臨済宗南禅寺派圓通寺

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坐禅研修「生死について」

2015-10-03 | 医療

ディスカッション・1 「生死について」於久留米市宮の陣町圓通寺

福岡大学医学部社会学研究会・坐禅と講話研修 2015年9月27日 14:00~16:00 

*  生死についての考え方には宗教が大きくかかわっているといわれるのですが、その点についていかがですか。移植医療についてどのように思われますか。 

和尚・大雑把に説明しますと、キリスト教では、信者が亡くなればその霊魂が天国に行くので体は抜け殻ということになる。儒教では死後の復活を願うので体に傷を付けたらいけないし、その理由で土葬にします。インド伝来の仏教では輪廻転生といって、生前に善い行いの人はすぐにまた人間に生まれかわるが、悪い行いの人は何回も生まれかわって徳を積まなければ人間に生まれかわることはできない。現代医学、特に移植医療はキリスト教文化圏で発展してきました。日本では札幌医大での心臓移植手術以来、多くの医師方やドナーのおかげで今に至っています。昔ながらの儒教社会だったらこれは否定されるでしょう。仏教では慈悲を説きます。「他の人のお役にたちたい」という気持ちは誰でももっています。先ほど托鉢の話をしましたが、移植医療にも同じことがいえるでしょう。これを「無我」といいます。そこで大切なのは「人間の考えはかわっていく」ということです。儒教社会だった日本も良い意味で移植医療に関して考え方がかわったのです。直近では子供の臓器移植に関してその制度や意識も変わったようです。では儒教がダメかというと、そうではありません。日本の医療制度がこのように規律を重んじ、横と縦の関係がきちんとしているのは儒教文化がその底辺にあるからです。宗教の違いはあるにせよ「お互いの共通点は何か」を考えるべきです。その共通点は「人のお役にたちたい」という気持ちです。正に医療はこれです。

*  日本人の若者は信仰心がないといわれますが、その点はいかがですか。 

和尚・若者の一般にいうところの信仰心が薄くなったのは確かでしょう。西洋の方を紹介されると、彼らは名前と職業の次に「I have no religion:私は無神論者です」という人が多い。社会的地位の高い人ほどそのようにいいます。あるいは逆に「あなたはどうして神を信じないのですか」という人がいます。信者とそうでない人ははっきりしているのが西洋人です。実は日本人には無仏論者はいないのです。何故かといえば、自分は宗教心がないといいながらも正月には三社参りをするし、お盆には実家の墓参りにいきます。子供の七五三にお宮参りをするし、親戚の仏式葬儀に参列し手をあわせます。いい加減といえばいい加減ですが、日本人は他の国のような宗教での争いはありません。実は、自分では気が付かないけれど人には意識の深いところがあって、これが人の行動を左右しています。仏教学では、マナ識アラヤ識と呼びます。いわゆる深層心理です。「日本人はそこの意識はかわっていない」と有名な心理学者河合隼雄先生はいっておられます。日本人の「人のお役にたちたい」という意識はかわっていません。これは宗教心といって間違いありません。

坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1

初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。℡0942-34-0350 ●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。 費用はご希望に応じます。宿泊はありません。出張講座もいたします。


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