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川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

畏れざるは、畏れに入る

2025年07月01日 | 古典・漢籍
畏れざるは、畏れに入る

『書経』

____________

最近、好きな言葉。

天とか神とか人知を超えた何かへの「畏れ」がないと、人は傲慢になる。下品に見える。


私が敬愛する五十沢二郎訳だと、

畏れを知らないと、恐れに見舞われる

です。

 
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『中庸』の冒頭  ー離れるは道に非ず

2025年07月01日 | 古典・漢籍
『中庸』の冒頭が今さらながら私に刺さっている。

〜〜〜以下引用〜〜〜

天命これを性と謂ひ、性に率(したが)ふこれを道と謂ひ、道を修むるをこれを教と謂ふ。

道なるものは須臾も離るべからざるなり。離るべきは道にあらざるなり。

是の故に君子は其の睹(み)えざる所に戒慎し、其の聞こえざる所に恐懼す。

〜〜〜引用終わり〜〜〜

道は、片時も離れてはならない。
離れることができるのは道ではない。

この「道」ってのはインテグリティと同じですね。
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今、汝は限れり

2025年06月25日 | 古典・漢籍
【執筆原稿から抜粋】 

今、汝は限れり
 
コンフォートゾーンに入って小さくまとまろうとする自分を鼓舞する論語が、「今、女(なんじ)は画(かぎ)れり」です。 
 
冉求(ぜんきゅう)曰く、子の道を説(よろこ)ばざるに非ず。力足らざるなり。 
子曰く、力足らざる者は、中道にして廃す。今、女(なんじ)は画(かぎ)れり。
 
「先生の教えは素晴らしいけど、私は力不足です」と言った弟子に、孔子は「力不足で途中までやって諦めるならいいが、今、お前は自分で自分の限界を作っている」と窘(たしな)めました。 

何事も死ぬ気でやってできないことはない。

私はいつも「今、汝は限れり」と自分を叱咤し、自分で自分の限界を作らないようにしています。

可能性は無限大。英語ではSky is the limitと言います。 
 
 
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近刊『鷲掴み論語』の書評

2025年06月25日 | 古典・漢籍
来月に刊行予定の私の7冊目の単著『鷲掴み論語 -古典の叡智を経営に活かす』。

原稿をいろんな方にレビューしてもらっています。古典好きの士業の方の以下のレビューが、この本をよく表しているので、転記させていただきます。

~~~以下ほぼ引用~~~

1 構成がよく、最後まで一気に読ませる流れがありました。
問題提起、古典の紹介、古典をどう使って問題を解決するのか、この流れがはっきりしており読みやすかった。

2 東西古典、東西宗教、と幅広い視点から書かれており面白かった。

3 引用されている図書、言葉が豊富なのが嬉しいです。

私は、引用している参考図書をほとんどかじっているものの、これら参考図書の横のつながりがつかめていなかったのですが、そこを上手に体系的に整理ができた気がしており、改めてこれらの参考図書を深掘りして勉強してみようと思わせる内容でした。

この本を手に取る読者も同じような傾向にあると予想されるので、良いと思いました。

4 自己啓発系(陳腐な表現ですみません)の古典が私は大好きで、読んだ瞬間は感動するのですが、それを実生活にどう活かすかが自分は出来ておりません。たいがいの人がそうだと予想されます。

その活かし方が具体的に書かれているのが嬉しいです。あまりそういった本はないような気がしており、古典の入門編(そのような意図がないのかもしれませんが)として最適な図書かと思いました。社会人一年生から熟年経営者まで、どの層でも通用する内容かと思います。

5 美しさを価値基準とする、という考え方は斬新でした。これほど美しさの大切さを述べている文章は初見でした。

最近美術に興味を持ち始めたので、美術品などにも人間の生きるヒントが隠されているのではと、改めて「美」について考える契機となりそうです。

6 宮澤賢治の「雨ニモマケズ・・・」の詩が、これほどインパクトをもってスッと頭に入ってきたことがありませんでした。

この本の流れの中で、ここしかない、という登場の仕方でとても印象的で、これほど素晴らしい詩だったんだと改めて実感しました。

7 たまに挿入されるコラムの数がもう少し数多く、かつ、もう少し長めだと嬉しいです。

固めの本文と、くだけたコラムの対比で、中山達樹という書き手の人物像が身近となり、この本の説得力が増す気がしております。

たとえば、中山さんの普段実践していること、実践した結果などをもっとたくさん知りたいと思いました。

コンビニ店員、清掃員への声がけなど、このような具体例がもっとほしいと思いました。

8 美意識があっても勇気が無い、ほとんどの人間はここだと思いました。多くの日本人は美意識はあると思います。だけど勇気が出せない人が私も含めて多いんだと思われます。その中で、ORではなくANDで思考するという考え方は新しい発見でした。

もっと勇気の出せる方法がないものでしょうか?

