ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

ものみの塔本部の移転は進んでいますか?

2012-03-20 16:53:31 | 組織
今回のブログの主題は質問調になってしまいましたが、はい、進んでいます(笑)。

しかし、受け入れる側のウォーリックでの様々な審査にずいぶん時間がかかっているようです。もちろん移転は確実ですが、かなり大規模な建設になるため時間がかかるのはやむを得ないのかも知れません。少なくとも、あと数年はかかるようです。

ものみの塔協会の広報が、地元の新聞であるブルックリン・イーグル紙に語りました。

ブルックリン・イーグル 2012/3/8

エホバの証人によって提出された環境影響報告書がニューヨーク州ウォーリックで承認されました。しかし、ブルックリンの世界本部がウォーリックに移転するまでにはまだ数年かかります。

エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会としても知られる)の広報担当であるリチャード・ディバインは、「ウォーリックで建設を始るまでにどのくらいかかるのか、まだ私たちも分からないんです」と言いました。

彼はイーグル紙に対してこう続けます。

「ウォーリック都市計画委員会は、私たちの最終環境影響報告書を完全に受け入れましたが、いくつかの修正箇所が残っています。これらの修正箇所が提出されたなら、それはおそらく数週間先になると思いますが、市は10日の間に意見を出します。この期間の後に、我々は承認の次の段階へと進むことが出来ます。すべての過程を終えるのに、少し時間がかかると思いますが、その後、私たちは最終的な決定をします。私たちは、それがどのくらいかかるのか言い当てる立場にはいません」

「このようにして初めて、要求されている整地作業や建設を始めることが出来ます。ですから、まだ数年先になるでしょう」

建設予定地にある建物は、もともと50年前にインターナショナル・ニッケル社(現INCO社)の研究開発部門のために建てられましたが、1983年から閉鎖されていました。今回の記事の写真がその建物です。協会の建設が始まった際には、取り壊されることになっています。

年次総会の目立った点

2011-10-15 07:37:30 | 組織
今年の10月1日に「ペンシルバニア州ものみの塔聖書冊子協会」の年次総会が開かれました。

毎年10月初頭にジャージー・シティ大会ホール(スタンレー劇場として知られる)で、登録された法人として年に一回の年次総会が行われるのですが、出席者には事前にチケットが配られ、それを持った人しか入ることが出来ません。今年はブルックリン、カナダベテル、ウォールキル、パタソンと電話回線を結んで行われました。

総会では、協会としてのものみの塔が一年間どのような活動を行ってきたか、また今後どのような活動を行う予定なのかが発表されます。組織的な調整が明らかにされることもあります。

今年の年次総会での、特に目立った報告や新しい調整は以下の通りです。

・アメリカのベテルでは73の異なった言語が話されていて、奉仕者は18の外国語会衆あるいは群れに割り当てられている。世界中で2万人のベテル奉仕者がおり、85の国からこの年次総会に代表が来ている。

・6つあった中央アメリカの支部は、現在すべてメキシコ支部に併合された。252人の宣教者が影響を受けることになり、ヘルプデスクを設けて援助している。80の言語グループと70人の翻訳者たちが併合された支部事務所で働いている。80万人の伝道者が支部の新しい取り決めの下に入っている。

・日本では1,700人の兄弟姉妹が大震災と津波に見舞われた仲間を自発的に援助している。日本支部は、日本だけではなく、カンボジア、バングラディッシュ、モンゴルもカバーしている。300人の伝道者がモンゴルにいる。ほんの少し前にはモンゴルには一人も伝道者がいなかった。カンボジアの首都プノンペンには、6つの会衆があり、昨年38人がバプテスマを受けた。

・「協会はブルックリンからウォーウィックに完全に移動する」と明言された。4年間の工事で12の新しいビルディングが計画されている。建設委員会はこの計画に反対する人のために地元で会合を計画したが誰も来なかった。それは珍しいことだそうだ。ウォールキルでは拡張工事が2009年以来行われている。パタソンでは各種学校、音響映像部門など多くの機能を持ち続けている。ウォーウィックから約10キロほど離れたところに土地を購入した。現在世界で920人に一人がエホバの証人である。

・2012年の地域大会から「ギレアデ宣教者学校に関心のある人の集まり」は開かれなくなる。協会は新たに「クリスチャン夫婦の聖書学校」をスタートさせる。今後の地域大会では、この学校に関心を持つ人の集まりが開かれる。ギレアデの集まりに出席しているのはすでに結婚している人が大多数だからである。今後ギレアデは、特別開拓者や巡回監督などが出席する学校となるだろう。開拓者の夫婦は「クリスチャン夫婦の聖書学校」に申し込むことになる。彼らは特別開拓者として、特に人口の多い地域に派遣されるだろう。

・2011年の時点で新世界約聖書は100の言語で出版されて来た。

----------

世界中で支部事務所の再編が行われています。ブルックリンの本部移転も確実のようです。ブルックリン・ブリッジ・パークの税収のためには2013年12月までの移転が必要でしたが、それに間に合うように動くのでしょうか・・・。ギレアデ学校の取り決めの変更も興味深いですね。詳細は後ほど知らされるそうです。

ブルックリン - 協会の建物を巡る駆け引きの裏側 3

2011-10-06 22:28:15 | 組織
今回は、3回シリーズの最後の記事となります。少し長いですが、お付き合い下さい。

さて、前回から持ち越した疑問です。
ものみの塔協会の本部はいったいどこに移転するのでしょうか??

