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ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

中国が崩壊するシナリオ

2013-08-26 09:16:00 | 日記
黄文雄著「世界に嫌われる国中国崩壊のシナリオ」を読むと、いかに日本人は中国に甘いか、特に日本企業が中国に進出しても企業秘密が盗まれたり、自分の利益になれば何でもする他者を思いやる気持ちは全くない従業員と分かり、ベトナムやタイに進出する企業でもわかる。

黄氏は他者を思やる心は中国にだけは通じない。チャンスとなればつけ込み、交渉が決すれば、非難と恫喝して自分の主張は絶対譲らない。また、嫌われる理由として、アフリカを荒らしまわり、中南米は中国人を凶悪な犯罪者とみなし、ロシア人はすべて中国人を嫌い、隣のインドも中印戦争で中国に裏切られて信用はしていない。

漁船衝突事件や尖閣諸島での中国の領海侵犯から、満州、モンゴル、チベットと国を広げて、13億あるいは15億ともいう人口は半砂漠化して、資源不足、内陸から海へと生活の糧を広げ、南シナ海でのフィリピンやベトナムでのトラブルと同じ行動である。
また中国漁船は底引き網で海底が荒らされ、魚介類が死滅の原因 になっている。
そして、反日感情へとデモに駆り出し、真実は知らされず、国家の抑圧に搾取されても、ストレス発散で暴れまくる。13億庶民の民度が日本並みになれば中国人民共和国は確実に滅び、知っているのは政府自身で、民主化を唱えれば葬り、これほど虚像と実像のギャップが大きい国は他にない。

エクアドル住民が震災時の日本人の行動に驚き美輪さんも

2013-08-25 08:23:45 | 日記
23日夜9時のテレビ「世界の村で発見!」で、どうして、40年もの生活が続いたかを知るため訪問者の大平直政を見た。
訪ねた現地で、ヒロシという社長の名前から製材所を訪ね、羽富博(69)さんと出会う。博さんは、28才で名古屋の貿易会社勤務南米回り、エクアドルに魅せられ、会社設立仲間割れで文無し、マニラ麻の古川社長から資金援助されて、製材所設立、資金難で会社追われたが、従業員に助けられ今に至っているという。そして、ヒロシさんから、未曾有の震災でも、整然と援助を受ける日本人をテレビで見て日本人の素晴らしさを知ったと。

事の本心をつくコラムの美輪明宏さんは、こんなにまで借金大国にした自民党に飽きれて、決められない民主政権下でも自民は政権復帰は不可能と豪語しながら、自民支持が民主を抜くと、民度の低さを嘆き、みんなの党の渡辺総理を夢見ている。美輪さんが言うように本当に日本人の民度は低いであろうか。
3.11の未曾有の大震災で美輪さんは「世界が日本人資質に驚いています。これほどの大震災なのに、みんな冷静で阿鼻叫喚のパニックを起こさず、被災地のお年寄りが子や孫に私のことは心配しないで、自分たちの生活をしてほしいという映像に感動して、自分のことより他人を思いやる精神が日本人の美徳と褒めたたえた。

中国空軍の父林弥一郎

2013-08-24 09:16:36 | 日記
中華人民共和国空軍創設の父林弥一郎少佐は満州残留の関東軍第4練成飛行隊長であったが、東北民主連合軍の捕虜となった。
中国文化人は亜流の朝鮮の亜流と日本を表していた。しかし、中国空軍は袁世凱時代の創設だが、当時の技術力はなく、孫文一派は蚊帳の外、毛沢東が東北さえ手に入れれば社会主義革命は成功するというように、技術力経済力から満州以外では不可能であった。

そんな時、彭真書記と伍修権参謀長は林隊長に空軍創設協力依頼したが、林は技術力、国力が不可欠、パイロット訓練志願者の心身の健全から栄養家族愛、そして、捕虜の身分配慮などの条件をだし、3人の首脳は飲み込んだ。

林は部下の大澄、村田の2つのグループで、訓練する航空学校を創設、飛行管制、気象、通信、整備などの技術者とパイロット162名と合わせて434名の幹部を育成した。林は中国空軍父の称号があたえられ、林の他300名以上の日本人が近代中国軍を支えてきた。中国空軍OBの姚峻氏は林飛行隊の親身の教育と薫陶にいまでも感謝していると。
1989年の天安門事件まではよちよち歩きの中国空軍は90年代に入って、新型機の開発など空軍が増強されて今日の中国がある。

イチローやりました日米通算4000本安打

2013-08-23 10:43:24 | 日記
NYのイチロー選手が、21日ブルージェイズ戦で初回、ライト前へゴロの安打で日米通算22年で4000本の安打記録の偉業を成し遂げた。

NYスタジアムで総立ちになり、1塁ベース上で、頭を下げ、軽くスタンドを見渡して頭を何度も下げていた。そこへ、ゲームを中断して、NYベンチから選手が駆け寄り、イチローを祝福した。

史上最多安打の4256本のピート・ローズ氏はストレスがあり異国での活躍は尊敬するが、広い米国での試合の安打数でなければ、私は認めないという。確かに、オリックス入団1年目、2年目の安打数は、24,21と振るわなかった。しかし、3年目から210本と2000年まで1278本の記録、マリナーズに移籍してから、毎年200本を10年続け、2004年には前人未到の262本の記録を打ち立てた。

本人もインタビューに答えて、4000本は通過点と、その陰に8000回以上の悔しさがあったと。また、10年前は誰も考えなられないような、体力のトレーニングをしていたという。長嶋氏のコメントにもあるように、グラウンドにいるからフアンサービスができ、怪我をしない野球人生だから、打ち立てた記録でもある。日本で最高3085本の張本氏も、どんな球でも最短距離でバットのヘッドが出る選手は見たことがないと、そして、今世紀にイチローほどの選手は出ないと最大の賛辞を送り不惑の偉業を称えた。

前橋育英4-3延岡学園を下し初優勝

2013-08-23 09:59:37 | 日記
昨日12時からの決勝戦延岡対育英は接戦の末、前橋育英が4-3で延岡学園を下し初優勝した。2:20の試合時間であった。

初回の3塁側ベンチ先攻の育英は1アウト2番四球、3番センター安打、4番ライト安打で満塁しかし、5番の打球は当たり損ねの捕手ゴロでダブルとなり好機を逃し嫌なムードでも両エースが踏ん張って、3回まで0-0できた。

しかし、4回裏延岡の攻撃、ゴロで1アウトの後、3,4番の連打、5番を打ち取っても、6番四球で育英高橋は満塁にした。7番安打で2得点、四球ヒットで3点目が入り、延岡の一方的なゲームかと思いしや、その後の5回表、育英は、8番HRで1点目、2つのエラーから2番のスクイズで2点目、四球、5番のライト前安打で3点目が入り5分としてふりだしに戻した。

9回裏の延岡の攻撃は四球ヒットでノウアウト1,2塁逆転勝利の可能性がでたが、高橋が踏ん張って、7番代打、8番をフライに打ち取り、最後の9番打者を外に逃げる高めのストレート空振り三振でゲームセット、素晴らしい好ゲームであった。

が、閉会式での挨拶のことばは10分超と酷暑の中もう少し簡略してのことばとしたいもの。