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これまた、近頃投稿した内容と被りますので紹介させてください。
これは昔、米本氏のコメント欄に書いた内容ですが、文先生の思想を自分なりかみ砕き、一般の人に分かりやすく説明した内容に、狂信について書いたものです。
参考に紹介します。
ttp://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-156.html
宗教と良心
宗教とは元々良心を啓発し、そして、その働きを補佐するものだと私は理解しています。
宗教の様々な教えや戒律は、結局はこの良心の働きを取り戻させるために出来上がったものであると。
その教えや戒律を守る事により、外面的な方面から、良心の作用に従う事になり、それが身に付いていけば、特に教えや戒律は不必要になる。
つまり、宗教は良心回復の為の歩行器の役割のものである・・
というのが私の宗教に対する見解です。
しかしながら、これを認識せずにこの宗教の教えや戒律そのものを、良心と錯覚してしまい、それを良心と取り替えるとき、そこには狂信が生まれます。
そしてそれが進行すると、宗教の教えや戒律が良心ではなく、宗教という外枠が良心に入れ替わります。
私は前に、信仰が深まれば深まるほど、狂信と篤信の境界が狭くなる・・・と書きましたが、それは良心によって生きようとすれば生きようとするほど、その生きる道が、信じる宗教が指し示す方向に近い方向を目指す事になり、知らず知らずに自分の良心と宗教を入れ替えてしまう事が多くなってしまうからです。
宗教の狂信の恐ろしさはそこにあります。
宗教とは歩行器であり、宗教の教えは良心を啓発するためのものであって、けして良心そのものではない・・・これを宗教家は心すべきだと思います。
これを忘れ、宗教を良心の代替物とするとき、良心はどこかに追いやられしまい、宗教者は最悪のパーカーサーになってしまいます。
これは全ての宗教者が気をつけなければならないことだと思います。
私達の二世の問題でもそうでありましょう。
私達は、心を持って生まれてきています。心があってその次に何かがあるのです。心に配慮しない正義にどれほどの価値がありましょう。
子の心に配慮無く、両親の良心ではなく、良心の代替物の宗教を与えられれば、子はそれに反発するでしょう。
子を幸福にするのは、親の良心に基づいた愛情だけです。宗教はその延長線上にあるものでしかない・・・と感じます。
[2010/03/14 17:38] URL | 幽霊食口