まず、アメリカにおける最近の協会の土地取得の動きを見てみたいと思います。

ものみの塔協会は1960年代に、ブルックリンから北へ160kmほどいったところにあるWallkill(ウォールキル)で、現在ものみの塔農場として知られている土地を購入しました。これは1,200ヘクタールという広大な土地で、東京ドーム255個分の広さがあります。また1984年には、パタソンに270ヘクタールの土地を取得しました。ものみの塔教育センターとして機能しており、624部屋の宿舎、800台分の駐車場、149部屋のゲストルームがあります。また、ニューヨーク北西部のサウス・ランシングに220ヘクタールの土地、ニュージャージー州のポートマリーに60ヘクタールの土地を所有しています。

2009年2月には、ニューヨーク州ロックランド郡ラマポに、行政機能と住宅の複合施設を作るため、100ヘクタールの土地が$11.5 million(約10億)で購入されました。当初の発表では、850人の兄弟たちが働き、ブルックリンにある出版施設と宿舎が建設されるとのことでした。土地は現在、住宅地区に指定されているが、再区画の申請はすでに出ているとの事。建設は数年先とのことです。

それから1年後、協会は、エホバの証人の世界本部をニューヨークから、Warwick(ウォーウィック)にある100ヘクタールのものみの塔協会の土地に移動させると発表しました。ウォーウィックは、ラマポから1.5kmの距離にあります。ものみの塔による、ウォーウィック市計画当局へのプレゼンテーションでは、850人が住む建物が作られるとのことでした。2011年の8月には、ウォーウィックの土地から約10km離れたところに50エイカーの土地が購入されました。

これらの情報と多くの新聞の報道によると、本部のWarwickへの移転は確実と思えます。
Warwick都市計画委員会の議事録では、建物の構造から建設に伴う交通量の増加、上下水道の整備など細かく話し合われています。5月時点でその段階ですから、実際の建設に取り掛かるのはもう少し先なのではと思います。

また、現在ウォールキルでは拡張工事が行われており、全米でベテルの建設奉仕者が招待されています。各会衆で協会からの手紙が読まれ、工事の様子が写真で伝えられました。5月の段階で1,200人の自発奉仕者が働いています。

移転に合わせて、様々な準備が行われているのでしょう。もともとラッセル兄弟がブルックリンに居を構えたのも、当時、ブルックリンが聖書の音信を世界に伝えるのに最適だったからです。今は時代が大きく変わりました。コンピューターや印刷・発送技術の発達により、ブルックリンに世界本部がある必要はありません。であれば、より効率的にこの業を果たせる場所があるのであれば、そこに移転することも当然なのかもしれません。

--------------

では、本部施設が去っていくのを見守る側であるブルックリン・ハイツでは、証人たちの移転はどのように受け止められているのでしょうか。

ニューヨーク・オブザーバー・コムの中で、ブルックリンで育った筆者が書いた記事がありますので、ご覧下さい

■ New York observer 2011/09/16

もし、22,000の人口の地域で、3,000人が誰にも気付かれずにいなくなったらどうなるだろうか。

古くからのブルックリン・ハイツの住人に、どのくらい頻繁にエホバの証人を見かけますかと聞いて見よう。彼らは間違いなく「毎日」と答えるだろう。

しかし、その同じ人に、エホバの証人がどれほど頻繁に「ものみの塔」誌を持って、勧誘をしに玄関に来るかを聞くと、穏やかに笑いながら、「いや、もちろん来たことはないよ」と言うだろう。

ブルックリン・ハイツでは、エホバの証人を見かけることが、百年以上に渡ってあまりにも当たり前であるため、どのくらいの頻度で彼らが勧誘に来るのかを、地区の住人たちは誰も思い出すことが出来ないのである。これは少し奇妙なことであるが、ブルックリン・ハイツは数多くの「ものみの塔」誌の読者にとってのホームであるだけでなく、実際にこの宗教の世界本部なのである。

ブルックリン・ハイツについて考える時、ある人は、遊歩道や赤褐色の建物、裕福な家族やトルマン・カポテ、ノーマン・マイラー、トム・ウォルフといった有名な住人たちの顔を思い出すことだろう。

またある人は、近隣の2つのTonyの私立学校を考えたり、親しまれたTVシリーズ、コズビーショウに出てきた架空の家を思い出すかも知れない。

ここは、アメリカで最初の郊外の住宅地となった場所だ。

では、ブルックリン・ハイツはどのように、世界で最も急速に拡大し、最も良く知られるようになった(少なくとも、うるさがられるという意味で)宗教の総本山となったのだろうか。

特に、白人の良家の金持ちたちが住むこの地域は、ヒップスターといわれるスタイルを取り入れた近隣の地区を避けて来た。そこは、ブルックリンの一角にあるウィリアムバーグやボーローパークといった、宗教人たちが社会の基準から外れたところで生活している場所である(ユダヤ人をはじめ各国から多くの移民たちが住んでいる地域である)。3,000人のエホバの証人が(地元口調でいうとJWs)ハイツにある宗教施設で住み、働いているからといっても、それは黒い帽子をかぶった信者たちとして目立っている訳ではないのである。

