのクラスは、公的な社会組織(たとえば学校、商社、そして政府)はもちろん、技術的システム、概念的システム、そして記号的システムの和である。すべての言語は、作られるのであるから、人工的である。たとえば英語といった「自然」言語と、たとえば(微積分としてではなく、言語として使われるときの)述語論理といった「人工的言語」との間の違いは、後者は多少とも自発的に進化するということなく設計されるという点である。


第5節 CESMモデル〔構成 環境 構造 機構モデル〕

」[20160622試訳][第4節は全訳]。
(Bunge 2003b: 33-34)。


〔第5節の訳は次のブログ以降に掲載予定〕
 

システム的接近、システム主義(1)

2016年06月22日 00時43分46秒 | システム学の基礎
2016年6月22日-2
システム的接近、システム主義(1)

 Mario Bunge (2003b/2014 paperback) の『Emergence and Convergence: Qualitative Novelty and the Unity of Knowledge 創発と収斂:質的新奇性と知識の統一』に、システム的接近についての記述がある。また、システム的分析として、CESM分析、つまり構成、環境、構造という3つの分析に加えて、機構の分析が登場している。
 第2章 システムの創発と潜没(pp.26-)のpp.29-30に、機構について言及しているところがある。その箇所を、以下に訳す。

  「
 言い換えれば、システムの創発、振る舞い、そして解体 dismantling を説明するのに、そのシステムの構成と環境だけではなく、総体的(内的および外的)構造によっても説明するのである。さらに、これで十分だというわけではない。システムの機構 mechanism または作動様式 modus operandi についての何かをも、知るべきである。すなわち、どんなプロセス
  〔過程と訳すと、機構が関わらないように受け取れる。
   →Oxford Paperback Dictionary を見よ[後述]〕
によってそれが振る舞うようになっているのか、あるいは振る舞うことを止めるようになっているのか、その仕方である。

 システムを動かす機構を見つけ出す方法は、システムの特異的機能を探すことである。すなわち、それに特有のプロセスを探すことである(Bunge 2003b)。表2.1を見よ。

表2.1 よく知られているシステムの特異的機能と関連する機構
============================================
システム    特異的機能         (諸)機構
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
川       排水             水流
化学反応装置  新しい分子の創発       化学反応
有機体     維持             代謝
心臓      血液汲み上げ〔ポンプ作用〕  収縮─緩和
脳       行動と精神状態        神経細胞間の結合
時計      計時             いくつか〔の機構〕
学校      学習             授業、勉学、議論
工場      商品製造〔生産〕       労働、管理
売店      商品の流通          商売
科学実験室   知識の成長          研究
学術共同体   品質管理           査読〔同僚評価〕
裁判所     正義の探求          訴訟
非政府組織   公共奉仕           自発的労働
============================================

 いくつかの場合、或る特異的機能は、様々な機構を持つシステムたちによって成し遂げられるかもしれない。これらの場合、問題としているシステムたちは_機能的に等価である functionally equivalent_ と言える。たとえば、輸送は、車、船、または飛行機による結果であり得る。いくつかの計算は、脳かあるいは計算機〔コンピュータ〕によって実行され得る。また、不平を取り除くことは、団体交渉、訴訟、暴力、または賄賂によって得られよう。(機構が与えられた場合、その機能を見つけることは、直接的問題である。対照的に、機能から機構へ進むことは、逆問題に携わることである。それは、少しでも解決可能だとしても、機能と機構の写像〔対応規則〕が一対多であるときには、二つ以上の解がある。)よくある間違いは、機能的等価性からシステム同一性を推論することである。この誤りは、_機能主義 functionalism _と呼ばれるが、心についての計算主義的見解の核心である。そのことについては、第9章第3節でもっと詳しく述べる。
」[20160621試訳、20160622試訳]。
(Bunge 2003b: 29-30)。



□ 文献 □Bunge, Mario.

