「いつ」「どこで」のない事実はウソ。ほぼ9割、ウソ。
裁判をしていると、陳述書ってのを作る。証人になる人が、体験した事実を語る。
ま、嘘八百が書いています。
そこで、ウソの見分け方。
端的に言いますと、「いつ」「どこで」が書いてあるかどうか。
いつ(When)と、どこで(Where)があると、信用の第一関門をクリア。
それで即、真実になるとか真実の推定が働く、というわけではありませんが。
逆に、いつ(When)と、どこで(Where)がない「事実」は、アウト。
もうそれだけで、信用の第一関門をクリアできない。門前払い。
9割、「嘘だな」って推定が働く。
彼にバカと言われました
って「事実」よりも、
令和6年6月4日朝8時30分ころ、渋谷センター街のマクドナルドの二階の窓際の席で、彼に「バカ」と言われました
って事実のほうが、100倍、信用できる。
____________
鈴木みらいみたいな、家庭連合の「被害者」が、陳述書を書いて、しきりに「地獄に堕ちる」云々と言われました、って書いている。
全部の陳述書を読んだわけではないが、ほとんど、「いつ」と「どこで」がない。多くは、誰がそう言ったか(Who)の記載すらない。
When もなければ、Whereもなければ、Whoもない。
そんな「主張」を、どうして信頼することができようか。
____________
Twitterで、鈴木みらいさんが、コンプライアンス宣言前か後か分からない(いつだか分からない)事実を書いて、家庭連合を攻撃していた。
「またウソ付いてるな」って思った。
鈴木みらい的な、匿名の甘やかされ「被害者」文化が社会に根付かないようにししないと。
匿名で(Whoも分からない)、いつ(When) 、どこで(Where)か分からない「事実」を、もはや「事実」として扱うことはできない。
たんなる印象批判。
かつて書いた、「印象批判と批判との違い」 こちら をご参考に。
そもそも、140字に縛られるTwitterで、印象批判ではない、ちゃんとした批判をすることは難しい。
だからそもそも私は、Twitter/Xのみで正当な批判をすることはできないと考えている。
だから重要なテーマについては、Twitterで書かずにこのブログで書いている。Twitterでは「いつ」「どこで」まで書けませんから、、
だからTwitterのみを主戦場とする人の言論に、私はほとんど価値を置かない。
「事実」を元に正当な言論をしようと思うなら、Twitterで書かないはずだから。