川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

吉田松陰と三島由紀夫

2024年09月04日 | 歴史
『論語と経営・コンプライアンス』セミナー こちら の準備をしている。

「論語と経営」の渋沢栄一も、陽明学を推している。

陽明学と言えば吉田松陰は外せまい。

 ※ 松陰と陽明学との関係はこちら(レベル高い記事)

松陰が「狂」を重視したところなんか、とっても陽明学的。

しかし。

その吉田松陰は、

 大小を問わず、着手した全てのことに失敗した

外国の研究者から、そうディスられている。


そうだろう。彼の試みで「成功した」といえるものはない。

下田渡海事件、間部要撃策、、、 

それでも「志」を残した。二十一回猛士としての、無念さ、悔しさを残した。

時代が彼を後押しした。高杉などの後輩に恵まれた、というのもあろうか。

維新の三傑が死んで、棚ぼた的に成り上がった伊藤博文が、松下村塾の雷名を広げた、というのもあろう。

たとえば、伊藤の、先輩高杉を悼んだ碑文は名文だ。

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。
衆目駭然として敢えて正視するものなし。
これ我が東行高杉君に非ずや

松蔭は「ダメな革命家」だった。二流か、三流の、革命家。ドン・キホーテ。

でも、その悔しさ、無念さを、後輩に伝える「言語化」が上手かったんだろう。

 僕は忠義をするつもり、
 諸友は功業をなすつもり。

みたいな。こちら(青空文庫)

「情熱がほとばしって、言語化は上手なダメ革命家が、後輩と時代に恵まれた」から、不朽の人となった。

これが松陰の本質では。

____________

こう考えると、吉田松陰って、三島由紀夫そっくり。

■ 情熱がほとばしっている。
 三島のアツさは、暑苦しい。こちら(勃起した男根を褌で晒している)

■ 言語化は上手。
 『金閣寺』なんかは言語化の見本みたいな本?

■ ダメ革命家。
 市ヶ谷のクーデター失敗で自決。

ここまでは、松陰と三島は同じ。

実際、三島が自決した11月25日は、旧暦10月27日。松陰が処刑された10月27日に合わせた、と信じられている。

しかし。

松陰は、後輩と時代に恵まれた。

一方、三島は、後輩と時代に恵まれなかった。誰も後に続かなかった。冷笑と嘲りと軽蔑に遭った。

松陰たらんとした三島は、松陰にはなれなかった。

イチ個人が、時代に負けた、ということでしょうか。
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