ブルックリン・ハイツ・アソシエーションのジェーン・マクグローティは、「見ただけでは誰がエホバの証人なのか分からないでしょう」と認める。さらに「もっとも、ここで育った人なら、ズボンのベルトの位置が高めなので見分けるかもしれませんけどね」と笑いながら言った。ちょっとオタク風の熱心なものみの塔信者のことである。

しかし、彼らがここ数年、あるいは数十年のうちにいなくなるとしたら、どんな影響があるだろうか。あるいは、影響が全くないとしたらどうだろうか。

隠遁生活で悪名高いエホバの証人たちがいつ引っ越すのか言わないとしても、約3,000人の信者たちが、現在住んでいる協会の施設から、やがて引越しをするのは事実であり、その費用は $11.5million (約11億円)と見積もられている。引越し先は、農場や工場、印刷施設がすでに稼動しているウォールキルの隣にあるウォーウィック(Warwick)という町である。

ちょうど先週、ブルックリン・ハイツにある5つの物件が売りに出された。地区の住民たちは、近々売りに出るだろうと知っていたアパートと家々である。協会は3年前からその建物の売却を始めた。ブルックリン・ハイツの歴史を100年巻き戻すと、ピッツバーグの伝道師、チャールズ・テイズ・ラッセルがブルックリンの海岸にやって来た時までさかのぼる。(彼がこの場所に決めたのは、イースト川に近く、彼の生涯の仕事である「ものみの塔」を世界中に発送するのに最高の場所だと考えたからである)100年が経ち、証人たちは $600 million から $1 billion (600億から1000億)もの不動産を所有するまでになった。彼らが去った後には、ブルックリンの中心部の地域に、これまで以上の形が残ることになるだろう。

-- 最近売りに出た、ブルックリンの「エホバの王国」の建物をまわって見る--

私は個人的に、非常に特徴的なある決まり事をはっきりと証明してみることが出来る。
このハイツで育ち、両親は今でも遊歩道の近くに住み、ハイツのクラブは私の家族が会員になっている。
私は個人的にエホバの証人のメンバーと知り合った事はないし、道を聞いたことすらない。潜在的に気付いたのだが、コロンビアハイツを週中の夕方4時前後に歩いていると、整然と歩いているエホバの証人たちの列に出会う。それは、”エホバの芝生”と地元の子供たちが呼んでいるスクィッブ・ヒルにある印刷工場のシフトが夕方変わるので、その時間に仕事に向かう人々の列なのだ。

ブルックリン・ハイツでは、家から家の訪問で改宗活動をしているエホバの証人を見かけることはまずめったにない。地元とのいわば暗黙の了解で、お互いに距離を取っているという独特の現象がある。この距離は、エホバの証人と地元はほぼ全くビジネス上の取引をしないという犠牲を伴っており、お互いに経済的な絆を育てるということは、意図的になされていないのである。

この事実は、エホバの証人たちにより固く守られている考え方である。彼らは税が免除されていることに加え、自身が政治的な権限の外側にいると考えていて、それゆえに、地元のビジネスや人々と相互関係を持つことを選ばないのである。その代わり、ハイツの典型的な気難しい住人たちは、彼らが自分たちの領域に入ってこない限り、喜んで宗教的な隣人に目をつぶるのである。協会は、食事や服と言ったものすべては遠く離れたウォールキルにある広大な施設から取り寄せる。こうした関係は見る者に対して、ブルックリンハイツにある「ものみの塔」の存在は、物理的な存在と言うより、ほとんど霊的なものであるという印象を与えている。

1939年の創業以来、いわば地区の名物となっているデリカテッセンの店を営むクリスは、「彼らは、ここでほとんど金を使わないよ」と言う。「彼らがいなくなったら、どんな悪い影響があるかは分からないな。お金を使ってくれる新しい人たちが来るなら、俺たちにとってはいいことだな」

「長い目で見ると、近隣地域には良い影響があるでしょう」と言うのは、地元で20年以上の経験を持つ不動産業者だ。「彼らは税を払いませんし、人々は地域でお金を使いません。この点では、間違いなく良い変化となるでしょうね」

マクグローティは、そうした感想に同意しながらこう述べた。「彼らのすべての建物は別の何かになるでしょう。私たちはそれらが何になるのか分かりませんが、多くはマンションやアパートとなるでしょう。人の数が多くなると感じることは間違いないでしょうね」

とはいえものみの塔は、服やハムの薄切りにではないかもしれないが、地元にある、驚くほど様々な、そして価値のある不動産にお金を使って来た。プロムナードに隣接したタウンハウス(2-3階建ての住宅)、有名な古くからのホテル、「ものみの塔」誌を発行し発送してきた、広大な倉庫や工場などである。

ものみの塔が最初に移転の意思を発表した2003年には、すべての所有する土地と建物はおよそ$600 million(約600億)と見積もられた。同じ年に売りに出されたアトランティック通りの下のほうにある元発送工場は、$120 million (約100億円)だったと言われている。その敷地は現在、第一ブルックリン・パークとなっており、新しい高級マンション開発は、同じ名前の新しい公園計画の柱として、橋からアトランティック通りまでの以前の商業港の付近まで拡張されている。決して皮肉ではなく、倉庫がマンションに変わることは、協会が払ってこなかった税収の点で公園の財源の助けとなる。