Bunge, M. ****. Causality and Modern Science. Third revised edition. xxx+394pp. Dober Publications. [B20030625, y1,352*1.05]

Bunge, M.A. 1985. Treatise on Basic Philosophy, Volume 7. Epistemology and Methodology III: Philosophy of Science and Technology, Part 1. Formal and Physical Science. xi+263pp. D. Reidel Publishing Company. [B20030625, y24,708]

Bunge, M. 1998 (1967). Philosophy of Science. Volume One: From Problem to Theory. Revised Edition. ix+605pp. Transaction. [B991220, $34.95+18.90/2]

Bunge, M. 1998 (1967). Philosophy of Science. Volume Two: From Explanation to Justification. Revised edition. x+423pp. Transaction. [B991220, $34.95+18.90/2]

Bunge, M. 1999. Dictionary of Philosophy. 316pp. Prometheus Books. [B991213, $41.97+48.65/7]

Bunge, M. 2003a. Philosophical Dictionary. Enlarged edition. 315pp. Prometheus Books. [B20070507, y2,786]

Bunge, Mario. 2003b (2014 reprinted in paperback). Emergence and Convergence: Qualitative Novelty and the Unity of Knowledge. Toronto Studies in Philosophy. [B20150720、4,746+257=5,003円amz、fromBK]

Bunge, Mario. 2003c. How does it work? Philosophy of the Social Sciences (forthcoming). →
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.386.4336&rep=rep1&type=pdf[受信:2016年6月22日。]

Bunge, M. 2008. Political Philosophy: Fact, Fiction, and Vision. Transaction Publishers. [B20090119, y6,431]

Bunge, Mario. 2013[/5?]. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine.  [B20150716、paper 6,016円amz]

*Bunge, M. The Mind-body Problem: A Psychobiological Approach.

システム的接近とは

2015年08月04日 14時25分58秒 | システム学の基礎
2015年8月4日-1
システム的接近とは

1. システム的接近 systemic approach、システム主義 systemism

 システム的接近〔アプローチ〕 systemic approach、またはシステム主義は、マリオ ブーンゲ Mario Bunge (1999, 2003) の哲学辞典では、次のよう説明されている。

  「
システム的接近〔システム的アプローチ〕 systemic approach
 【a 概念】あらゆる物は、↑【システム】であるか、システムの構成要素であるかのどちらかだという原理によって指導される↑【アプローチ】で、よって、あらゆる物は、その原理にしたがって研究され扱われなければならない。↑【個体主義】的(とりわけ↑【原子論】的)アプローチ、↑【分割主義】的〔sectoral〕アプローチ、および↑【全体論】的アプローチに反対する。【b 対抗者に対照して】対抗するすべてのアプローチのそれぞれは、システムの四つの区別的特徴の少なくとも一つ、つまり構成、構造、環境、またはメカニズムを見落としている。こうして↑【全体論】は、あらゆるシステムを一つの単位として掴み、システムをその構成、環境、そして構造へと分析することを拒否し、したがってそのメカニズムも見逃してしまう。↑【個体主義】は、構成要素のほかにシステムの存在そのものを認めることを拒否し、それゆえ構造とメカニズムを見落とす。↑【構造主義】は、構成、メカニズム、そして環境を無視し、それに加えて、諸関係を、諸関係の上または先に、関係項無しに前提とするという論理的虚偽を含んでいる。最後に、↑【外在主義〔外部主義*externalism〕】も、システムの内的構造とメカニズムを見逃し、したがって変化の内的源を見逃すこととなる。【c 利点】システム的アプローチを採用すると、理論的に都合が良い。なぜなら、あらゆる物は、一全体としての宇宙を除いて、他のいくつかの物と繋がっているからである。同じ理由によって、それは実践的にも好都合である。事実、自分が研究し、設計し、または操縦している、実在システムの特徴の大部分を見逃す専門家(科学者または科学技術者、政策立案者または経営者)によってこうむる手痛い間違いをしなくて済む。たとえば、国際通貨基金(IMF)によって考案される経済的回復または発展のための計画は、むしろしばしば失敗する。計画が↑【切断主義〔分割主義〕】的 sectorial 〔sectoral?→第二版はどちら?〕であり、システム的ではないからである。つまり、計画がその社会の発展の型と程度にかかわらず推奨する、再調整に伴う生物学的、文化的、政治的代価を無視するのである。」
(Bunge 2003, p.285)。
 〔【切断主義〔分割主義〕】の項目または事項は、初版では参照項目とはなっておらず(ただし、Sectorial Approachの項目では、反対語として【systemic approach】を参照のこと、となっている)が、第二版でシステム的アプローチからの参照項目となっている。〕

