駅から眺めるお城の景観、これぞ日本一 !!  - 明石城 -

2014-06-12 01:24:26 | まち歩き
明石城 あかしじょう (兵庫県明石市)


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先日、所用で兵庫県明石市に行ってきました。

JR山陽線の新快速に乗って、明石駅に到着。
ホームに降り立った瞬間、目に飛び込んで来るのはこの景観。
ここに来るたびに、しばし時を忘れ見入ってしまいます。

駅から眺めるお城の景観としては、明石城の右に出るものは無いと言っても良いでしょう。



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JR明石駅の北側は、一車線の道路を挟んで、すぐ明石城の「三の丸」を囲む堀があります。
つまり、ビルなど視界を妨げるものが絶対に建たないという好条件なのです。

堀の向こう岸は、土塁に茂った樹木が、東西に長く延びる森となっています。
堀も土塁も、本来は人工の構築物ですが、今は水辺と森が織り成す自然の景観になっていて、甚だ美観を呈しています。

その森の向こうには、高石垣がそびえ立つ「二の丸」と「本丸」。
そして本丸には、明石城のシンボルである二棟の三重櫓、坤櫓(ひつじさるやぐら)と巽櫓(たつみやぐら)。
(いずれも重要文化財)

自然と人工の美が調和する美しさ、変わることなく伝え残してゆきたい景観です。



Photo



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元和元年(1615)、江戸幕府は大坂城を攻め落とし、豊臣家を滅亡させました(大坂夏の陣)。
その後、江戸幕府は近畿地方の支配体制を強化するため、大名の配置換えやいくつかの新規築城を実施します。

明石城もそのひとつです。
元和3年(1617)、信濃松本の城主だった小笠原忠真が、明石に領地替えとなり移ってきます。
そして、翌・元和4年に江戸幕府の命令によって明石城を築き始めました。

明石は、陸上交通の幹線・山陽道と、海上交通の要衝・明石海峡が接する所です。
江戸幕府が近畿地方を支配する上で、まさに重要地点でした。
そのため城の普請は、小笠原家と江戸幕府の共同工事として行われ、壮大な城が築かれました。

累々と築かれた高石垣が、今もその面影を伝えています。