協会の残りの建物が売れた時にも、同様の手法が取られるだろう。何年にも渡って地元の人々は、素晴らしい遊歩道の眺めを守るためにマンション開発と戦って来た。エホバの証人がまた救いの手段となるかもしれない。州議員ダン・スクアドロンが市長と一緒になって、彼らの資産からの税収を公園のために使うことに決定した。しかしこれは、地元にとって別の問題も含んでおり、エホバの証人よりもはるかに騒がしい、多くを要求する何千人もの人たちがハイツの住人になる可能性があるのだ。

しかし、より心配しているのはタウンハウスのオーナーたちだ。協会が建物を段階的に売却すれば、地元が心配している不動産価格への影響を和らげることが出来るし、市場を活発にし続けることが出来るだろう。しかし、ものみの塔への経済的な利益のためにするべきではない。

ものみの塔の意思決定の背後にある理由は、歴史的に非常に不可解なものであるが(協会はメディアに出ることを嫌がることで知られており、この記事にもコメントはない)、保有資産を段階的に売却することは、賞賛をもって迎えられて来た(彼らは特価処分をする必要はないとマクグローティ言った)。その一方で、2008年の経済崩壊の時の彼らの売却のタイミングは、人々を驚かせた。

ものみの塔はまた、ハイツの人たちを驚かせ続けるほど十分な敬意を獲得してきた。多くの住居用の建物や小さな不動産は、80年代後半から90年代前半の経済不況の時に購入されたものだ。その時期、ブルックリンハイツの不動産はどん底にあり、多くの古くからの美しい家は、荒れたままにされた。ものみの塔の素晴らしい組織力と工業力はその宗教の看板であり、それは彼らが過去20年に渡って購入し修復してきた建物にはっきりと現れている。このことは、不釣合いながらも、彼らを地元の保存運動のリーダーにしてきたのである。

モンターギュ通りにあるボザート・ホテルは、20世紀のブルックリンを知る試金石のようなものである。野球のシーズンには、ブルックリン・ドジャースの最も有名なホームとなった。チームの事務所からわずか2区画しか離れておらず、野球場まで短いトローリーが走っていた。ものみの塔はこのホテルを1998年に、5年のリースの後に購入した。購入した年には、ホテルは悲惨な状態だった。有名な「マリーン・ルーフ」は崩れており、入念に飾られたロビーはすっかり消え失せていた。ものみの塔は屋上を取り替えて、ロビーは素晴らしい外観をもう一度手に入れた。こうした仕事は、3年前に協会がホテルと売却した時に、買い手を惹きつけるのに貢献したのである。

「ブルックリン・ハイツにとって、ものみの塔は非常にまともな隣人でした」とマクグローティは言った。「地域に参加することはほとんどなかったけど、状態の悪い建物をきれいにする点では本当に素晴らしい働きをしました。ボサート・ホテルはその事実を明らかに物語っています」

不幸なことに、証人たちが売却するのには時が悪かった。$98 million (約90億円)の価格は2008年10月には一気に下がった。買い手と見られていたRALが、第一ブルックリン・ブリッジ・パークでの販売数が減ってきたことを恐れたためと言われている。住宅計画が今でもはっきりしない状態であり、人々は先週売却リストに入った、シングル・ファミリー向けの小さなタウンハウスと茶褐色の住宅の行方を、慎重に見守っている。

「5軒全部の販売ですが、各々の建物はそれそれのニーズに合わせてあります。ですから、とても状態はきれいなのですが、普通の家族の家として使うには少し改修が必要です。そのため、それらの建物は私たちの持つ建物と競合しません」と不動産ブローカは述べた。

慣習に従わない、新しい住人たちが支払う税金と購入に費やすお金は、地域のほとんどすべての住民よりも便利で良い生活をする交換条件だ。路上駐車の場所の取り合いが激しくなることが例外となるかもしれないが、実際、潜在的な問題はある。新しいマンションが出来た場合には、人が多くなり過ぎるという問題である。

ものみの塔と信者たちの実際の出発に関しては、相反する感情を持って受け止められている。

「彼らは子供を持った家族と言う、典型的な共同体ではありません。大人たちが主役となっている状況です」とマクグローティは、本部で奉仕活動を行っている人々のことを述べた。「ですから、何を失うのか、また何を代わりに手に入れるのかを知るのは難しいことです」

人々は、北部東側の住民のおよそ8人に1人が同時にいなくなったらどうなるかを考えるべきである。住民たちの間にある種のパニックが起きたとしても不思議ではないだろう。

ブルックリン・ハイツの住人のうち、22,000人のうち3,000人が出発するのを見る時の反応を最も良く表している言葉は、「無感覚」 だろう。

不動産ブローカーは、「それほど大きな影響はないと思いますよ」と言う。

デリカテッセンの店の主人カルファ氏は、「いくつかの可能性はあるでしょうね」と肩をすくめて言った。

ブルックリン・ハイツ市当局のスティーブ・レビンは、「ものみの塔が去ることは、間違いなく地域に長く続く影響を与えるでしょう。証人たちが引越し、ブルックリン・パーク・ブリッジの開発が続くなら、この地域の雰囲気は劇的に変わるでしょうね」

