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シングルマザーの子育て、子供の留学、DIY、ボクシング、MBA挑戦、そして世界へ!

明日があるなら

2009年06月30日 | おすすめの本・映画
風邪をひいて学校を休むといつも「あしたのジョー」を最初から読んでいました。
ちょっとづつ買いだめて17巻まで買いました。
最後の内容はどうなるか知っていたけど、どうしても最後が見たくなくて結局20巻まで買いませんでした。

今でもあの頃と気持は変わりません。「最後が知りたいけど知りたくない。」



大人になってシドニーシェルダンの「IF TOMORROW COMES」(邦題:明日があるなら)という本を原文で読みました。
シドニーシェルダンの本は原文で何冊も読み、すべておもしろかったですがMASTER OF THE GEME(ゲームの達人)やBLOOD LINE(血族)と並びこれは最高傑作です。

ある意味、この中の主人公であるTracyのような女性が自分の理想の姿かもしれません。

でも、やはり最後は読みたくないのです。

原文で辞書を引かずに読んだ時はラストシーンを斜め読みし、なんとなくわかりました。

それから数年後全部辞書を片手にもう一度じっくり読んで最後のシーンにさしかったた時、
それまで一生懸命熟読してきたのに最後数十ページになったら読めなくなりました。


自分がそんな選択を、生き方を、潔くできるかわからないので今は最後をしっかりと読む自信無いのかもしれません。


この本は女性にお勧めです。

読むととても勇気が出てくると思います。





コストコツアー第二弾

2009年06月29日 | コストコ(Costoco)
日曜日は元会社の女の子のキヨとかなおと娘の
Q-ちゃんと一緒にコストコへ行きました。

10:00開店ですがいつも日曜日は混んでいるし
昨日はアウトレットのセールの最終日、そして給料日後ということもあり
駐車場の混雑を予想して早めに行きました。
9:20には到着しましたがやはりすでに駐車場への道は車が沢山。
でも上に上がるとまだまだ空きがあり、ほっ。
まだ開店まで時間があるので車の中で少しおしゃべりしてから15分前に入り口へ向かったところ
なぜだかすでに買い物を終えて帰って来る人がいるのです。
おかしいな~。なんでかな~?




まずはいつものように一番混雑する食品コーナーへ行きました

キヨもかなおも新生活をスタートしたばかりということもあってか
早速私の元を離れてそれぞれにハンターの如く狩りへ出かけました(笑)

私はまずお約束のドーナッツから。。12個入りで798円。
甘さ控えめでとても美味しいです。




クロワッサンは必ず買います。子供たちがあっという間に消費してしまうので今回は2箱買いました。

1箱24個入りで680円/一個28円とかなりお買い得です!

発酵バター使用なので脂臭さが無く、パリッとして美味しいです。



ディナーロールは36個入りで523円/一個14円と脅威的な安さです。

かなりずっしりしていて多少甘みがあり焼いてそのまま食べるだけでもおいしいです。
何よりこの安さ!




モズクスープはキヨのお勧め

880円で15袋入り。

生タイプで今朝飲んできましたがとても香りが高く美味しいです




これも定番になりつつあるシュリンプ。
尾付のものもありますが私は尾無しのもの。

1218円/980g。

八宝菜やスープ、春巻きに入れたり、炊き込みご飯等など常備してあるととても便利です。
先日は取りたてのナスやインゲンと一緒に油でいためて酒、塩、コショウ、
めんつゆで味付けし、その中にゆでたそうめんを入れてあえたところとても美味しかったです




大きいジップロックがなくなってしまったので。

1298円/38枚X4箱

大量なのでみんなで分けました



セレスのトロピカルミックスジュースは

978円/24個(200ml)