~~~引用終わり~~~

とてもいい書評をいただき、感謝しています。

来月刊行です、お楽しみに!
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31年前19歳で『論語』読んでた

2025年06月17日 | 古典・漢籍
昔は、読んだ本に、いつ読了したかを、メモってた。

『鷲掴み論語』って本を執筆中に、蔵書の論語を見返したら、31年前の19歳のとき(大学2年生になったばかり)に読み終えた私の手書きメモを発見、、、

19歳の私を微笑ましく思って、備忘のために記録しておきます。




 後記:カッコつけて英語表記、、、

 しかも日付→月という、アメリカではないイギリス式、、、

 当時からイギリス英語に憧れていたのかなぁ。
 
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「学ぶ」より「受け取る」

2025年06月16日 | 古典・漢籍
「鷲掴み論語』を執筆していて、小難しい古典から「学ぶ」のではなく、「受け取る」って表現するほうがいいなと思っています。

  • 古典を学ぶ
  • 古典から学ぶ

なんて書くと、優等生的だな、おカタいな、って思って抵抗感が上がっちゃう。

古典から受け取る

って表現のほうが、ハードル下がって、いい。

____________

これは、我々が古典と言われる本を読む際の姿勢にも当てはまる。

  • ドストエフスキーを学ぶ
  • ゲーテから学ぶ

って考えるんではなく、

ドストエフスキーやゲーテから何を受け取るか

ってざっくり考えたほうがいい。

少なくとも入門段階のうちは。
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すべては無常観から

2025年06月15日 | 古典・漢籍
来月発売の『鷲掴み論語』(通称:ワシロン)を執筆しながら気づいたこと。

古典から「鷲掴み」して学べることを、以下の2つにまとめた:

  1. 長期的視点
  2. 積極性

1 長期的視点

 10年30年単位ではなく、50年100年1000年単位で考える。

2 積極性

 独りよがりではなく、世のため人のため。
 利他的な、行動力。

____________

ってことを説明しながら、この2の積極性も、結局、1の長期的視点から来るのだなと。

1の長期的視点ってのは、世が無常であることに思いを致し、無常だけに、現世の短期的利益に拘泥してもつまらんよね、長期的視点に視座を上げて、高邁な思想を考えてご覧、って感じ。

そして、2の積極性(利他的な行動力)も、結局、世が無常だから、どうせなら精一杯生を燃焼させよう、結果ばかり気にせずにやるべきことをやろうぜ、って感じで、1の長期的視点・視座につながる。

世が儚いからこそ、逆説的ですが、永遠なるもの(真善美)へ向けて頑張る。それが健康的な無常観。積極的な無常観。

ニーチェが言う「積極的ニヒリミズム」ってのは、このことだと思う。

____________

無常観を感じ、長期的な「視座」に立って、積極的な「行動」をするってこと。

だから1の長期的視点と2の積極性というのは、全く無関係ではなく、強くリンクするもの。

すべての根底に無常観があるんだなぁと。森信三が「すべては”人生二度なし”と思うところから始まる」みたいなことを言っていた。

私の価値観もほんとうに森信三の言ったとおりだ。

____________

昔話ですが、20歳のころに大学受験の予備校(@田園調布の藤井塾)で英語講師をしていたときも、生意気にもというか、「無常観と死生観」みたいなプリントを作って、高校生に配っていたな、、、、