 システム的接近〔システム的アプローチ〕とは反対の接近は、下記の切断的接近である。

  「
切断的接近〔切断的アプローチ〕 sectoral approach〔Bunge哲学辞典の初版 p.263は、sectoral〕
 世界と世界についてのわれわれの知識の、システム的本性を見逃す専門家によって、典型的に採用される接近〔アプローチ〕。狭い問題であるように見える物事に取り組む場合にだけ適する。反対語↑【システム的接近〔システム的アプローチ〕 systemic approach】。

(Bunge 1999, p.263)。


文献(機構 mechanism についての文献を含む)
  Bechtel, W. 2006. Discovering Cell Mechanisms: the Creation of Modern Cell Biology. xii+323pp. Cambridge University Press. [B2008110]

  Bunge, Mario. 1999. Dictionary of Philosophy. 316pp. Prometheus Books. [B19991213, $41.97+48.65/7]

  Bunge, Mario. 2003. Philosophical Dictionary. Enlarged edition. 315pp. Prometheus Books.

  Bunge, Mario. 2013[/5/30]. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine. Paperback. World Scientific Publishing. [B20150717, paperback 6016円+0=6016円amz]

  *Couch, M.B. 2005. Functional properties and convergence in biology. Philosophy of Science 72: 1041-1051.

  *Craver, C.F. 2009. Mechanisms and natural kinds. Philosophical Psychology 22: 575-59.

  *Fagan, Melinda Bonnie. 2012/10. The joint account of mechanistic explanation. Philosophy of Science 79(4): 448-472.

  *Fagan, Melinda. 2013. Philosophy of Stem Cell Biology: Knowledge in Flesh and Blood (New Directions in the Philosophy of Science). Palgrave Macmillan.

  Machamer, P., Darden, L. & Craver, C.F.2000. Thinking about mechanisms. Philosophy of Science 67: 1-25.

  *Magnus, P.D. 2012[/11/27]. Scientific Enquiry and Natural Kinds: From Planets to Mallards. 210pp. Palgrave Macmillan.


システム的接近、またはシステム主義の基礎(2)

2015年08月03日 17時14分18秒 | システム学の基礎
2015年8月3日-3
システム的接近、またはシステム主義の基礎(2)

 Bunge (2013) 『Medical Philosophy 医学哲学』の続き、p.16からを下記に訳出する。

  「
 明らかに、システムの構造は、すなわちその諸部分間の繋がりの集合は、諸部分と同様に重要である。たとえば、細胞が死ぬと、その膜が崩壊し、蛋白体合成と代謝を止めるとき、分子の集合となる。生きているという性質は、考えることや社会化することという性質と同様に、創発的である。そして創発的性質は、システムに特有であり、収集体または集合 collections or sets とは背反する。
 分析的なものとシステム的なものとの間の関係と差異をより良く理解するには、現代解剖学地図帳〔図表集〕を中世のものと較べると助けとなる。後者では、諸器官は互いに離ればなれとなっているのに対して、現代的地図帳では相互に繋がれたものとして示されている。いくつかは直接に、他は脳を通じて繋がれており、脳は中央的制御システムとして作動する。そのうえ、現代の医者は、分子的水準から社会的水準まですべての水準で患者を検査し治療する。たとえば、お定まりの血液分析は、特定の蛋白の同定を含んでおり、臨床診察は、家族、仕事、そして近隣状況さえまで、それらについての事実を見い出すことを含むかもしれない。そしてまさに、より良い近隣へ引っ越すことが、主観的な健康に対して、強力で持続する効果を持つ可能性がある(Sampson 2012)。教訓:上向きと下向きの両方の流れを探しなさい。
 要するに、現代医学はシステム的であり、それゆえまた分析的であったが、他方、伝統的医学は全体論的であった。患者を一全体として扱うように主張するとき、伝統的治療者は、諸部分の特異性を見落とした。この特徴によって、全体論的療法の無効性は説明される。すべての細胞の膜は、_受容器_を含んでおり、それらは特異的である。すなわち、或る型の分子によってのみ刺激されるまたは抑制される(遮断される)システムだからである。

(Bunge 2013: p.16)。


システム的接近、またはシステム主義の基礎(1)

2015年08月03日 12時39分02秒 | システム学の基礎
2015年8月3日-1
システム的接近、またはシステム主義の基礎(1)