100%果汁で一個40円なのでかなりお得です。

息子が野球へ行く時必ず凍らせて持たせます。
夏場はお弁当と一緒に入れておけば炎天下の中、保冷剤代わりにもなり食べる頃
ちょうどとけていい感じです




こちらは1Lのセレスのグアバジュース12本入りで1848円。

母と分けたので写真は半分です。

もちろん果汁100%でかなりお安いのは言うまでも無く。




これも毎回定番です。
子供たちのお弁当のから揚げに大量に消費します。

国産で100グラム72円とはかなりお買い得。

そして色も濃く普通のスーパーで売っている鳥肉より格段味もいいです



それから大好きなツナも

8缶で698円。




デュラセルの単三電池が36本で1428円。




貧血症の私の必需品。

400錠で1758円。




今回は他に種無しブドウやマフィンを買って分けました。
ちょっとパン類買いすぎたかも

それから発泡酒は1ケースで2388円

かなおはケチャップを1kg275円でゲット

キヨはカークランドのミネラルウォーターを500mlX35本で599円/一本17円と信じられない値段でゲットで嬉々
大満足でみんなでフードコートでゲットしたピザやホットドックでお昼ご飯わ~い




帰りはご近所さんになった二人をそれぞれ送ってきました。
二人の住まいを見せてもらい、新生活に意気揚々としている感じで、安心しました
ローカルな話も盛り上がり楽しい一日を過ごすことができました

そして29日は息子Jの14回目の誕生日なのでケーキをオーダーして夜はおばあちゃんも呼んでみんなでお祝いしました

やっぱ、パーティーは寿司だよな~って、、、コストコ行っておきながらそこは日本人です(笑)

まだまだ。。。

2009年06月27日 | BOXING
今週は月曜以来でジムへ行きました。
夏もだんだん本番になってきてトレーニングもやればやるほど効果があがってきます。

やはりボクシングは楽しいです。
なぜかわかりませんがとても楽しいです。

↓会長から直々、リング内で教えていただきました。
まだまだバランスも崩してしまうし、ガードが甘くなっていくのも自分でわかります。



その後、プロのH田さんとマスボクシングのお相手をしていただきました
私と同じ左ファイターということですが、、、まだ違いのわかる女にはなっておりません



でも、打つことが怖くなくなりました。

な~んちって



社員をサーフィンに行かせよう

2009年06月25日 | おすすめの本・映画
昨年かなり本気モードでサーフィンを始め、友人からロングボードも購入しました。

先月フルスーツのウェットも購入し、スタンバってますが今年は何かと忙しく、友人達も都合が合わずまだ海へ行けてません

そんなこともありタイトルと抜粋を読んでみて惹かれて購入した本ですが
内容としては著名なクラーマーであり、サーファー、カヤッカー、スキーヤー、鍛冶職人、環境保護主義者でもある
パタゴニア創業者の所謂経営論ですが非常に共感できる部分があります。




私が感じた事としては経営者は真実が見えていることが必要だと思いました。

真実とは現実ではなく、法則であり、智慧でもあります。

社員はいい波の時は実際に海へいつでも出かけるそうです。

羨ましい!!!

それはさておき、地球環境や自然との共生を考えた場合、こうした企業が発展していくことが非常に重要ではないかと考えます。

負が生み出すもの

2009年06月24日 | ミネソタ回顧録(Life in Minnesota)
私がミネソタでとても貴重な体験をして、その後の人生観に大きな影響を与えただろうことについて少し触れてみます。


先日、子供たちの学校公開日がありました。

娘のQ-ちゃんは社会が苦手で一番の課題でした。
ですので私も社会に力を入れるようやり方を変えてみました。
Q-ちゃんは塾をやめてから最終的に主要5科60点以上アップすることができました。特に社会については劇的に改善できました。

勉強方については後日詳しく書きますが、そんな訳で社会の先生が出す問題はかなり難易度も高いということもあり
次回の一番大切な期末テストに向けて攻略するつもりで授業を見に行きました。

30分程見て帰るつもりだったのですが、、、授業は第一次世界大戦のところ、先生は身振り手振り、時には素早く絵も描いて実にテンポよく息つく間もなく授業を進めていきました。そして気がついたら私は先生の授業に引き込まれ最後までいました。

授業の中で先生は戦争の悲惨さをひたすら子供たちに伝えていましたがその中である小説の話をしていました。

戦争で目が潰れ、耳がもげ、口も聞けなくなり、手足もふっとばされ、ダルマのようになり、ただベッドの上でじっと自ら命を絶つこともできず生きているだけの兵士。その兵士が看護婦に対して頭をベッドに打ち付けることでしか伝えることのできなかった自分の意思=モールス信号、それは