突然に見えなくなり偏在するように、ものみの塔の消失は疑いなく長く続く痕跡をアメリカで最初の郊外の住宅地に残すだろう。しかし、その痕跡がプラスのものか、マイナスのものか、今それを的確に言い当てることは、まず不可能である。

恐らく、エホバのみがそれを知っていることだろう。

(注)この記事に対して、元ベテルにいたという人たちからのコメントがありました。「私は食べ物を買いに地元のスーパーマーケットに行ったし、レストランでピザを食べたりコーヒーも良く飲んでいました。他のものみの塔で働いていた人たちも良く外食していましたよ。それに、見学でブルックリンに来る大勢の証人たちはハイツの経済に貢献してきました。JWたちは、この地域を素晴らしい場所とするために出来ることはしてきたと思います」と書いていますし、別の人も、「そのことに同意するよ。僕はClarksで週に何回か食事をしたし、多くのJWの友人と地元の店でビールを飲んだりもした。食器はFishes Eddyで買ったし、スーツはモンターギュ通りにあるBanana Republicで買った。日曜日の集会後はJack the horseでブランチを食べたりしたよ。JoyaはいつもJWで賑わっていたね」とコメントしています。実際、多くのベテライトは工場と別の場所に住んでいるので、行き帰りに買い物をしたり外食する機会が多かったでしょうね。

--------------

これまで3回にわたってブルックリンで生じていることを取り上げてきました。ものみの塔協会の歴史の中でブルックリンはいつでも中心の場所でした。以前、ブルックリンの世界本部に行ったことがありますが、建物はどれもきれいで素晴らしいところでした。宿舎から見たマンハッタンの夜景などは、まるで違う世界に来ているかのようでした。

もし、本部の移転が決まり、橋のたもとに見える大きな「Watchtower」の看板が無くなるとしたら寂しいですが、いずれにしても最善の決定がなされるに違いありません。今後は、ウォールキルとパタソン、そしてウォーウィックが中心的な場所として機能するのでしょうか。いずれにしても、今後の進展を楽しみにしましょう==

ブルックリン - 協会の建物を巡る駆け引きの裏側 2

2011-09-28 21:23:33 | 組織
前回の記事では、ブルックリン・ブリッジ・パークの年間維持管理費を巡り、ものみの塔協会が建物を売却した後、新たな入居者からの税収を当てるという案が浮上していることを取り上げました。

協会の資産売却の税収を当てにした案に言及したブリッジパークの予算書を見る機会がありましたが、マンションを建てるのか、それとも協会が建物の売却に合意したのかといった新しい動きは特にないようです。水面下ではいろいろと動いていると思いますが・・・。

その後、8月19日付けのブルックリン・ペーパーには、一連の記事について読者から編集部へのコメントが載せられていました。そのうちの二つを紹介します。

・編集部へ

ブルックリン・ブリッジ・パークの維持管理費を支出するプランについてのあなた方の分析は、重要な事実を浮き上がらせていました。そのプランによると、ものみの塔協会の「ふさわしい」建物は、2013年12月31日までに販売されなければなりません。

もし売却されたとしても、現在住宅地区ではないところにある10の建物のうちいくつが、最終期限までに新しい持ち主に手渡されるでしょうか。

また私は、あなたがものみの塔協会と、協会が最も高く入札する人に譲渡する権利に対して非難していたことに、強く反対します。非課税の宗教団体として、協会は他の大きな宗教や小さな宗教と同じ権利を有しています。トリニティ・チャーチがマンハッタンに所有している広大な不動産を販売したとしたら、あなたは今回と同様の立場を取るのですか?
(アスーラ)

・編集部へ

ブルックリン・ブリッジ・パークに関する貴社の記事を読みました。そして、ものみの塔聖書冊子協会について、幾つかの情報をどうしてもお知らせしたいと思いました。

最初に、協会が所有しているお金は、エホバの証人からの直接の寄付です。私たちはそれを出版と流通のための実際のコストに支払っています。また、毎年何億時間も費やされる聖書教育や読み書きの訓練、災害の救助活動(証人たちの家屋に限りません)のために支払っています。

協会は、ブルックリンで多大な貢献をしてきました。世界中から協会へ常に観光客の流れがあります。各地で開かれる地域大会は大きなお金を落とします。それらの建物や施設を常に改修・管理するために協会が支払ってきた費用や時間やエネルギーは言うまでもありません。最後に、協会が税を払っていないのは、他の多くの非営利団体と同様のことであります。

私の個人的な意見として、もし協会が建物を売却せずにそのまま所有するとしても、それはそれでいいのではないかと思います。
(キャロライン)

おそらく、この2人の方はエホバの証人ではないかと思います。その他の方のコメント見てみますと、マンション建設に絡んだ雇用の話や、酒類販売許可申請、自転車の乗り入れの危険など様々な話題が出ています。人々のコメント見ていますと、多くの人は、あまりエホバの証人に敵対的な意見を述べてはいないように感じます。「40年以上前からエホバの証人は、他の人たちが投資価値がないとみなしていた建物を購入して、自分たちで資産価値を高めてきた。今になって、不動産を買い叩いてきたと非難したり、追い出したりするのはおかしい」といったコメントや、「そもそも税不足の問題に陥った市政に問題があるし、宗教への非課税が問題なら、彼らを非難するより、政治的な問題としてきちんと決着をつけるべきだ」といったコメントも見受けられます。長年、ブルックリンの住人としてそこにいる訳ですから、その存在は良くも悪くも当たり前のものと受け止められているのかもしれません。