 物体であれ、構築体であれ、ものごとには、様々な側面がある(と捉えることが、われわれにはできる)。分析することで、或る対象の振る舞いや生存状態を制御 control ないし統御する govern ことができる。
 なんらかの対象を分析し統合するという方法や手順を整備するには、その対象をシステムとして捉えるのが最も有効である。見落としが少ないからである。

  Bunge, Mario. 2013[/5/30]. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine. Paperback. World Scientific Publishing. [B20150717, paperback 6016円+0=6016円amz]

 上記のMario Bunge (2013)の本、『医学の哲学 医学における概念的論争点』で、システム的接近またはシステム主義について述べている箇所を、下記に訳出することにする。なお、下線 _ で挟まれた語は原文では斜体である。
 現代医学に触れてシステム的接近を導入するあたりから、以下に訳出する。〈1.3節 Contemporary Medical Quackery 当世の偽医療行為〉の p.13の第4段落からp.15の最後までの訳である。
 なお、2.3節は、The Sytstemic Approach システム的接近、である。


  「
 _全体論 holism_ は、ニューエイジの標語の一つである。というのは、分析と理屈reason の対極を示唆するからである。それはまた、近代性の敵たちの標的である。全体論的医学は、通常新奇なものとして宣伝されるが、そのような種類のものでは決してない。実際、患者を一つの全体として扱うことは、原始のおよび古代の内的医学の特徴である。すなわち、彼らは患者を黒箱 black box〔ブラックボックス〕として扱わねば_ならなかった_。なぜなら、彼らは解剖学、生理学、生化学のいずれも知らなかったからである。対照的に、科学的医学は患者を透明箱 trnasluscent box のように扱う。すなわち、諸システムは、現代生物学の助けによって、分解する dismantle ことが少なくとも概念的にできるのである。つまり科学的医学は、システム的である。
 具体的システムの概念的または経験的分析は、原子から身体から社会まで、そのシステムの構成 composition、環境 environment、構造 structure、そして機構 mechanism を同定することにある。これらの構成要素は、図式的に次のように定義されよう:

 _構成_ =或る水準(分子の、細胞の、などの)での構成要素の集合 set of constituents【p.13/】
 _環境_ =直接の周囲(家族、職場、など)
 _構造_ =構成要素 components 間の諸結合の集合(靭帯、ホルモン的信号、など)
 _機構_ =システムをそういうものとして維持する〔支える〕(諸)過程(細胞分裂、代謝、血液の循環、など)

 この分析は、六つの群の存在論的(形而上学的)教義を引き起こす。そのうちのいくつかは、古い由来を持っている。六つの教義とは:

 環境主義 environmentalism 環境は絶大な力を有する。例:行動主義、そして、すべての病気は『瘴気〔不健全な雰囲気〕』かあるいは社会的諸条件かのどちらかによって引き起こされるという仮説。
 構造主義 structuralism 一つの全体は網状組織 network、その諸部分間の繋がりの集合、である。例:コネクショニスト心理学、そして交信の網状組織〔コミュニケーション ネットワーク〕だけが重要なのだという、まるで節点〔ノード〕無しのグラフがあり得るような、社会学的テーゼ〔定立〕。
 過程主義 processualism 一つの具体物は一束の過程である。例:アルフレッド ノース ホワイトヘッド Alfred North Whitehead の形而上学。
 全体論 holism 全体はその諸部分に先立ち支配する。例:アリストテレスの形而上学とアジアの伝統的医学。
 個体主義 individualism 全体はその諸部分の集合 set である。例:古代の原子論、健康はもっぱら個体の習性に依存する(それゆえ衛生的方策は役に立たず、したがって無駄である)というテーゼ。
 システム主義 systemism 宇宙はすべてのシステムのシステムである。例:ドルバック d'Holbach (1770)、ベルタランフィ Bertalanffy (1950)、そしてブーンゲ Bunge (1979)。