「kill me」

のたった一言でした。



ミネソタのハイスクールで私はCHOIRという音楽のクラスを選択していました。
そこではみな机もなく教室に入るとひな壇になった舞台に座って先生の説明を聞いたあとすぐ歌を歌い始めます。

一年の後半に差し掛かった頃だと思います。
今まで仕上げてきた歌を日本で言う老人ホームや教会、障害者施設などあちこちへ行って発表するようになりました。

その中である日とても大きくてきれいな障害者施設へ行きました。
全米の中でもかなり大きな施設だと説明を受けた記憶があります。

私たちはいつものようにゴスペルシンガーのように青いローブをはおって、おそらく舞台となるちょっと薄暗いカフェテリアのようなところに通されました。

そしてひな壇に整列しながら視界に入ってくるものに異常に違和感を感じました。

目の前に座っている人たちは確かに障害者であるということは一目でわかりましたが私が認識している事と何かが違ってました。


中学生の頃「母は枯れ葉剤を浴びた」という本を読み非常に衝撃を覚えました。
ベトナム戦争で枯れ葉剤を浴びた兵士や女たちがやがて子供を授かりその子供を産み落としてみるとベトちゃん、ドクちゃんのように胴体がつながっていたり、手足がない、足が一本しかない、脳がない、、、そんな子供たちがたくさん生まれたそうです。


そして枯れ葉剤を浴びたのはベトナム兵だけではありません。
アメリカ兵もその影響を受けていますしアメリカへ逃れてきたベトナム難民も数多くいます。

歌い始めたものの私は目の前に現実にあの本で見た子供や大人がいることにワナワナと震え始めました。無脳症と言われる要はおでこに目がついた人が叫びながら私たちの方へ向かってきた時、たくさんのチューブにつながれた子を見れば顎から頭のてっぺんまで40、50㎝程の大きさがあり、それに対し体が同じように40、50cmほどしかない人を見た時、当時17歳だった私にはあまりにも信じがたい現実がそこにあったのです。

その日は帰ってからすぐ自分の部屋にこもり、いろんなことを深く考えました。



それから約1年後、高校での留学を終え再び大学へ行くためにミネソタへ戻ってきた私はダウンタウンからほど近い、キャンパスの近くに住み始めました。
田舎で治安がいいと言われているミネアポリスでも絶対一人では歩いてはいけないと言われていましたが確かある日友達との約束で道がわからなくなりダウンタウンに迷い込んでしいました。

そこには酒びんを紙袋で包んでふらふらしている浮浪者がちらほらといましたが私は何故だか怖く感じず彼らを観察していました。
すると、うっかり目が合ってしまい
そのうち一人が近づいてきて私に

「Are you Japanese?」

と聞いてきました。髪はぐちゃぐちゃで髭もぼうぼうでしたがそうしたことを除けばまだまだ精悍な美男子でした。


私は怖々「Yes...」と答えるとその浮浪者は私に握手を求め

「聞いてくれ、、、自分はベトナム戦争に行ったんだ、、。戦争は悲惨なんだよ、、ほんとうに悲惨なんだよ、、、わかるかい、、?何もかも狂わせてしまうんだ、、戦争なんかしちゃいけないんだよ、、、そうだよな?そう思わないか?」

と悲痛な声で泣きながら繰り返し私に訴えてきました。

私は

「Yeah,I think so,too」

と答えました。

その男の人は

「You understand...Thank you...Thank you」
(わかってくれるんだね、、、ありがとう)

と嬉しそうに私の手を握って言いました。

私はその人のごわごわした細長い手のぬくもりを今でも覚えています。

当時1989年、ベトナム戦争が終結してからたった14年しか経っていない頃のことです。

その人は戦争で何を見たのでしょう?何を失くしたのでしょう?どんな恐ろしい現実を、地獄を、見たのでしょう?




