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川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

いずくんぞ隠さんや

2025年07月16日 | 古典・漢籍
最近好きな漢籍の一節が、「人、いずくんぞ隠さんや」。

人間は、どうして隠す/ごまかすことができるだろうか、できるはずがない

って意味です。

■ 論語

その以(な)す所を視、その由る所を観、その安んずる所を察すれば、人焉くんぞ廋さんや、人焉くんぞ廋さんや。

…孔子が、こうやって、2回も、リフレインして、「人いずくんぞ隠さんや」を繰り返しています。もう「絶対に隠すことはできない」という、情感を込めた表現です。

■ 孟子 

その言を聴きて、その眸子を観れば、人焉んぞ瘦さんや。 

…孔子の言ったことをなぞって、さらに発展させている感じですね。

____________

私の仕事に引き付けて言えば、

アマチュアを相手にした仕事ではなくて、プロの仕事をしていれば、「いずくんぞ隠さんや」、見る人が見れば分かる、だから「常に見られている」というプロ意識を高めましょう、

って文脈で使えます。

____________

もっと一般化して言えば、

 いい人間か駄目な人間かは、見る人が見れば分かる

って解釈することができます。

また、「今は世間からチヤホヤされていても、30年後とか死後には忘れられている」ような俗物に対しても、人、いずくんぞ隠さんや。君の化けの皮はそのうち剥がれるよ、という文脈でも使えます。

人、いずくんぞ隠さんや。

いい言葉です。
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「畸人」とは ー天の君子、人の小人

2025年07月15日 | 古典・漢籍
桶谷秀昭の本を読んでいたら、荘子が、畸人(きじん、奇人)についてポジティブに語っていると知った。

調べると、、、

子貢に「畸人ってどんな人?」と問われて孔子は:

「畸人とは、世俗の人から見れば変わりものである、天(自然・宇宙)に従う者である。だから

『天の君子は人の小人
 人の君子は天の小人』

という言葉がある

子貢曰「敢問畸人。」
曰「畸人者、畸於人而牟於天。故曰『天之小人、人之君子。人之君子、天之小人也。』」

____________

いいね、西郷隆盛が「人を相手にせず、天を相手にせよ」と言ったり、孟子が天爵と人爵の区別をしたりしたのも、この「畸人たれ」ってことと同じですね。

 
人の小人のままで、天の君子たることを目指します。


 
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道は近きにあり

2025年07月13日 | 古典・漢籍
道は近(爾)きにあり。

道在爾。

孟子

____________

人の道は遠くにあるのではない。身近にある。

日々実践できることにある。
  • 家族に優しくすること。
  • 足元に落ちているゴミを片付けること。
  • 約束を守ること。
  • お金は納期より前に払うこと。
  • いい姿勢で人の話を聴くこと。
  • お世話になったら礼状を書くこと。
  • お世話になった人に義理を欠かさないこと。
  • 親孝行をすること。
  • 顔施をすること。いい笑顔を与えること。
  • コンビニの店員さんをリスペクトすること。
  • ビルの清掃員をリスペクトすること。
  • 袖振り合う人すべてをリスペクトすること。
  • 巷で道を譲ってもらったらしっかり心を込めてお礼をすること。

道は近きにあり。

首無し事件」で有名な正木ひろし弁護士が、「近きより」というタイトルの、私家版の、今で言うメルマガみたいなものを観光していた。

この「近きより」も、聖書かなにかの、この孟子の「道は近きにあり」という考えから来ている。

 ※ カーライルからでした こちら

眼の前の、できることから、コツコツと、いいことを実践していきましょう。


 
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羞悪の心が正義の始まり

2025年07月13日 | 古典・漢籍
孟子といえば性善説。
性善説といえば惻隠の情。
惻隠の情は、「四端の説」の冒頭。

四端の説は以下:

  1. 惻隠の心は仁の端なり
  2. 羞悪の心は義の端なり
  3. 辞譲の心は礼の端なり
  4. 是非の心は智の端なり

 → 他人をかわいそうだと思う心が、仁愛の心の芽生え。
 → 恥を知って悪を憎む心が、正義の心の芽生え。
 → 譲り合う心が、礼儀・礼節の心の芽生え。
 → 善悪・正誤を判断する心が、知恵の芽生え。

中でも、2つ目の、「羞悪の心は義の端なり」が刺さった。

羞悪の心が、正義の始まり。

美醜の感覚を持って、恥を知る心。悪を憎む心。
それが正義の芽生え。

 
要するに、美意識ですね。
美意識が道徳を構成していますからね。

これからも美意識を大事にしたい。
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『四書五経 一日一言』 渡部昇一編