 最初の五つの教義は、論理的に正しくない。全体論と個体主義は、全体と部分の概念がお互いを定義しているゆえに、すなわち片方は他方無しには存在できないゆえに、間違っている。環境主義は、あらゆる具体物は活動的があるがゆえに、すなわち或るものは確かにその環境によって影響されるけれども、環境だけによって全的に生成されるわけではないゆえに、偽りである。構造主義は、定義によって、節点(個体)無しに網状組織は無いから、偽りである。最後に、過程主義もまた、誤りである。なぜなら、あらゆる過程(たとえば成長)は、なんらかの具体物の一連の諸状態であって、つまり物無しの諸過程でも不変の諸物でもないからである。
 結論すると、上に列挙した六つのすべての構造的存在論のうちで、システム主義だけが残る。(なお、三つの可能な実体存在論 substance ontologies がある。すなわち、唯物論 materialism、唯心論 spiritualism〔唯霊論〕、二元論 dualism である。)このシステム主義という存在論は【p.14/】、ポール-アンリ ティリ〔、〕ドルバック男爵 Paul-Henri Thirty, Baron d'Holback によって啓蒙運動の中期にはじめて提唱されたが、あらゆる真に(物質的に)存在する物は、一つのシステムであるか、何らかのシステムの一つの構成要素である。論証できるように、システム主義は、量子力学と生物学から心理学と歴史学まで、現代諸科学に適合する唯一の存在論である(Bunge 2012a)。そして、システム主義は、創発主義を内含するから、様々な形態の還元主義を、とりわけ機械論、生物学主義、そして社会学主義を、乗り越えている。
 科学的医学もまた、システム的である。解剖学と生理学に基づいているからである。両者は、身体の諸部分は、別個のものだが、相互に繋がっていることを示している。たとえば、脳はうまく灌注されなければ、正常に感じたり、考えたり、意志決定したりしなくなる。そして、言葉をよむと(それは頭頂葉皮質で起きる一過程なのだが)、脳の後部で視覚像を呼び起こすかもしれない。また、様々な種類のホルモンは、化学的『伝言 messages』を運ぶのだが、身体のあらゆる部分に届く。
 しかしもちろん、科学的医学は、システム的であると同様に分析的である。別個の諸器官を区別する。それぞれはすべて、特異的諸機能、すなわちそこにおいてだけ生じる諸過程を持つ。さらに、システム性は分析性を含意する。というのは、システムを理解することは、それを分析することを伴うからである。システム性はまた、全体論の妥当な成分を含んでいる。つまり、『全体は、その諸部分の集合を越えるものである a whole is more than the set of its parts』というテーゼである。それは、システムは、その諸部分が持つことのない全体的諸性質を持つと主張する。
 このような全体的またはシステム的性質は、_創発的である emergent_(Bunge 2003aを見よ)と通常呼ばれる。例:固体状態や、生きているという性質。すべての病〔疾病 disease 。気を病むの病気という訳語は避けることにする〕は、創発的過程である。なぜなら、初期には健康な有機体にのみ起きるからである。癌やダウン症といった幾つかは分子的根本〔基礎 roots〕を持つのに対して、他はストレスといった社会的原因を持つが、どのような場合でもそうである。
 注意。_創発_についての先の定義は、標準的な辞書が与えている定義とは異なる。後者によれば、創発的とは、いかなる分析をも拒むとしている。この定義に従うと、『創発』は、認識論的カテゴリーに入り(あるいは知識に属する)、存在論的カテゴリーには入る(あるいは世界に属する)ことにはならないであろう。たとえば、エピクロス Epicurus 以降の根元的〔急進的〕還元主義者たちは、有機体の基本的構成要素は保全されるから、死は無いと主張する。そしてリチャード ドーキンス Richrad Dawkins は、彼にとっては遺伝子だけが重要だから、有機体の存在そのものが逆説的なものだと見い出すのである。実は、生命無き生物学 a biology without _bios_ だけが、逆説的なのである。【p.15/】

(Bunge 2013, pp.13-15)。


===
・2015年7月30日-1 マリオ ブーンゲのシステム主義
・2015年7月31日-2 マリオ ブーンゲのシステム主義(2)
を取り込み済み。

===
 ところで、索引では vitalism 生気論の頁は、p.33とp.125となっている。

マリオ ブーンゲのシステム主義

2015年07月30日 00時27分03秒 | システム学の基礎
2015年7月30日-1
マリオ ブーンゲのシステム主義

Bunge, Mario. 2013/5/30. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine. Paperback. World Scientific Publishing. [B20150717, paperback 6016円+0=6016円amz]

 上記のMario Bunge (2013)の本、『医学の哲学 医学における概念的論争点』で、システムまたはシステム主義について述べている箇所を、下記に訳出することにする。なお、_で挟まれた語は原文では斜体である。