社会の先生は授業も終盤に差し掛かる頃、こう生徒達に話しました。

「ざんごうに一人で入って戦い、一日中頭の上を大砲が通り、時には肺を焼く毒ガスがまかれ、あちこちで人の手が飛び、足が飛び、頭が飛び、毒ガスで胸をかきむしって死んでいく姿を見る。そんな恐怖に耐える状況がたった一人穴の中で何日も続いたら人間はどうなると思いますか?」

(生徒)「・・・・・」

「人は・・・・最後には、狂うのです」





徐々に・・・・

2009年06月23日 | BOXING
ボクシングするようになってから大分体力がついてきました。
最初はミットをやるだけでも腕が動かなくなりましたがリングにあがって2ラウンド目でも腕が疲れず息があがらなくなりました。

甲状腺の病気を患ってから2年、一時は薬の副作用でか体重が9kg増までいきました。昨年夏、子供たちと一緒に夜に市のジムに通って4Kgまでは戻しました。

この夏の目標は更に-4kg。
ダイエットも一つの目的だけどそれを達成したらどうしようかな

年齢的にはプロにはなれないけどせっかくだから何か目安となるような資格くらいは取りたい。

あるのかな~。ないのかな~。

思いきや養成時代を培った懐かしのゴールドジムのイベントのポスターがKSボクシングジムに今日貼られていた。。。
このイベントの首謀者は一体???!!!何か、ニオイを感じる。 う~む

さて、今日はK藤トレーナーの指導でいろいろと大事なことを教えていただきました。
いつも丁寧に教えていただいてとてもわかりやすいです。

よけるのもステップも繰り返し体に擦り込むまで頑張ってみよう



インストラクター時代、背面からも対面からも動きも言葉での説明もリズムにのったまま即座に対応できるようにすることを訓練しましたが(対面の場合、口では右からと指導しながら自分はすべて左から出る)最初はなかなか決まらず・・・しかしそれがこけるとビシッと決まらず・・・背面も対面も自由自在に決まるようになるとこんなに面白いものは無かったです。

訓練すれば必ずいつかはできるようになる



この頃ジムへ行くと皆さんからブログ見たと言っていただきとても嬉しいですリンクもありがとうございます!!

http://www.ksboxinggym.com/

今日は通称婿殿と無理やりモデルお願いしちゃってごめんなさ~い



女性会員のMるちゃんとも

最後の大会

2009年06月21日 | 子育て(Family)
Q-ちゃんのバスケットボールにかけてきたこの6年間の最後となる大会の試合が終わりました。

結果は惨敗。

子供たちはどう感じていたかわかりませんが私は惨敗でもよかったと思います。

小学校3年生の時から一緒にやってきたC佳、小学校の時はQ-ちゃんとキャプテンと副キャプテンという形で一緒になってチーム作りをしてきました。何度も指を怪我し、骨折もしたけど負けん気の強いC佳は負けることなく試合では逆境に合うほど燃えるような闘志で次々ゴールを決め試合を盛り上げました。Q-ちゃんとはいろんな荒波をくぐりぬけてきた親友でもあり、ライバルでもありました。

A花は小学校の時はとなりの学校でバスケを頑張っていて中学に入ってからはQ-ちゃんにとっても良き理解者となり、副キャプテンとしても小学校より難しいチーム作りを一生懸命頑張ってきました。
いつもニコニコかわいらしい笑顔で会う度「あっ!Q-ちゃんのお母さん!こんには~!!」と遠くからでも挨拶してくれるさわやかな子でした。
A花も後半は疲労骨折をしながらも痛みをこらえながら練習しコツコツと自分のできることを一生懸命頑張ってきました。

ひとつ後輩のR恵、小学校の時から一緒にやってきてR恵が6年生になってキャプテンになると人懐っこくておふざけやいたずらっこのR恵も悩んでいたこともあったようでQ-ちゃんは妹のようにかわいがっていました。R恵もQ-ちゃんに何でも相談していたようですが一方で頼られることでQ-ちゃんも成長させてもらったのではないかと思います。

それからバスケ初心者のM桜も持前の根性でもう一つのことと両立させて最後まで一生懸命頑張りました。

Wたのお父さんお母さんとは今日車で一緒に同乗させてもらいましたがよく試合の応援にも来ていて、Wたと同じように明るくて楽しくご夫婦本当に仲がよいです。お父さんはPTAの会長だけでなくP連の副会長もされているということで本当に日々忙しい中、こうして子供の応援に仲良くそろって行っていたことは子供たちも決して忘れないでしょう。

