中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

キレる人達

2005年06月24日 | 日常
「キレる」という言葉が広く使われるようになったのはいつ頃からのことだろうか。
明確には思い出せないが意外に最近、せいぜいここ10数年のことである気がする。

言葉とは不思議なもので、同じ物事を言い回しひとつで、まったく別物に見せてしまう力がある。「援助交際」なんてその好例。(うまいネーミングだな、と初めて聞いた時は正直感心した。行為自体は肯定できないけど)

同じ意味において「キレる」という表現。本来否定すべき行為が、この言葉の力で多分に世間に受容されてしまっている気がしてならない。

キレる、という行為。要は理性を失って感情の爆発に任せること。「幼稚な感情の爆発」という表現しかなかったならば、その行為を自慢げに語る大人はあまりいないのではないだろう。キレる、という言葉自体、どこかユーモラスな響きがあるのがいけないのかもしれない。

大人がよくやるキレた過去自慢では「ついついキレちゃってさ」と、比較的自分のことを客観視していることが多い。キレたのは自分の中のもうひとつの存在。コントロールが移ってしまったのだからしかたない、と責任転嫁しているように思えてならない。(まるで超人ハルクみたいだ)

そこには自分の「本体」(=ほんとうの自分)は悪くない、という姿勢が感じられる。

あと、少年犯罪がおこると必ず子供達の「キレやすさ」についての議論がメディアを賑わす。ゲーム脳、環境ホルモン、セロトニン欠乏。よくもまあ、いろいろな説がでてくるものだが、気になるのは常にそういった「外的」なものばかりに原因を求めるその姿勢なのではないだろうか。

子供を持たない者の意見にどれだけの説得力があるのかわからないけれど、子供が悪さをしたら、まずは親の育て方を最初に反省するべきだろう。電車で子供を優先させて座らせる最近の親を見ていると、いつもこう思うのだが…