  「 具体的システムの概念的または経験的分析は、原子から身体から社会まで、そのシステムの構成 composition、環境 environment、構造 structure、そして機構 mechanism を同定することにある。これらの構成要素は、図式的に次のように定義されよう:

 _構成_ =或る水準(分子の、細胞の、などの)での構成要素の集合 set of constituents
 _環境_ =直接の周囲(家族、職場、など)
 _構造_ =構成要素 components 間の諸結合の集合(靭帯、ホルモン的信号、など)
 _機構_ =システムをそういうものとして維持する〔支える〕(諸)過程(細胞分裂、代謝、血液の循環、など)

 この分析は、六つの群の存在論的(形而上学的)教義を引き起こす。そのうちのいくつかは、古い由来を持っている。六つの教義とは:
 環境主義 environmentalism 環境は絶大な力を有する。例:行動主義、そして、すべての病気は『瘴気〔不健全な雰囲気〕』かあるいは社会的諸条件かのどちらかによって引き起こされるという仮説。
 構造主義 structuralism 一つの全体は網状組織 network、その諸部分間の繋がりの集合、である。例:コネクショニスト心理学、そして交信の網状組織〔コミュニケーション ネットワーク〕だけが重要なのだという、まるで節点〔ノード〕無しのグラフがあり得るような、社会学的テーゼ〔定立〕。
 過程主義 processualism 一つの具体物は一束の過程である。例:アルフレッド ノース ホワイトヘッド Alfred North Whitehead の形而上学。
 全体論 holism 全体はその諸部分に先立ち支配する。例:アリストテレスの形而上学とアジアの伝統的医学。
 個体主義 individualism 全体はその諸部分の集合 set である。例:古代の原子論、健康はもっぱら個体の習性に依存する(それゆえ衛生的方策は役に立たず、したがって無駄である)というテーゼ。
 システム主義 systemism 宇宙はすべてのシステムのシステムである。例:ドルバック d'Holbach (1770)、ベルタランフィ Bertalanffy (1950)、そしてブーンゲ Bunge (1979)。

 最初の五つの教義は、

[続く]

===
 ところで、索引では vitalism 生気論の頁は、p.33とp.125となっている。



発出論、流出説

2013年02月22日 15時00分33秒 | システム学の基礎
2013年2月22日-1
発出論、流出説/芸術美と自然美

 『新版 哲学・論理用語辞典』の64頁によれば、「エマナティオ」とは、「古代哲学における用語」で、「《流出》または《発出》と訳される」とある。
 そして、「世界には万物の根元となる神的な一つのモノ(「一者」「神」などとよばれる)があ」り、「この《一つのモノ》が変化、ながれ出て万物ができ上った。したがって万物はこの《一つのモノ》の部分であり、かつ、その《一つのモノ》の性(質)をうけついでいる、と。こうした〈《万物の根元》が万物に《変化する過程》〉をエマナティオとよぶ。〔この考え方を発出論[emanatism]といい、新プラトン主義(プロティノス、プロクロス)やグノーシス派にみられる〕→一者  (O)」と記述している。

 三省堂の『大辞林』によれば、「流出説」とは、
  「〔哲〕〔(ラテン) emanatio〕神から種々の存在者が段階的に展開されて、現実の世界ができ上がるとする形而上学説。新プラトン主義やグノーシス派の宇宙論などにおいて説かれる。発出論。エマナチオ。」
http://www.weblio.jp/content/流出説

 ここでは、「段階的な展開によって現実の世界ができ上がる」と説明している。
 「万物はこの《一つのモノ》の部分」での、部分とはどういう意味なのか? 或る者(または物)Aが変化して、(同定または区別できる)或る物Bが出来たとするとき、BはAの部分だと言える条件は何なのか?

