やさしい家で やさしい暮らし

めざすは一生暮らせる木のおうち。建て主と建築業者を結び、安心を与えるのが私の仕事なのです。

ぼんやりとした夢

2006-06-07 11:57:08 | プライベート
今日は水曜日で、取引先が休みのせいもあり
なんとなくヒマだなぁと思う私は
KAZのブログを見て
同じように我が母校のHPを見て
噴出してしまったのだ。
そんなわたしの描く夢を書いてみようと思う。

ここ宮城県では、知的障害者施設の解体宣言が数年前にありました。
解体に反対する家族も多く、知事が変わったこともあり状況はいまいち動いていないように思えます。
今から、3、40年前は、家族に障害があることを隠すことがあったんです。
「知的障害者」っていう言葉も最近のもの。
「知恵遅れ」なんて言葉もあるけど、知的障害とは違う。
5体満足なのに、学校にも行かない、自分の名前すら言うことができない
近所の子供達は「バカ!」と呼び、「バカの家族」と石をぶつけられる、
そんな現実から離れたく「施設」という人里離れた
建物だけは立派なところに入園させる。
月に一度の面会にも満足に行くことはなく
家の中から「バカ」という邪魔者がいなくなったことに
胸をなでおろす家族がいたことは、知る人だけが知る真実なのです。

家族と離された子供達は、数人の人達と相部屋で
常に規則と団体生活にしばられ
ストレスでおねしょを繰り返す子、
オナラができなくて苦しむ子、
面会日にいつまで待っても来てくれない親を
階段にすわって黙って待っている子。。。
職員や先生たちは、もちろん一生懸命なんだけれど
どうしても程度の軽い子供達に頼ってしまうところがでてくる。
これは、私がもう20年も前にみたある知的障害者施設の姿です。

こういった施設を解体し「地域に返そう」という試みに反対するのはなぜなのか?
親として、兄弟として、本当は一緒に暮らしていきたいと思っているのだはないか?
地域の理解度は、昔とは全然違います。
受け入れてくれるところは、たくさんあります。
それでも、不安なんですよね。
自分達が死んだら、弱くなったら、誰がどうやって面倒見るの???

そうであるならば、一生安心して暮らすことができるところがあれば・・・
障害のある子供と、一生共に暮らすことができて、
自分が死んでからも、子供がどうやって生活していくのかが見えたら、
それが、家族だけの負担になることなくできるところがあったなら、
そんなことから生まれた発想が、「知的障害者のグループホームと老人ホームの合体」です。
職員と障害者が、協力して介護やホームを運営する。
障害の程度の違いにより、仕事(といっても掃除や食事の当番だろうけど)を分担する。
親と、同じ部屋で暮らし、緊急時は職員に知らせることを徹底する。
親、亡き後も、職員として、一生暮らすことができる保証をつける。

ぼんやりと、ぼんやりと描く夢だけど。。。

最新の画像もっと見る