-----------

さて、9月16日付のニューヨーク・タイムス・CityToomBlogには「エホバの証人が一等地の物件を売りに出す」という記事が出ました。協会はブルックリンにある建物を着々と処分していますが、その詳細はどのようなものでしょうか。これまでに売却した、あるいは売却中の代表的な物件を以下に挙げます。

■2004年 sold 発送用ビルディング(ファーマン通り360番): $205 million (約200億円)


過去の協会の資料によると、この12階建ての建物は1983年に購入されました。「ブルックリンでは,聖書や聖書文書の発送が,ファーマン通り360番地にある,広さ約9万3,000平メートルの建物で行なわれてい」たとのことです。- 塔86/1/1 P17 (目87/8/22 P16-18に詳しい記事がある)

■2006年 sold 宿舎棟 (リビングストーン通り67番) : $18.6 million (約18億円)


「協会は1989年春に,建設したばかりでまだ内装の済んでいないリビングストン通り67番の建物を購入しました。ものみの塔の中央事務所から歩いて15分ほどのところにあります。29階建ての細長い建物(ニックネームSliver,“細長い小片”の意)で,約150人のベテル奉仕者を収容でき,1990年の半ば過ぎから入居が始まりました」- 鑑1991年 P10


■2006年 sold 詳細ないがおそらく宿舎棟 (ヒックス通り89番地) $14 million (約14億円)


■2007年 sold スタンディッシュ・ホテル 宿舎棟(コロンビア・ハイツ169番)$50 million(約50億円)


「スタンディッシュ・ホテル ベテルの建物群に加えられた二番目に主要な施設は12階建てのスタンディッシュ・ホテルで,通りを少し下ったコロンビア・ハイツ169番にあります。ブルックリン・デーリー・イーグル紙は,ニューイングランド初期の著名人,マイルズ・スタンディッシュにちなんで名づけられたこのホテルの建設について,1903年に次のように述べました。「その環境,そしてそこから展望できるイースト川と周辺の興味深い地点の無類の景観からして,選ばれた場所はホテルにとって理想的な所であると会社は確信している。また,この国で最も仕上げと設備の見事な建物の一つを建設する意向である」。このホテルはその後まもなく開業しましたが,1970年代には甚だしく老朽化が進みました。1980年代の初めにコーハイ・タワーズ協会がこれを購入し,ベテル家族を収容する付加的な住まいを備えるという目的で,間もなく徹底した改装工事が行なわれるようになりました。改装工事は1986年に完了し,1988年にはものみの塔協会がスタンディッシュを購入しました。この建物は140人のベテル家族と,引き続きそこに住んでいる,初めからの居住者およそ25人を収容しています」- 目89/4/22 P24-25

■2008年 sold ボサート・ホテル 宿舎棟 (モンターギュ通り98番):当初メディアによると$100 million(100億)以上の価値と言われた。実際の売却価格はそれを下回ったと言われている。


「ボサート・ホテル ベテルの建物群に加えられた三番目に主要な施設は,モンタギュー通りにある12階建てのボサート・ホテルで,スタンディッシュから歩いて5分もかかりません。1909年に200の部屋をもって開業し,ブルックリン最良のホテルという評判を取りました。全体の建築様式は15世紀のイタリア・ルネッサンス風でした。
1914年には175部屋が加えられ,2年後には個人用ヨットのプロムナード・デッキに似せた屋上レストランが加えられました。「景色を楽しむのに,ここに匹敵する場所は市内のどこにもなかった。公職にある要人,芸能界とスポーツ界の名士たちがこのマリン・ルーフにやって来た」と,1949年のブルックリン・デーリー・イーグル紙は伝えています。上方の階の泊まり客はもとより,食事の客たちも,ニューヨーク港,ガバナーズ島,自由の女神像,ニュージャージー州の岸,そしてマンハッタンの南端を一望できる景観を楽しみました。やがて,かつては豪華だったこのホテルも,時の経過と共に,また手入れを怠ったためにみすぼらしくなり,1983年にコーハイ・タワーズ協会がこれを購入し,全面的な修復計画が開始されました。それから1988年にものみの塔協会がボサートを購入したのです。現在は,約270人の家族を収容していますが,以前からの居住者も40人ほどそこに住んでいます。

この修復作業には,すべてのドアと窓の交換,水道,暖房,電気設備全体の交換が含まれていました。業務用エレベーターも1台新たに取り付けられ,今は元からあった3台のエレベーターのうち2台が修理中です。幾つかの舞踏場は作り替えられて三つの広々とした食堂になりましたし,地下の厨房は,内側をすべて壊して直し,そこに最新の設備が設置されました。ホテルの部屋はすべて改装され,ロビーは,その特性を保ちつつ,元の状態に戻されました。その工事の中には,大理石のような柱の破損したものを,今では一般に見られなくなった技術を用いて修復することが含まれていました。

外では,建物全体が洗われ,れんが工事の修理が行なわれ,装飾的な石細工のかなりの部分が再建されました。清掃と修理と修復の仕事に従事したのは,米国全土からやって来た何百人もの自発奉仕者たちでした。それらの人々は一度に1週間以上,自分たちの時間と才能を提供しました。ここボサートの屋上で撮った写真に写っていますが,証人である39人の若い女性の一団が,何か月も足場の上で働き,ホテルの外側のれんが建築の修理を行ないました」- 目89/4/22 P25

