私の父は定年後のある日手帳を持ち出して言いました。「全部で145都市か。。。」
それは父がこれまで仕事で訪れてきた世界の都市の数です。ニューヨークなどは何番街のどこどこに何があって。。。と私に地図を書いてくれることができるほど行っているので延べ数でいったら相当な数です。
そんな海外の文化を知り尽くした父が「あの二人をスタンダードなアメリカ人と思っちゃいけない。」としょっちゅう言わしめるアメリカのお母さんであるVickiとお父さんのLarryはいわゆる「ワビ・サビ」のわかるアメリカ人でした。
特にお父さんのLarryは人に対しての思いやりが深く常に穏やかでいつも私を励ましてくれました。
私がミネソタに着いて間もないのある夜、用意してもらった私の部屋に一人くつろいでいるとLarryが空けっぱなしのドアをあえてノックして「S子」と呼びました。
その後Larryは幾度となく私の部屋をノックしては私を呼び出すことになり、私はそのノックに寂しい時はいつも助けられるようになるのですがその時はそのノックが今後どういうものになるかを知りませんでした。
「イマ、チョットイイデスカ?」
とたどたどしい日本語で聞いてきますがLarryの日本語力はそこまで。
「出かけるから一緒に行こう」と嬉しそうに言ってきます。
着いて間もなくやることもないので私は「Sure!」と言って1階に下りていくと
何やらペンキや刷毛を持って「はい、S子これを持って。」と言うのです。
お父さんのオンボロ車に乗って真っ暗な田舎道を15分程走ったでしょうか。。
「ここだよ」と言われたので車から降りてみるとあたりには何もありません。
真っ暗闇の中に線路があって錆びて赤茶けたなが~い貨物車が止まっているだけです。
Larryはペンキを持って貨物車に近づいていくと私にペンキを渡し
「S子!ここにS子の名前をペンキで書くんだ」
といたずらっぽく言うのです!
(ええ~??!!!そんなことしたら捕まっちゃうよ~)
戸惑う私に
「いいか!おおき~く書くんだよ!S子の名前が全米を走るんだから!」
といってウインクします。
Larryの嬉しそうな顔を見ていたら私も気が大きくなり漢字で大きく名前を書きました。
「It's great!」Larryは大満足です。
真っ白いペンキで書かれた私の名前がミネソタの広い闇の中に浮かび上がる様子をいまでもはっきり覚えています。
家に帰るとVickiが
「どこ行ってたの?」
と聞くのでLarryとのいたずらを終始話すとVickiは
「Oh!No.Larry! あなたって人は全くもう!」と言って笑っています。
後でわかったのですがLarryはいたずらする時はいつもVickiに事後報告です。
でもたいていVickiはこうしてLarryを笑って許していました。なぜならVickiはLarryが何のためにそうしたことをしているのかを理解していたからです。
1987年 左からErik,Larry,Vicki,Bjork