昨日10~16:00、みちのく丸一般公開に長蛇の列で終日にぎわった。
見学者は県内外か訪れ、江戸時代後期から明治時代初期にかけて海運の主力を担った千石船の復元船みちのく丸の案内、説明で、昔の人の技術の高さに郡山から来た方は驚いていた。当時の海運は日本海の西回り(大阪~北海道)と太平洋の東回り(大阪~江戸、三陸)があった。
このみのく丸復元船は平成17年浸水、全長32m、幅8.5m、高さ28m、深さ3m、重量約150tである。
今日午後東京へ出航するが、一昨日展帆運航したみちのく丸を小型船に同行の記者が撮影した写真が昨日の新聞に掲載した。これを載せます。
見学者は県内外か訪れ、江戸時代後期から明治時代初期にかけて海運の主力を担った千石船の復元船みちのく丸の案内、説明で、昔の人の技術の高さに郡山から来た方は驚いていた。当時の海運は日本海の西回り(大阪~北海道)と太平洋の東回り(大阪~江戸、三陸)があった。
このみのく丸復元船は平成17年浸水、全長32m、幅8.5m、高さ28m、深さ3m、重量約150tである。
今日午後東京へ出航するが、一昨日展帆運航したみちのく丸を小型船に同行の記者が撮影した写真が昨日の新聞に掲載した。これを載せます。