高校生は、大学受験のために英語を教わりたいのに、私からこんな哲学的なプリントをもらって、さぞや迷惑だったかも、、、

30年前から私は「無常観」を考え、人にも伝えていた。

そんなことを思い出しました。すべては無常観から始まる。死生観ってのは、ほとんど無常観のことだと思う。

みなさんも、健康的な無常観を身に着け、いい死生観を研ぎ澄ましてください。

私の無常観と死生観についてはワシロンをお楽しみに!

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清く正しく美しく

2025年06月13日 | 古典・漢籍
【執筆原稿から抜粋】

「正しいだけでは足りない。美しくあれ」

と私が思うのは、東西哲学を学んだからです。

西洋では、プラトンが美を善への入り口とし、アリストテレスやカントが徳の中に美を認めたように、道徳は単なる規範ではなく、人間の美的な完成のためのものです。

東洋でも、孔子の「礼」は社会に調和と敬意をもたらす美的な秩序です。孟子の「義」は利害を超えた高潔さであり、陽明学の「知行合一」を活かすと内なる真実が行動に美しく現れます。

「正しさ」は組織や制度の中での「やり方(How to do)」ですが、「美しさ」は人としての「あり方(How to be)」です。

ハイデガーが言うように、どう「やるべきか」は、どう「あるべきか」に従属します。

「こうありたい」という深層心理・人間像に従って、我々は「こうやりたい」と考えています。

清く正しく美しく。

これは小林一三が定めた宝塚歌劇団のモットーですが、不祥事対策にも大いに役立ちそうです。
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当今の毀誉、後世の毀誉

2025年06月10日 | 古典・漢籍
匿名の毀誉は懼(おそ)るるに足らず、
実名の毀誉は懼るべし。

当今の毀誉は懼(おそ)るるに足らず。 
後世の毀誉は懼るべし。

 後半は佐藤一斎


 
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今日の置き手紙

2025年05月28日 | 古典・漢籍
王陽明の

山中の賊は破りやすく、
心中の賊は破りがたし

を書きました。
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洛陽の紙価を高めん

2025年05月20日 | 古典・漢籍
昨日に脱稿した、私の8冊目の単著『シン・論語と算盤(題名まだ決まっていない)』は、

 洛陽の紙価を高めん

との気概で書きました。

売れまくって紙が足りなくなって紙の値段が上がった、というエピソードから。

今の時代、「紙が足りなくなる」ってことはありえないんですが。

____________

古典の価値を、鷲掴みにして、わかりやすく、解説したもの。

古典の価値 ーー端的には

  1. 長期的視点
  2. 積極性

の2つにまとめました。

1 長期的視点

近視眼的にならない。覇道ではなく王道。力より徳。暴力より誠実。その辺が古典が教えていることだろう。

2 積極性

歴史には勇気ある義人がたくさんいる。かっこいい英雄がたくさんいる。利他的に犠牲になった美しい人間がたくさんいる。その彼女彼らから学ぶのは、端的には積極性。

こんな骨太の、鷲掴みした感じで、古典の価値をザクッと書いた本です。

願わくば洛陽の紙価を高らしめん。
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『葉隠』のゼロイチ

2025年05月18日 | 古典・漢籍
【執筆原稿から抜粋】

『葉隠』のゼロイチ

『葉隠』で私が好きな言葉は 

   大難大変に遭うて動転せぬというはまだしきなり。
   大変に遭うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり

です。

大変な災難に遭って、動転しないのではまだ甘い。大災難に遭ったら、欣喜雀躍して勇猛邁進せよ、という底抜けの根性論です。

 他に『葉隠』には、

  不仕合せのときに草臥(くたび)るる者は益(やく)に立たざるなり

つまり「不幸の時にくたびれているようでは役立たずだ」という厳しい文句もあります。

元気は出るものではなく出すもの。

ゼロからイチを絞り出す「ゼロイチ」の根性を『葉隠』から学べます。
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名作『塩狩峠』  -49年連続で「新潮文庫の100冊」

2025年05月18日 | 古典・漢籍
『塩狩峠』は美しい。

執筆原稿でも以下のように言及しています。

~~~以下引用~~~
ラクして儲けるのは世俗的には「正しい」。でもそれは精神的には美しくない。

一方、犠牲になる辛い道は、世俗的には正しくなくても、精神的には「美しい」。

「世俗的には間違いなことが美しい」と言うと違和感を感じるかもしれませんが、他者の犠牲になって死んだ三浦綾子の小説『塩狩峠』の主人公に美しさを感じる人は、今後も絶えないでしょう。
~~~引用終わり~~~

以下はChatGPTで調べました。

____________

『塩狩峠』は、1976年に始まった新潮文庫の「100冊」に、開始から毎年選ばれ続けている作品の一つです。

したがって、2025年現在まで、49年連続で選ばれていることになります。

他の開始時から毎年選ばれている日本人の作品としては、

  • 夏目漱石『こころ』
  • 太宰治『人間失格』
  • 井伏鱒二『黒い雨』
  • 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
があります。


 
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正しさは美しさに奉仕する

2025年05月18日 | 古典・漢籍
【執筆原稿から抜粋】

正しさは美しさに奉仕する ──東西哲学が示す倫理の構造

「正しいだけでは足りない。美しくあれ
(Being right is not enough. Be righteous)」

 --この言葉は単なる感覚的比喩ではなく、東西の哲学が共有する倫理の本質です。
 
西洋では、プラトンが美を善への入り口とし、アリストテレスが徳の中に美を認め、カントが「美は道徳の象徴」と言ったように、善と美は深く結びついてきました。道徳は単なる規範ではなく、人間の美的・倫理的な完成のためのものです。

東洋でも、孔子の「礼」は単なる形式でなく、社会に調和と敬意をもたらす美的秩序です。孟子の「義」は利害を超えた高潔さであり、陽明学の「知行合一」を活かすと内なる真実が行動に美しく現れます。

「正しさ」は組織や制度の中での「やり方」ですが、「美しさ」は人としての「あり方」です。

ハイデガーの実存哲学が言うように、どう「やるべきか(How to do)」は、どう「あるべきか(How to be)」に従属します。

正しさは美しさに奉仕する ── ──これは人類の倫理の深層なのです。
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『永遠の武士道』 多久善郎

2025年05月16日 | 古典・漢籍
かつて読みましたが、渋沢栄一『論語と算盤』関連の執筆にあたり、再読。

■ 一分の間をゆるがせにすれば、つひに一日に至り、おわりには一生の懈怠ともなれり。

 山鹿語類巻第21『士道』(山鹿素行) 

 …徒然草188段の

 一時の懈怠、すなはち一生の懈怠となる。これを恐るべし。

 にそっくり

■ 何事を言ひ付けられたる時も、そのまゝ畏まるべし。惣じて武士の前疑ひは臆病の本と知るべし。
 『葉隠』

物事を頼まれた時、すぐに「解りました。やりましょう」と言える人間と、「難しいですね」と、弱気な言葉しか発することのできない人間とでは、気力に於いて天と地程の落差がある。

■ 勝ちといふは、味方に勝つ事なり。
味方に勝つといふは、我に勝つ事なり。
我に勝つといふは、気を以て体に勝つ事なり。
  『葉隠』

■ 道は則ち高し、美し。約なり、近なり。
 吉田松陰『講孟餘話』

■ 一誠兆人を感ぜしむ
吉田松陰

以上、取り急ぎメモ。
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