C-も、W菜も、H果もよきチームメイトとしてこれまでありがとう。


Q-ちゃんは、帰宅してからすぐ何に耽ることもなく、感傷に浸ることもなく淡々と机に向って勉強を始めました。
「あーやっぱ、○○中は強いな~!(暫定一位の)○○中にも勝っちゃうんじゃないかな~!」と笑顔で言いながら・・・。

今日の試合会場まで車を出してくれたA花のお母さんから帰ってからメールをもらいました。
A花のお母さんとは節目節目でメールでもよく色んな話をしてきて本音で話せる人でした。とてもかわいらしい風貌と声とは裏腹に人として深いところで座ったところがあると感じさせる人です。

「自分からゴールを狙わず残念だった、最後までかわらなかったな・・・って思って。でも最後笑顔だったからそれでいいのかな」


うん、私はそれでいいと思う。
勝つことが当たり前と思って終わっていたらきっと燃え尽きてしまったと思う。
これから先の人生、まだまだ戦っていかなければならないことはたくさんあるからね。

数え切れないほどの勝ち負けを経験して報いられることも報いられないこともいろいろ経験できた。
時には理不尽と思えることもあったけど世の中にはそういうこともあるっていうことを知ることができた。



小学校の時は捕えられたのに今はもう動きが早くてカメラに収めることができません。


6年間疲れ様。そして、ありがとう。

さ~!ママも次なる目標に向かって頑張るぞ~!!

ミネソタの冬

2009年06月20日 | ミネソタ回顧録(Life in Minnesota)
ミネソタの冬はとても厳しいです。時にはマイナス30℃にもなりますが空気はとても澄んでいて幻想的な景色も生み出します。

12月のある日お父さんのラリーが
「S子、明日はクリスマスツリーをもらいに行くからね」
と言いました。

当日はみんなで車に乗り込んでいったん友達の家で下りました。
そこで何やらトラックに乗り換えてからまた長い距離を走りました。
車検もない国で何もない田舎の道をお父さんに任せて延々走って行くわけです。
もちろん当時は携帯もない訳ですから車に何か故障でもあったら
マイナス30℃の中でどうやって生き延びるのでしょうか。
今考えるとちょっと怖いです。

当時はそんなことも考えずいつもラリーが連れて行ってくれる所に
ワクワクしながら到着を待っていました。

そうして着いたところが↑こんなところです。
見渡す限りツリーばかりです。そう、これはツリー農家なのです。

恐れ入りました。ツリーを育てることを生業としている人たちがいるとは
本当にびくりしました。それも半端な広さではありません。

4,5メートルもあろうかというツリーもありましたが
さすがに家に入るわけもなく私たちは1.5メートルほどのツリーを
みんなで切り倒して車まで引っ張って運びました。
大変だったけどとても楽しかったことを記憶しています。

私がログハウス作りや手作りに興味を持つようになったのもこうしたことの影響が大きくあったのではないかと思います。



さて、ミネソタの冬に体験したもう一つの驚きの出来事と言えば↓これです。
ミネソタと言えば湖が多くある州としても有名ですが
冬になると湖が1メートルほどの厚さまで凍ります。
そこにドリルで穴を開けてさらに車も乗り入れ、
ひと冬限りの小屋を作り釣りを楽しむのです。

まずは湖に車を乗り入れた時にはびっくりしましたし、
あちこちに小屋が建っているのにもびっくりしました。


↓外から見るとこんな感じです。これが湖の真上です。

この日は確かドリルでもうひとつ湖に穴をあける作業をしていました。
そんな中、掘った穴に落っこちてしまう仲間がいて
みんなで大慌てでひっぱりあげましたがみな「Oh,my god!!!」とか言って大爆笑!なんかお約束といった感じで凍りそうな湖に体を突っ込んだのに
これだけおおらかに爆笑できるのって、なんかアメリカ人てこういうところがいいなぁってその時思いました。



ラリーの一番下の弟のケニーと





ミスター・ティース

2009年06月19日 | ミネソタ回顧録(Life in Minnesota)
ミネソタに留学するまでアメリカと言えばロスやサンフランシスコ、ニューヨークといった大都会しかイメージがなくミネソタを留学先に選んだのもアナウンサーなどがしゃべるいわゆる米語の標準語地域で綺麗な発音が覚えられるということと、治安が良いという2つの理由からで一体ミネソタがどんなところなのか全く見当がつきませんでした。