2025年07月13日 | 古典・漢籍
メチャメチャ勉強になる、、、

人生経験のない20歳の時に読んだ言葉も、ある程度経験を積んだ50歳になって読むとまた味わい深い、、、






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荘子も「傾聴」を伝えている

2025年07月13日 | 古典・漢籍
荘子の「傾聴」がいい。

孔子の言葉を紹介している。

仲尼曰く:

「なんじ志を一つにせよ。
 これを聴くに耳を以てすることなく、これを聴くに心を以てせよ。
 これを聴くに心を以てすることなく、これを聴くに気を以てせよ。
 聴は耳に止まり、心は符に止まる。気なるものは虚にして物を待つものなり。
 ただ道は虚に集まる、虚とは心斎なり」。

 「まず、お前の心を一つにせよ。
  耳で聞かずに心で聞け。いや、心で聞かずに気で聞け。
  耳は音を聞くだけであり、心は物に応ずるだけのものにすぎない。
  これに対して、気というものは、みずからは空虚の状態にあって、一切の物を受け入れるものである。
  道というものは、この空虚にだけ集まってくるものだ。この心の空虚の状態が、ほかならぬ心斎だよ」

(人間世篇より)

こちら から拝借

「心斎」は、心を整えること。

大阪の心斎橋は、岡田心斎という人名由来ですが、岡田心斎もきっと荘子を読んでいたに違いない(ネットでは確認取れず)。

____________

この「心は符にとどまる」ってのは、割符。wishful hearingの弊害を言っている。

自分が「相手はこう言うだろう」と思って色眼鏡をかけて聴いていると、そう聞こえちゃう。

虚心坦懐の「気」(空虚)で聴くのがいいよ、と荘子が孔子に語らせている。


 
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大覚有りて、しかる後に大夢なるを知る

2025年07月12日 | 古典・漢籍
大覚有りて、而る後に此れその大夢なるを知るなり

荘子

 

____________

荘子にはこんなイケてる言葉もあったか。斉物編。

真の悟りに達した者だけが、人生が長い夢のようなものだと分かる。

長い夢ー 宇宙的視点から見たら、蝸牛角上の、火打ち石を擦る間に飛び散る火花のような、一瞬の、儚い、夢。

人生100年時代で、長いけど、宇宙的には、一瞬の、夢。

それが「夢」にすぎず、宇宙の微粒子みたいに、チンケで儚く、くっだらない、つまらぬもの。

その無常観、諦観。

どうせそんな儚い夢ならば、ええいままよ、天下取っても2合半、何者をも恐れることなく、なんでも挑戦しようじゃないか。

そんな積極的ニヒリズムないし健康的なペシミズムが導かれる。

以下の本から。


 
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31年前に買った『荘子』

2025年07月12日 | 古典・漢籍
荘子の、

至人己なく、
神人功なく、
聖人名なし

があまりにも素晴らしいので蔵書で確認したく、、、

31年前(1994年)に買って、あまり読んでいなかった蔵書が活躍!

いい言葉は、やっぱり手元の蔵書で確認すると、より血肉になる気がする、、、

31年前に買ってて良かった、19歳の若かりし俺を褒めてつかわす!
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至人は己なく、 神人は功なく、 聖人は名なし