注 --- 同じ1989年4月22日号の「目ざめよ!」によると、この時期ブルックリン・ハイツにはべテル家族が住む20の建物がありました。そして、そのうち幾つかの建物は地下道で連結されており、自由に行き来が出来たようです。このように書いてあります。「ブルックリン・ベテル家族は現在,ルックリン・ハイツにある合計約20の住まいに住んでいます。どの住まいも,少し歩けば着く距離にあります。事実,タワーズ,コロンビア・ハイツ124番,コロンビア・ハイツ107番,そしてコロンビア・ハイツ119番には合計約2,000人の家族が収容されていますが,それらの建物は地下道で連結されています。コロンビア・ハイツ97番の新しい建物も,近い将来に地下道で連結される計画があります。しかしボサートとスタンディッシュはこれらの建物から離れ過ぎているので,通りの下に地下道を造って連結することはできません」

日本支部などは一つの敷地内にホーム棟も工場もすべて入っており、基本的にそこの中で一つの世界が出来ていますが、ブルックリン・べテルはいわば一般の住宅地の中にべテルの成員のアパート・宿舎があり、毎日職場(べテルの自分の部門のある建物)まで通勤しているような状態だった訳ですが、すこし不思議な感じがしますね。

■2007年以降に売りに出された5つの物件

これらの物件については2011年9月16日のニューヨーク・タイムス・CityToomBlogによると、引き続き販売中となっています。

■宿舎棟 on sale 13部屋 コロンビア・ハイツ通り183番:$7.65 million(約6億円)


■宿舎棟 on sale コロンビア・ハイツ通り161番:$3.45 million(約2.8億円)


■宿舎棟 on sale コロンビア・ハイツ通り165番:$4.5 million(約3.5億円)


■宿舎棟 on sale ウィロウ通り105番 $3.60 million(約3億円


■宿舎棟 on sale 20部屋 オレンジ通り34番:$7.35 million(約6億円)



ものみの塔協会の建物の特徴として管理状態がとても良い点があります。2008年にボサート・ホテルを売却した時に、ブルックリン・ハイツ協会のジュディ・スタントン会長は「証人たちは建物を維持管理する点で素晴らしい仕事を行ってきた」と述べました。またブルックリン・メッセイ・カナカル・リアリティのテモテ・キングは「ブルックリンの中で、最も特徴的、また最も良く管理されている資産の一つである。ものみの塔協会という組織は、申し分のない管理の水準を持っていることで知られており、ボザートホテルにその手入れのレベルが反映されている。新しいオーナーにとっては、これだけ細かいところに気を配ったレベルを保って建物を管理することは、大きな挑戦だろう」と語りました。どの記事で見たか忘れましたが、協会の建物の状態の良さは、不動産業界では良く知られており、ものみの塔協会が所有していた物件であることが、販売する際のいわば一つの売り文句として使われていました。

-----
さて、いくつかの情報によると、これらの資産の売却は、ものみの塔協会が北部ニューヨークへと本部機能を移転させていることに伴なう動きであると言われています。それはいったいどこでしょうか。ウォールキル?それともパタソン?それとも・・・??

次の記事では、この辺を詳しく取り上げたいと思います。

ブルックリン - 協会の建物を巡る駆け引きの裏側 1

2011-09-12 22:16:32 | 組織
ものみの塔協会が最初にニューヨーク・ブルックリンの建物を購入したのは1908年のことでした。もともとは、ニューヨークから西に500Kmほどの距離にあるアルゲーニー(ピッツバーグ)に「バイブル・ハウス」と言われた協会の本部がありました。「ふれ告げる人々」の本によると、ニューヨークに移ったいきさつは次のように書かれています。

新聞伝道に弾みがつき,聖書研究者たちは,訓話を作って送り出すための別の場所を探しました。なぜでしょうか。アレゲーニーのバイブル・ハウスが手狭になっていたからです。また,ラッセルの訓話をもっと有名な大都市から送れば,さらに多くの新聞に訓話を載せることができるという考えもありました。しかし,どの都市がよいでしょうか。「ものみの塔」誌(英文),1908年12月15日号はこう説明しています。「我々はすべてを考慮した上で,神の導きを求めた後,中流階級の人々が多く住み,『教会の都市』と呼ばれるニューヨーク市ブルックリンこそ,そのような理由で,我々が残された数年間に行なう収穫の業の本拠地として最適の場所であると結論した」。 (JV-P59)

1908年に、当時、協会の法律顧問だったジョセフ・F・ラザフォードを含む数人の代表者がニューヨーク市に派遣され、二つの物件を買い取りました。

こうして、ものみの塔協会はブルックリンにその活動の拠点を移し、以後100年に渡って世界本部としてその機能を拡大してきました。

1960年代の終わりから、ニューヨーク州ウォールキルの農場で印刷施設や宿舎棟が建設されました。長年雑誌の印刷はウォールキル、書籍の印刷はブルックリンで行っていましたが、2004年には、米国における印刷,製本,発送の機能がすべて,ウォールキルに移りました。
また、1980年には、更なる必要を見越して、ニューヨーク市に比較的近く,主要道路への交通の便も良い,250ヘクタールほどの土地を探す仕事が始まりました。1986年から、その土地パタソンで建物の建設が始まり、現在そこはものみの塔教育センターとして知られています。法律部門、奉仕部門、翻訳部門、アート部門などはすでにパタソンに移動しています。