成田で親に別れを告げいよいよミネアポリス・セントポール空港で入国審査をうける時、これぞアメリカ!というような2メートルはあろうかという巨大な担当官に定型通りの
「ミネソタへ来た目的は?」
という質問をされドキドキしながら
「I came here to study」
と答えました。私のパスポートに目をやったままその答えに黙って深くうなずき、それからパスポートを私に渡しながらこう言いました。


「Minnesota is so cold,but people are so warm」
(ミネソタはとても寒いけれども人々はとても温かいよ)

その言葉は私の胸に深く響き、そしてその言葉は留学を終えて帰国する際あの担当官が言っていたことは本当だったなとつくづく思うことになるのです。



アメリカでは本当に多くの人に助けられ、教えられ、親切にされ、愛されました。
そんな中で通っていたケンブリッジハイスクールの先生であるMr.Theisは忘れることのできない人の一人です。

Mr.Theisはアメリカ史の先生でしたが町の留学生コーディネーターのような仕事も率先してやっており日本の姉妹校から短期で学生が来たりするとツアーの引率をしたり生徒全員に名前入りの高校のフットボールTシャツなどを作ってプレゼントしたりと忙しくも献身的に動き回っていました。

見た目はいわゆるメタボリックで、背も低く、頭はバーコードとどこか親しみやすい感じでした。一卵性の双子の兄弟がいて二人で並ぶとかなり笑いを誘いました。後にわたしと一緒にアパート暮しをすることになる大親友のアンのお父さんでもありいつまでも私のことを本当に気遣い娘のようにかわいがってくれました。

ただ、授業では超早口でおやじギャク連発でまわりの生徒はいつも「あ~、また始まったぜ」みたいな感じでペンを転がして呆れるばかり、それでも一向にかまわず先生は毎回ギャグを連発しては一人でボケてガハハ!と大きな声で笑ってました。

時々私がわかっているかを教室の中で名指しで確認するのですがそれがまた恥ずかしく私がへんてこな回答をするとそっちの答えの方ににみんなが大うけするので先生はだんだん私をダシにするようになりました。

結局先生の早口のギャグも授業も最後までさっぱりわからずでしたが先生は私には簡単な問題を別に作ってくれて「S子はこれができればAをあげるから」と毎期末毎に言ってくれました。

「日本に留学してる娘のアンが帰ってくるからS子に会わせたい」と聞き私は二つ返事でOKしました。家にも招待してもらって食事をごちそうになったりミネソタの家にはどこの家にも地下室があますがそこに置いてあるビリヤードをしたりしました。奥さんもとても親切な人でそれ以来私に会う度手を握ったりハグをして迎えてくれました。

アンにはピーターという弟がいてアメリカ人にしてはかなりシャイですが超イケ面で頭もよくフットボールのスター選手でしかも超美人の彼女がいつも一緒にいてとても近寄りがたかったのを覚えています。向こうがシャイだとこっちから話しかけるきっかけも作れず結局最後まで挨拶程度の会話しかかわしませんでした。

先生ご夫婦は子供に恵まれなかったのか二人は養子でした。アンもピーターもブロンドの白人ですがアメリカでは養子の子供を持つことはよくあることで教会などへ行くと白人夫婦が黒人、韓国人、インド人など子供全員の国籍が異なる子供を養子にしていることもありこれには私もいささかびっくりしました。
そんな訳でアンも自分が養子だということは子供のころから知っておりそんな話も「I am adopted」(私は養子です。)と普通に話してくれました。

留学を終えて日本に帰国してから何度かミネソタに里帰りしましたが10年前フロリダでのフィットネスコンファレンスに3日間参加した時アメリカが初めてというインストラクター仲間のI川ちゃんの希望もあり、コンファレンスを終わった後ミネソタへ一緒に行きアンやオストロム家(お父さん、お母さん)に滞在しました。

夜二人になった時アンからピーターの状況について知らされました。アンは「S子、私は敬虔なカトリックのクリスチャンで神様も信じているし、今まで真面目に生きてきた。でも今はピーターのことが信じられない。どうしたらいいのかわからない」と繰り返されたピーターの裏切りについて、また堕ちていくピーターについて本当に苦しんでいました。またそのことでどれだけ先生や奥さんが苦しんでいるかを知りその心情を察するや本当にいたたまれない気持ちになりました。