2025年07月12日 | 古典・漢籍
至人は己なく、
神人は功なく、
聖人は名なし

至人無己
神人無功
聖人無名

荘子

____________

ヤバい。

漢籍はそれなりに読んできたし、荘子も老荘思想も愛してきたけど、こんなカッコいい言葉を覚えていなかったとは、、、

ほんとうに立派な人間には自分がない。
神のような人間は成功を求めない。
最高の聖人は名利・名誉を求めない。

そんな意味だろう。

自分のことを考え、
成功を求め、
名利と名誉を追いかけてきた自分を深く愧ずる。

渡部昇一の本からは必ず学びがある。

 
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逆順入仙

2025年07月12日 | 古典・漢籍
逆順入仙。
順に逆らえば仙に入る。

幸田露伴の言葉で、渡部昇一が引用している。


70歳を超えるくらいから、車中でラテン語を暗記して暗記力を鍛えていた渡部昇一ならでは。

彼が言うから説得力がある。


 
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中庸は難しい

2025年07月09日 | 古典・漢籍
中庸は儒教で最も大事。

でも、孔子も、論語で、「中庸を成し遂げる人はほとんどいない」って書いている。

子曰く、「中庸の徳たるや、それ至れるかな。民、鮮(すく)なきこと久し。」

「中庸という徳は、なんと最高のものであることか。
だが、それを実践する人は少なくなって久しい。」

『論語』雍也第六・29
子曰、「中庸之為德也、其至矣乎!民鮮久矣。」

最高に届くことは難しい。
中庸ってのはインテグリティみたいですね。

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志有る者は事竟に成る

2025年07月08日 | 古典・漢籍
志有る者は事竟(こと、つい)に成る

後漢書

____________

何の変哲もない言葉ですが。

信念をもってやり通せば、いつかは結果が出る。

渡部昇一 が、子どもたちに与えていた言葉。

具体的には、音楽の道に進んだ子どもたちが、コンクールに落ちたときに、書き与えていた言葉。


 
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野垂れ死に精神 ー人間到るところ青山あり

2025年07月05日 | 古典・漢籍
幕末の僧・月性の

男児志を立て郷関を出ず
学若し成らずんば復た還らじ
骨を埋むるに何ぞ墳墓の地を期せん
人間到る処青山あり


も、孟子の「志士は溝壑にあるを忘れず」と同じ意味。

 ※ 「死すとも還らじ」って覚えていたけど、いろんなバージョンがある
 こちら   「何ぞ」なのか「豈に」もいろいろある。

犬死に、野垂れ死にする覚悟をしておけ、ってこと。

ちなみに最後は 

 「じんかん」至る所「せいざん」あり

って読みます。世間にはどこにでも骨を埋めるところがある、って意味です。

23歳の時に実家を出て独り暮らしを始めたとき、「学もし成らずんば死すとも還らじ」とこの詩を想ったのを思い出す。
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志士は溝壑に在るを忘れず

2025年07月05日 | 古典・漢籍
志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、
勇士は其の元(こうべ)を喪うを忘れず

志士たるもの、いつでも屍がドブや谷に捨てられて野垂れ死にすることは覚悟している。
勇士たるもの、いつでも自分の首を喪うことは覚悟している。

孟子をパラパラめくっていたら目に止まった。

吉田松陰も好きだった有名なこの言葉は孟子にあったか。

 

拳拳服膺しよう。

こういう「やせ我慢」が大事。俺はいつでもドブにいるんだ、だから恐れるものはないっていう。

____________

先日ある会社のインテグリティ研修で、「どうやったら勇気が出るんですかねえ」と聞かれた。

出世・保身よりも美学・信念を優先する哲学、人生観、死生観なんですよね、って話したら、とても納得されたようだった。

端的に言うと、私の場合、論語の

不義にして富みかつ貴きは、我において浮雲の如し

なんですよね。論語で一番好きなこの言葉、つまり痩せ我慢。

悪いことやって出世するってのは、俺にとっては浮き雲みたいなチンケな話だ。

この強がり、痩せ我慢が、勇気の源泉。

これって、冒頭の孟子の、

志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず

と同じ。

溝壑ってのはドブです。自分はそもそもドブにいる。これ以上は下に落ちない。常に自分がドブにいることを忘れない。だから何ものをも恐れることはない。

その不正に黙って目をつぶって、自分だけ出世するのか。
それとも、勇気を出してNOと言って、出世を諦めるのか。

勇気は、後ろ指を刺され、白眼視され、孤独になる気概から生まれます。

孤独を恐れる者には勇気は出ません。

志士不忘在溝壑
勇士不忘喪其元

いい言葉です。

 ※ 後記
 よさげな文献ー文天祥も「溝壑」精神を継承している こちら
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志を得ざれば独り其の道を行う

2025年07月05日 | 古典・漢籍
天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行く。

志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其の道を行う。

富貴も淫する能わず、貧賤も移す能わず、威武も屈する能わず。此れをこれ大丈夫と謂う。

孟子の中でも有名で、かっこいい一節。

大学生のとき、暗唱しようと思って、ワープロで大書して部屋の壁に貼っていた。

____________


あれから3年。

志を得ない今は独りその道を行う。

そんな気概で耐えてきました。


 後記:

天下の広居に居り、
天下の正位に立ち、
天下の大道を行ふ(行う、で覚えていたけど最近は「行く」の方が好き)。

の今里禎訳(1993年、徳間書店『中国の思想 孟子』)がすごい、、、

仁という広大な世界に住み、
礼という公正な立場を守り、
義という大きな道を歩む。

だって、、、

仁という広い世界に住み、
礼という美しい立ち居振る舞いをし、
義という大きな道を歩む。

でもいいかもね。

わかりにくかった

天下の広居に居り、
天下の正位に立ち、
天下の大道を行く

が30年経ってようやく腹落ちできました。

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