ものみの塔協会(ペンシルバニア州ものみの塔聖書冊子協会)は、2006年にはブルックリンに約40の建物を所有していましたが、売却を進めて来ました。ザ・ブルックリン・ペーパー紙によると、現在でも30ほどの物件を所用しているとのことです。

さて、前置きがかなり長くなりましたが、今回の記事は、引き続きブルックリンに残る協会の建物を巡っての話です。

ものみの塔聖書冊子協会の本部がブルックリンから移転することは、以前から度々話題となっており、移転先の当局と交渉がもたれているとの情報もありますが、その時期は定かではありません。

そんな中、ブルックリン地区にあるブルックリン・ブリッジ・パークの維持費に年間1600万ドルかかっていることが問題になっており、公園の一角に高層高級マンション数棟を建てて、そこから入る税金でこの維持費をまかなおうという計画が持ち上がります。しかし、このマンション建設に反対する人も多くいます。そこで、ニューヨークのスクアドロン議員が目をつけたのが、ものみの塔協会の所有する土地・建物です。現在協会の施設に対しては税金がかかっていません。宗教団体への税が免除されているからです。この建物群を協会が売却し、新しい入居者からの税が入り始めるならば公園の維持費をまかなうことが出来て、マンションを建てずに済む事が出来ると言う訳です。そして、この計画はすでに市の合意を得ています。

このニュースを何度も取り上げている地元紙、ザ・ブルックリン・ペーパーの記事を追ってみましょう。

■2011年8月3日 ブルックリン・ブリッジ・パークの計画の説明

ブルックリン橋公園のビルディングと維持管理への計画が明らかにされた。少し複雑なので、分かりやすく説明しよう。

- なぜ、スクアドロン上院議員とミルマン女性議員はこの計画を歓迎しているのか

議員たちは、高級マンションを公園に作らずに済む可能性があると述べている(かつては、公園の膨らんだ維持管理費をまかなう唯一の方法と見られていた)。何故なら、現在非課税となっているものみの塔協会の土地・建物から将来的に入ってくる税収を、学校や警察といった通常の予算計画ではなく、公園の維持費として使うことを市が承認したからだ。もし、すべての協会の資産が売却されて税が入ってくるならば、第6埠頭公園に高級マンションを建てる必要がなくなるだろう。

- かなり大きい話だが・・・

その通り。そして、それには期限がある。もし、協会の資産が2014年までに売却されなければ、市は議論の対象となっているマンションの建設に動くだろう。

- まだ住宅区画にもなっていない(現在、協会の建物がある場所は商業区画となっている)建物なのに、2014年が売却期限というのは時間が短いのでは?

確かに。しかし不動産の専門家は、大きな建物は2,3年かかるかもしれないが、小さな建物はもっと早く売れるだろうと考えている。

- 政治家たちは、いわばたなぼた的な、彼らがコントロール出来ない巨大な収入を当てにして、問題を先送りしているように感じるが?

そうかもしれないが、スクアドロン議員が当選したのは、一部には公園内のマンション建設に反対するという彼の約束のためである。それで、少しでも計画を削ったり、あるいは撤回させられれば彼の勝利となる。たとえ、彼の政敵側から、予算をニューヨークの下層や中流層から上流層の住む立派な公園のために流していると非難されてもである。


■2011年8月11日 「ものみの塔」計画の勝者と敗者

ものみの塔の(早期に売却されるであろう)資産からの税収を、ブルックリン橋公園の年間維持管理予算に使うという市の合意は、史上最大の不動産詐欺にも、あるいは健全な市の政策ともなり得る。しかし、どちらにしても、多くの勝者と敗者を産み出すだろう。

- 勝者

・ものみの塔聖書冊子協会:エホバの証人としても知られるこの宗派は、現在所有している30以上の資産を、市が(現在商業区画になっているものを)住宅区画に変更するなら大儲け出来る。

・ブルックリン・ハイツ:金持ちの上流階級である高級住宅街の住人たちは、この素晴らしい公園を新しいマンションを受け入れることなく手に入れることが出来る。

・ダニエル・スクアドロン:ブルックリン・ハイツのこの上院議員は選挙時の公約を果たし、公園内のマンション計画を撤回させられる。そして、この計画が失敗しても、非難されることはないだろう。



- 敗者

・建設業者:建設業界の有力者たちは、新しい高級マンションを第6埠頭公園に建設したがっている。しかし、市の計画が順調に行けばマンションは必要なくなる。

・次の市長:新しい行政は、ものみの塔の建物が期待通りの税収を生まない場合、引き続き問題を抱えることになる。

・貧しい人々:数百万ドルもの固定資産税 - 通常は図書館、警察、消防、学校と言った基本的な市のサービスに供される - が、区画変更されたものみの塔の建物から、すでに裕福な住宅地域にある立派な公園へと吸い上げられる。

----

さて、協会の建物の売却を前提としたこの予算計画。いったいどうなるのでしょうか。その後も、関連記事が掲載されていますので、次回のブログの記事に続きます。