紅葉の名所のお城③ - 佐和山城

2012-11-12 00:37:42 | 歴史
佐和山城 (滋賀県彦根市)


1

彦根城本丸の東北隅、月見櫓跡から旧城下町を眺めると、町並みの向こうにひときわ大きくそびえる山があります。
この山に石田三成の居城・佐和山城がありました。






2

当時、「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」とうたわれた程、威風堂々とした名城でした。
その一方で、城内の造作は意外と質素で、居間などは畳を敷かず板張りのままとし、壁も仕上げの白漆喰を塗らず、土の色をむき出しにした荒壁のままだったようです。(『甲子夜話』)
三成は、城の壮麗さを誇ることよりも、無駄な出費を省き、常に実戦を念頭に置いていたと考えられます。

豊臣秀吉の死後、しだいに政権簒奪の野望をあらわにしてくる徳川家康に対し、三成は戦いを挑みます。
三成はありったけの兵力を率いて出陣し、佐和山城は三成の父・正継が主将となり、老臣や家臣団の家族たちが守備しました。

しかし、慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原合戦で三成は敗北。
その2日後に佐和山城は、徳川方の大軍の猛攻撃を受けて落城。正継をはじめ石田一族はことごとく自刃して果てました。
当時の記録には、「討たるる兵、数を知らず」「女童まで当るを幸いと切り殺す」と酸鼻をきわめた戦いの様子が記されています。(『慶長自記』)

関ヶ原合戦後、新たに領主となった井伊家は、やがて彦根城を築城して移住、佐和山城は廃城となりました。






10

佐和山城跡への登山口は、JR彦根駅の北方約1キロメートルにある清涼寺からのハイキングコースが最も分かり易いです。
清涼寺は曹洞宗の名刹で、井伊家歴代の菩提寺です。
なお、この地には元は石田三成の重臣・島左近の屋敷があったと伝えられています。
佐和山城とともに、「三成に過ぎたるもの・・・」とうたわれた名将の面影を偲びつつ境内を散策してみましょう。





13

清涼寺境内から佐和山城跡へ向かう道の入り口は、紅葉のトンネルになっていました。
少し進むと、左手に石田三成の銅像が鎮座しています。
昭和57年に、地元の有志の方たちによって建立されたものです。
甲冑ではなく裃姿なのは、善政を布き没後も民に敬われ続けた三成像を表したためと思われます。





18

登山口の脇には親切な地図の看板が設けられていました。
略図ながら佐和山の概要をつかむことができて有り難いです。
では、いよいよ「登城」してみることにしましょう。