 Goo辞書での流出説」は、
  「哲学で、最高存在たる神から万物が段階的に流出し、しだいに低いもの、不完全なものに至るとする形而上学説。新プラトン学派やグノーシス派の宇宙論などにみられる。発出論。エマナチオ。」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/232004/m3u/発出論/

 ウィペディアでの「流出説」は、
  「流出説(りゅうしゅつせつ、英語:Emanationism)は、ネオプラトニズム(新プラトン主義)のプロティノスが唱えた神秘思想。
 完全なる一者(ト・ヘン)から段階を経て世界が流出して生み出されたとする思想。高次で純粋な世界より、低次で物質的な混濁に満ちた世界へと流出は進み、最終的にこの世界が形成されたとする。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/流出説
 ウィキペディアの「プロティノス」の「2.2 美学」の項に、芸術美と自然美の区別の話が書かれている。
  「美が感知されるのは何か精神を引き付けるものが存するからで、すなわち精神と同質のロゴスが存しなければ物は美しくない。したがって美の根源はロゴスの明るさの中心として光に譬喩される神であり、超越美 to hyperkalon である一者としての神を頂点として、以下、ヌース、諸徳のイデア、諸存在者の形相、質料、という美の序列が成立する。この構想はプラトン的であり、その証明法はプラトンのようにミュトスによらず美的経験の分析による。この考えによれば芸術美を自然美と原理的に区別し得ないが、芸術は自然的事物を摸倣してはならず、自然美を成立させる原理を摸倣しなければならない。すなわち芸術家にとっては精神の直観力によってロゴスとしてのイデアの全体像を把握するのが先決問題である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/プロティノス#.E7.BE.8E.E5.AD.A6


  「「存在」を単に「存在」――「ある」――として抽象して了う代りに、形相を有つこと(イデア)として理解するこの典型的な観念論にとって、では物質(又は質料)とはどういうものであったか*。
* 観念という言葉は決して古典的なものではない、イデアは必ずしも観念――この意識主観――を意味しない。観念論は元来イデア主義のことであるべきで、必ずしも観念主義のことではない。だから理想主義ともなるのである。

 質料(物質)の概念は云うまでもなく形相(形式)の概念に対立する。で、形相が存在ならば、質料(物質)は無でなければならないわけである。エレア学派で問題にされた虚無がプラトンのイデア論の具体化という課題に際して、「プラトンの質料」となったのである。形相(存在)をそのまま受け取り受け容れる無が、アリストテレスによればプラトンの質料(物質)なのである。だが無が本当に無ならばパルメニデスの云う通り、そもそも問題にされ得ないもので、無の概念が必要な場合は、実は所謂有(存在)という概念では有(存在)自身が片づかないことが意識された時に限る。プラトンの質料(物質)も、所謂存在(形相)の概念では片づけ切れないような、それ程迄に圧倒的な盛り盛りした存在が想定されねばならなかったればこそ、必要になる概念だったのである。そう解釈するのがプラトンの無(物質)の最も正しい又最も新しい見解であるようである。
 そこでこうなる。存在は本当は形相(形式)としては把握出来ない、それは寧ろ、より高度の概念によって、質料(物質)の概念によって、把握される他はない。質料(物質)は無どころではない、それこそ本当の充ち溢れた存在だ、ということになる(アリストテレスは質料をば可能性という、形相よりももっと低度の、併し矢張り一つの存在と考えた。質料は可能的なものではなくて却って現実的なものでなければならないだろうに)。
 この古典的考察は、なぜ存在が他のものではなくて正に物質(質料)でなければならないかを、典型的に示すだろうと思う。物質ということは、存在物・存在者・の性格であって他の何物でもない、がそれは存在物・存在者・そのものではなくても、とに角そのようなものが存在する・ある・ということである。物質というものがあると云うより先に、あるということが取りも直さず物質ということだと云うべきなのである。
 それは質料に就いて云えることではあっても、物質に就いて云えることではないと人々が云うなら、彼等は物質を単に例の物理学的範疇と考えているのである。哲学的範疇としての物質は、質料という概念に於て、その最も典型的な古典的抽象形態を有っている、それが哲学の歴史の教える処に他ならぬ。

 併し質料(物質)を無と考えねばならなかった古典の必然性には、重大な意味がある。存在は本当の存在(物質)であることによって、単なる存在(形相)ではあり得ないということを、それは証明している。その意味で、存在は単なる存在ではなくて、却って無から根ざしていなくてはならぬ。無から出て来る――そういう云い方を許すとして――のでなければ存在は存在にならぬ。一口で云って了えば、無と存在との統一こそ、本当の存在なのである。物質とは無と存在との統一としての真の存在である。この点が大切だ。」

 
[し]
思想の科学研究会(編).1995.4.哲学・論理用語辞典.408pp.三一書房.[B950907、3090円]

[と]
戸坂潤.現代唯物論講話.[初出:「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月]
http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/card3598.html