「イヤー寒くなりましたねー。」と、しわを顔の中央に寄せて、挨拶がわりの言葉が飛んでくる。声の音の中に「嫌だ」というニュアンスを感じた時には、「そうですね。」とは言わないことにしている。
そんな時には、「寒いのは、お嫌いですか?」と返すのだ。
すると、以外にも返事はさまざま。
「暑いのよりは、いいですけどねえ。服着ればいいから。暑いのは、服脱いでも暑いですやんか。」
ああ、なるほどと思ったりもするし。
「寒いのんだけはかなわん。動きたなくなるでしょ。」
とか
「寒いの我慢したら、肩凝りますやろ、それが嫌ですねん。」
など、寒いのが直接嫌というわけではなく、それに伴う現象を嫌だと感じているのがわかる。
私自身も、どう感じているかといえば、「寒い」と感じても、「嫌」というイメージには直結していないようだ。
寒さを感じれば、野菜が甘くなるのを知っているし、凌げないほどの寒さは、感じていないし、頬に冷たさを感じる時には、何か引き締まった感覚さえ覚えるからだ。
防寒グッズもありがたい。貼るタイプの懐炉は薄くて重宝。これが高校時代にあったら、今の季節に南窓側に集まったりしなかったかも?
「寒いですねえ。」の返事を「そうですねえ。」と返してしまうと、会話は終わってしまうし、寒さに対するマイナスイメージを固定化してしまうように思いませんか?
あなたも一度「お嫌いですか?」と返して見てください。
どんな返事が返ってくるかな?
そんな時には、「寒いのは、お嫌いですか?」と返すのだ。
すると、以外にも返事はさまざま。
「暑いのよりは、いいですけどねえ。服着ればいいから。暑いのは、服脱いでも暑いですやんか。」
ああ、なるほどと思ったりもするし。
「寒いのんだけはかなわん。動きたなくなるでしょ。」
とか
「寒いの我慢したら、肩凝りますやろ、それが嫌ですねん。」
など、寒いのが直接嫌というわけではなく、それに伴う現象を嫌だと感じているのがわかる。
私自身も、どう感じているかといえば、「寒い」と感じても、「嫌」というイメージには直結していないようだ。
寒さを感じれば、野菜が甘くなるのを知っているし、凌げないほどの寒さは、感じていないし、頬に冷たさを感じる時には、何か引き締まった感覚さえ覚えるからだ。
防寒グッズもありがたい。貼るタイプの懐炉は薄くて重宝。これが高校時代にあったら、今の季節に南窓側に集まったりしなかったかも?
「寒いですねえ。」の返事を「そうですねえ。」と返してしまうと、会話は終わってしまうし、寒さに対するマイナスイメージを固定化してしまうように思いませんか?
あなたも一度「お嫌いですか?」と返して見てください。
どんな返事が返ってくるかな?
今日は、朝とても寒かったのですが、日中はとても暖かく、朝から富士山が良く見え、秩父へ出掛けたのですが、青空の下、最後の紅葉も見ることができ、34霊場巡りの満願も終える事が出来ました。
この何週間か風邪を引いて、咳が酷く体調思わしくなかったのですが、帰ってきたら元気になってきました。明日からウォーキング再開です。