「とてもいい先生なのにどうしてそんな苦しい思いをしなければいけないの!」

初めてミネソタへ来たI川ちゃんの為に先生は私たちをわざわざアメリカで一番大きいショッピングモールへ連れて行ってくれました。私はピーターのことを聞いたことは黙っていましたがその車中で先生がいつもの冗談めいた口ぶりで「二人は今日はどこへ泊るんだい?」と聞いてきました。私たちの回答を聞く間もなく「M子(I川ちゃんの名前)、ボーイフレンドはいるかい?自分にはピーターという息子がいてセントポールに住んでいるから今日そこに泊っちゃわないかい?ハハハ!泊まるなら自分がうまくやるよ。」と悪ぶった口調で言いました。先生はありとあらゆる手をピーターに対して尽くしてきてそれでもその気持ちは届かず息子のピーターと接点が持てるなら、どんなことでも例え恥ずかしいことを言ってでも、それが無理でも何にでもすがりたい心情だったんだと思います。

車の中でI川ちゃんが疲れて寝た頃、私と先生は私が留学していた頃の思い出話を始めました。そんな話をする中で「私はあんまり勉強はしなかったから。。」と照れくさそうに話をしたら先生ははっきりとした口調でこう言いました。

「But,you learned people」

この言葉は一言では訳せません。
なぜならlearnの中には学んだこと、経験したこと、見たこと、触れたこと、辛かったこと、楽しかったこといろんな意味が含まれるからです。そしてpeopleの中にはオストロム家族やその親戚、学校の友達、先生、町の人達いろんな人達がいるからです。そのことを先生は本当によく理解してくれていたのです。この時の私は自分自身必死になって乗り越えようと思って生きている時でしたがこの言葉を聞いてこうした人達に感謝するためにも頑張って生きていかなければいけないと思いました。

私はこの言葉をも一生忘れないと思います。


それから数年後私は再び5歳と6歳になった子供たちを連れてミネソタを訪れました。アンにも会いたかったけど仕事が忙しいとのことで会えませんでした。

先生はちょうどその時日本からの短期交換留学生が来ていたということで昔のようにいろんなイベントを企画しており私には通訳として同行してほしいと依頼があったので会うことができました。アンに会うことができなかったのでピーターのことは聞けませんでしたが先生は昔のように英語もロクにわからないでポカンとしている交換留学生に向って早口でギャグを連発してました。私はただ「S子!はい、訳して、訳して」って言われてもすべるだけだよ~と思いながら、、、。もっともらしく「意味不明なギャクです。」と説明しちゃってました。

そう、そしていつの頃からか気がついていました。先生がこうして道化のように振る舞い、みんなを笑わせようとするのは苦しいことや辛いことを振り払うためなんだなと。

例えくだらないギャクでも私は先生にいつまでも言い続けてほしいなと思います。



2001年8月Mr.Theis&奥さんとケンブリッジハイスクールのカフェテリアで

ひたすら。。。パンチ

2009年06月19日 | BOXING
100年に一度と言われる不況の中で私の勤める会社も例外に漏れずここ数カ月2週に一度3連休になっています。
自動車の売り上げは大幅に落ち込んでいますが特に若者の顧客が減っているそうです。若者の嗜好がコミニケーションツールに意向してきているという記事もありましたが一方で軽自動車の売り上げは好調のようです。


明日はお休みなので今日は思いっきりやるぞ~
って着くなりだんだん。。。だんだん人が増えてきて今日はすごくたくさんの人が練習に来てました
お友達になったレディースのMるちゃんも、M瀬さんも頑張ってました


私は今日もトレーナーのK藤さんにボディやフックの細かいところを教えていただきました
すごく丁寧に教えていただいてとてもわかりやすかったです
がんばろ~




↑左側、6年生のお子さんのお父さんであるKさん、めちゃめちゃ動きが軽快でとてもお父さんには見えません

お子さんもひとりで一生懸命練習しながらお父さんがリングで頑張っている姿を見てました

私もこの夏しっかり絞って病気をする前まで戻したい。